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第15話
大聖堂前の広場は騒然としていた。テシィラ国の国王御自ら、兵を率いて聖地を乱したのだ。他国に聞こえれば、テシィラ国は何らかの誹《そし》りを受けるだろう。その覚悟をして現れたのだ。私は、長い裾を引きずりながら、大聖堂の扉を開き、神官と兵士が入り乱れる広場へ出た。
広場は、円形に列柱が並び、その中央に記念碑が立つ。太陽の光をうけて緑色に輝く、翠玉で出来た美しい記念碑の前に、テシィラ国の国王の姿があった。遠目にもよく目立つ。圧倒的な存在感がある。
私は手を軽く上げた。それで、この場は静まる。その確信があった。そして、現実に、その通りになった。
神官と兵士が言葉を発するのを忘れ、私を見ている。そして、私は彼らの間を、悠然と歩いて行けば良かった。海が割れるように、兵士と神官が綺麗に二分される。私は、記念碑までは行かなかった。そこまで行ってやる義理はない。それを悟った国王は、にやりと笑みながら、私に近付いてくる。私も、背は低くないはずだが、それでもこの国王の頭一つ分くらい背が低いだろう。彼は、私の前に立つ。私は、表情を動かさず、視線だけで彼を一瞥した。無言の対峙が続いたが、やがて、もう一度にやりと、国王が笑い、私に跪く。
「猊下《げいか》におかれましてはご機嫌麗しゅう存じます。神殿を乱しましたことを心から、お詫び申し上げます」
私の手をとり、そこへ、唇を押し当てる。嫌悪感に、全身が粟だった。とっさに手を引っ込めようとしたが、それが出来ない。強い力で握られていたからだ。
「無礼な振る舞いだ」
私は感情を込めずに、ただ、事実だけを告げる。
「おお、お許し下さい」と国王は、芝居がかった様子で、私に言って。もう一度、私の手の甲に唇を押し当てた。嫌悪感に、目眩がした。
「猊下が、あまりに私を無碍にされますから」
彼は私の許しを待たずに、立ち上がり、そして、耳元に囁く。甘く、低く囁く、張りのある声は、魅惑的なものだろうが、私には嫌悪感しかもたらさない。
「猊下は、私めに書簡の返事も寄越して下さらない。是非、一度お目に掛かりたいとお伝え致しましたのに、返信もいただけないのは、心が痛みます」
馴れ馴れしく、国王が私の肩を抱く。甘く、刺激的な香りが鼻をくすぐる。官能的な香――この上なく魅惑的なのだろうが、慣れない香りに噎せそうになった。私は、国王の手を払おうとしたが、思いとどまった。この国王を自由に歩き回らせたくない。ならば、私が、この国王を引きつけておく必要がある。私が、手を振り払わなかったことを、国王は、「おや」と言って笑う。
「なんです」
「いや、麗しの猊下には、いつも手をはねのけられておりましたからね。また、そうされると思ったので、意外だと」
探るような眼差しだった。金色の瞳は、猛禽類のそれに似ている。ならば、私はさしずめ彼の『獲物』と言うべき存在であるのか。冗談ではない。
「手を払いのける方がお好みでしたら、そう致します」
「まさか、もっと、親密な距離でいたいと思っていますよ、いつも」
肩に回されていた手が、腰に回され、ぐい、引き寄せられたとき、レダルが「無礼な!」と剣の切っ先を国王へ向ける。
「これはあなたの従者か?」
「無論そうです。……レダル、剣を下ろしなさい。お客人です」
目で、副神官長を探す。名前はなんと言ったか。必死に思い出す。私を、副神官長は心配そうな顔をしてみていた。銀色の長い髪に、片眼鏡。
「スティラ」
そう。副神官長の名前はスティラと言った。副神官長は、ハッとしたように顔を上げて、私の元まで駆けてくる。私達は―――。会話を交わさずにお互いのことを理解するような、相互の信頼関係はない。だから、私が、この男からシンを遠ざけたいと願っていることも知らないだろう。
「スティラ。お客人の為の準備を」
「しかし、大神官様」
私と、国王を相互にチラチラと見ながら、スティラは言う。言いたいことは、解る。大神官の立場であれば、この国王の無礼な振る舞いを、そしることは出来る。だが、私がそうしないのが何故なのか、疑問に思っていることだろう。そして、丁重にもてなしてやる必要もないと、言いたいのだろう。
「おや、猊下。私を歓迎して下さるのですか? まさか、私に返信を寄越さなかったのは、こうして私があなたの元にはせ参じるのを待っていたからなのですか?」
勘違いも甚だしくて、唾でも吐き捨ててやりたい気持ちになったが、その代わりに、私は笑ってから、言う。
「さあ?」
駆け引きの類いは苦手だ。だが―――まるで出来ないというわけでもない。この男のように、あからさまに接触してくるものは、今まで皆無ではなかった。
「とにかく、スティラ。支度を。……国王陛下は、今日は、こちらへご宿泊されることでしょうから。そうですね、北の離宮へ。あそこは客人用の部屋からの眺めが美しいのです」
「か、しこまりましたが……」
支度に、少々時間が掛かります。とスティラが渋い声で言う。私の真意を探るように、チラチラと私の顔を見ていた。あとで、そっと、目的については告げる必要があるとしても……、今は、とにかく、シンと国王を引き離すことが最優先だ。
「ではその間に、温室でお茶でも楽しみましょうか。陛下も、私になにかお話があるから、ここまでいらっしゃったのでしょう?」
歌うように、私は囁く。国王は「勿論、あなたと話をする為にここへ来た」と力強く、同意した。
「では、まず、あなたの引きつれてきた兵隊を下がらせて下さい」
「な、なんだと?」
「私は、武器を持った人たちに囲まれるのがとても怖い。陛下とお話をしたくても、恐ろしくて、何もお答え出来ないような気がしますし、見張られているようですと、正直な気持ちをお話しすることも出来なくなりそうです」
国王は、苦虫を噛みつぶしたような顔をしたが、すぐに「まあ、構わない。すぐに下がらそう。どこまで下げれば良い?」と応じる。
「そうですね……であれば、このまま、お国へお返し下さいまし。陛下の御身は、後ほど神殿が、馬車でお送り致します」
「また、慎重なことだな。私が、あなたを攻め入るとでも?」
至近距離で、国王は笑う。押しの強い笑みだ。私はしばらく、その金色の瞳を見つめていたが、そっと視線を外してから呟く。
「私が、怖いというのを信用して下さらないのですか?」
「解った解った。私の負けだ……全く、美しいだけではなく駆け引きまで覚えたのか。厄介なことだ」
はは、と王は笑いながら、腰を抱く手に力を込める。視線の先で、レダルとスティラが、険しい顔をしていた。
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