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第22話

「充電完了、した……」  シンの声は、掠れていた。恐る恐る、私からスマホを受取る。指を黒く艷やかな画面におしあてると、程なくして、ぱっと画面が明るくなった。白。ただ白いだけではなく、画面とよばれたそれが、発光している。それは、魔力を帯びた光だった。 「五年もたったのに、通電するんだ……」  やはりシンは諦めていたようだった。やがて、スマホは別の絵を映し出す。様々な小さいモチーフを散りばめた絵だった。その一つを、シンの指先が軽く叩く。すると、絵が切り替わる。 「見て」  シンに促されて、スマホを覗き込むと、そこに、私とシンの姿が映っていた。 「スマホ、の正体は鏡なのですか?」 「ううん? これは、写真。ちょっとまって。少しの間、動かないでね」  そう言いつつ、もう一度、シンは画面を軽く指先で叩く。カシャッという音がして、私とシンの絵が止まった。鏡の中の私達が、悪い魔法使いによって時を止められたように。 「よーし、保存した。これが写真。見たものをそのまま、映して保存できる」 「いまの、私達が?」 「うん」  シンは私に、今取ったばかりの『写真』を見せてくれた。確かに、あの瞬間の私とシンの姿が映し出されている。 「こうやって取ってきた写真が、三千枚くらいあるよ」  膨大な数だ。それが、このスマホという機械のなかに閉じ込められている。不思議でたまらなかった。『写真』の中の、私とシンは、顔を寄せ合い、親密そうな笑顔でいた。私は、鏡で自分の顔を見るときに、特別笑顔を作ることはない。はじめて自分の笑顔を見たのだが、楽しそうな顔をしていて、私ではないようだった。 「これ。俺の世界の空」  シンが私に見せてくれたのは、建物を見あげるようにして撮った絵だった。私の知る空の色より、だいぶ、彩度が低いようで、霞掛かったようにぼんやりとした色だった。そして、四方から建物が迫ってくる感じがある。建物はてっぺんが見えないほどに高い。この大陸で一番高いのが、我が大聖堂ではあるが、それを遥かに凌駕している。 「なんとなく、ぼやっとしてるだろ」 「ええ……」 「でもま、懐かしいな。あの、ゴミゴミした空気とか、雰囲気も……」  シンは、スマホを操作して、私にさらに写真を見せてくれる。今度は、かつてのシン自身のようだった。上着は黒の短衣で身頃の前側をボタンで留める。中に白い内着を着て、喉元を幅の広い紐で締めている。まわりの人たちも似たような格好だ。色に違いがあるくらいだろう。 「ここに来たときは、こんな格好だったよ。サラリーマンなら、みんなこんな格好だとおもう」  サラリーマン、というのは職業を指す言葉なのだろう。それで皆、似たような装束を着ているのは理解出来た。 「えーと、これ、俺の恋人」  シンが、見せてくれた写真は、先程の私達のように頭を寄せ合って親密な様子で笑い合う、シンが、映し出されている。頭を寄せ合っているのは、女性だった。シンと同じ色の、黒曜石の瞳が美しい。二人は幸せそうに笑っている。私は、ふと、気になってシンの顔を見た。シンの黒曜石の瞳は、潤っている。私が見たことがない表情をしていた。  愛おしいものを、慈しむ眼差し。慈愛、愛、そういう美しい感情を形にしたような、柔らかくて蕩けそうな眼差しをしていた。私には、向けたことのないその眼差し。 「……もう一度、見られるとは思わなかった。ありがとうな」  私に向かって微笑みかける。それは、やはり『写真』の彼女へむけるものとは異なっていた。 「いいえ、私も……」  見たかったのでという私の言葉は、遮られた。 「え、なんで?」 「どうかしましたか?」  シンは慌てた様子で、スマホを凝視している。 「通信が……通信が生きてる」  意味はわからなかったが、シンにとって、意外なことが起きているのだろう。そして、シンは、なにか、操作し始めたが、説明はなかった。ただ、祈るような、真剣なまなざしをしている。私は、声をかけることもできず、シンの様子を見守るほかなかった。様々な写真が、映し出されている。美しい花。菓子らしきもの。食事。建物。様々な場所の写真もあった。あわい青緑色をした海。新緑の湖。真っ白な雪に閉ざされた山。そこで、シンは笑顔だった。だが、いまより、もっとあどけない顔をしている。この世界で、ひどく、苦労をしたのだ。ものすごい勢いで、写真が表示されていく。そして、ふと、シンの動きが止まった。 「彼女が、公開している彼女が撮った写真です。インスタっていうところで、公開すると、全世界の誰でも、見れるんです」  世界中に写真を公開するということの意味は、どういうことなのだろう。彼女は、とても有名な方なのだろうか。確かに、笑顔が、とても愛らしかった。 「2022年11月2日。その日、俺が、ここに来ました。その日についての、インスタです。正しくは、一週間後ですけど」  写真。そして、文字らしき表記があるが、私には読むことはできない。ただ、それが、シンの『母国語』だとしたら、眼に焼き付けておきたかった。どんな響きを持つ言葉なのだろうか。私は聞いてみたいと思いつつ、シンの言葉の続きをおとなしく待った。 「……読みます。『人を助けるために自分が犠牲になるなんて、あの人らしい生き方でした。来週の誕生日に、プロポーズしてくれる予定だったと、お母さんに教えてもらいました。あの人、貯金全額はたいて、指輪を買ったみたいです。まだ、ショックです』」  私は、息をのんだ。私たちが、異世界から誰かを呼ぶとき。異世界では、その人に『死』が訪れる。彼女にとっての『シンタロ』は、私たちが殺した。指先が、冷えていく。 「……彼女の写真を見ていくと……少しずつ、明るい写真が増えてきます。俺の一周忌は、お墓にお参りに来てくれたみたいだし。でも、二年目は、お墓までは行かなかったみたいだよ」 「なぜ」  シンは、笑っている。懐かしそうに笑っている。どうして、そんな風に笑っていられるのか。私は、胸が苦しくて、たまらなくなってきた。シンの視線の先には、彼女がいる。 「新しい恋人が出来たみたいだ。よかった、優しそうな人だし……ああ、結婚したみたいだ。ユリ、綺麗だなあ」  純白の、裾が大きく広がった装束を身にまとった彼女は、この世で一番幸福そうな笑顔を浮かべている。それを見ているシンの、黒曜石の瞳が、潤った。胸が苦しい。シンは、懐かしそうな愛おしそうな表情で、写真を見つめている。純白の装束を身にまとった彼女のそばには、彼女の夫となった男が、照れくさそうな顔をして映っている。シンは、彼女に求婚を申し込もうとしていた、と以前に聞いた。であれば、この隣にいたのは、この男ではなく、シンだったのだ。 「あ、すごい……もう、子供がいるんだ、うわー……。大神官様、これ、見てくださいよ。これ、彼女の子供……」  シンの笑顔が、凍り付いた。私を見て、呆然としている。シンが、驚くのも当たり前のことだろう。私も、自分が止められずに、戸惑う。私の眼からは、涙があふれて止めることが出来なかった。子供のように手で拭っても、すぐに、また、あふれてしまう。 「大神官様……」  その言葉を聞いた私は、とっさに、彼が何かを言おうとしたのを遮った。 「ルセルジュ」 「えっ?」  シンは、うろたえていた。私は、彼を、真っ正面から見つめた。黒曜石の瞳は、戸惑いに揺れていた。先ほどまでの、あの、胸が痛くなるような、優しくて切ないまなざしではなかった。あのまなざしで、見つめて欲しかった。 「なぜ、あなたは、私を、つまらない、役職名、など、で」 「あー、ルセルジュが、名前なんだ……」 「そうです。あなたは、そう、呼ぶべきです」  私は、泣きながら、彼に訴えていた。自分でも、おかしなことを言っている自覚はあるが、涙も止まらなかったし、彼に対して、わけのわからない要求をするのも、とめることはできなかった。 「あんた……」  シンがあきれたような顔をして、微苦笑する。私は、子供のように、彼に対して不当な要求をしつつ、本当の望みは口にできなかった。彼女を、もう、見ないでほしい。愛するものをいつくしむまなざしを、彼女に向けないでほしい。祈るような言葉の代わりに、ただ、滂沱たる涙があふれて止まらなかった。  愚かにも私はその時、はじめて、自分の感情に名前を付けることが出来た。

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