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第21話

 スマホ、と呼ばれた板は、手に取ってみると重量はあまりなかった。重金属ではない。そして、金属や鉱石の冷たさがない。ひっくり返してみると、黒く、つややかな面が現れる。 「これは画面。液晶……液体と固体の中間点みたいな物質があるんだけど、それに、電気が流れることで、反応を起こす。具体的には、ここに絵が現れる感じ」 「絵、ですか?」 「そう。俺が写した写真とかが映し出される。……もし、通電したら、見せてあげられるんだけどな」  シンの口振りには、きっと無理だという響きが含まれている。私には、この奇妙な装置を動かすことは出来ない、と思っているのだ。或いは、私に、これを動かして欲しくないか……。どちらかだろう。どちらの気持ちが強いのか、私には解らない。私は、ただ、単に、シンの生まれ育ったところを見て見たいという、個人的な欲求を満たすためだけに、この機械を動かしたい。それだけだ。 「どう、やれば良いでしょうか」 「……魔力を、送り込むって話?」 「ええ」 「そうだな、この穴に電気を流した紐……? を入れて充電していたから……この穴の中に、電気を入れていけば良いような気がする」  紐のようなもの。魔力を少しずつ……。どのくらいの量を注ぎ込めば良いのか解らなかったが、少しずつ魔力の量を上げていく。そうしていくと、この小さな機械に、魔力が蓄積されているのだけは理解出来た。通常、魔力というのは、放っておくと空気中に拡散されてしまう。けれど、この機械は、魔力をため込む。この機構を、我々の世界が手に入れたとき、どんな改革が起きるだろうか。私達には、膨大な魔力を蓄積しておくという方法も思考もなかったのだ。 「あっ」  しばらく魔力を注ぎ込んでいた時、シンが、小さな声を上げた。見れば、黒い『画面』の上の端の方に、赤い光が小さく見えている。私が、今まで見たこともない、温度を全く感じない光だった。 「電気が、入ったんだ……」 「では、これで、この機械が使えるようになったのですか?」 「いや……まだ、この灯りが緑色になるまでは、しばらく掛かると思うけど……あんた、疲れるから……」 「私はこの程度の魔力を放出するくらいでは、疲労感を感じません。……その間、あなたと、お話でもしていた方が良い。差し支えなければ……他に、まだ、異世界からの持ち物はあるのですか?」 「あー……」  シンは、少しためらってから、麻袋の中から、さらに品物を取りだした。ペンと、薄い筆記帳のようだ。上等な品だろうから、これならば、この世界でも売れただろう。だが、売らなかったのだろう。 「これは?」 「ペンと、ノート。……売ろうとしたんだけど、道具屋のおばちゃんに、売るなって言われた。ここの世界だと、インクを付けながら書くけど、このペンは、インクが一体化してるから、このまま書くことが出来る。だから、駄目だと。それと、こっちのノートは、紙が上質すぎるって言われた。確かに、ここの世界だと、紙は、ざらついてるというか、ゴワゴワしてる」  シンに言われるまま筆記帳の紙を触った私は、その、滑らかな手触りにうっとりした。そして、驚くほどに、白い。等間隔に罫が引かれている。その、印刷も見事なほどに均一だった。 「こんなに上質なものは、あなたが貴族だからでしょう?」 「貴族? 俺が?」  シンは笑う。「前に言ったと思うけど、俺の国は、ビョウドウだよ。そういう身分制度は無いんだ」  ビョウドウ。その言葉は、以前に聞いた。国王でも、庶民でも、等しいという考え方だと。 「けれど」 「あー……この国の人たちと話をしてたら、勘違いされるのか……」とシンは独り言ちてから、続ける。「うちの国は、識字率っていうの? ほぼ全員が文字を読み書き出来る。教育を、受けているから。良い将来を手に入れたければ、沢山勉強をして、良い大学に入って、良い会社に勤めてそこで、四十年くらい働く。こういう流れが、おきまりになってるだけなんだ。そして、会社に入ったら、恋人を作って、ほどよいタイミングで結婚をして子供が生まれて……っていう、循環が。だから、俺は貴族でも何でもないんだ」  そうなんですか、と私は呟く。まだ、納得は出来ない部分もあった。 「それでは、あなたの世界では、こういう、上質な紙を、あなただけでなく誰もが手に入れられるんですか?」 「うちの国ではね」  私は彼の『世界』について聞いたが、彼は『自分の国』という形で返答した。この、上質な紙を手に入れる人と、そうでない人がいるというのは、把握出来る。しかし、それがどれほどシンの生活から離れているのかは、解らない。 「それにしても、大神官様……もしかして、俺が貴族だと思って、いろいろ、手配してくれてたりしました?」  たしかに、そういう気遣いをした部分はある。だが、彼が貴族でなかった……と言っても、彼の待遇を代えようとは思わない。 「そういう部分はありますが」  正直に言うと、シンは、小さく吹き出した。「あんた、正直すぎる。こういうときは、貴族と庶民とで対応を変えないとか、言っておけば良いのに」 「それは……そうかも知れませんが、私は、あなたに接するときに、誠実な態度で居ること以外……あなたに、出来ることはないのです」  シンは、少し、神妙な顔をした。私を見つめて、何か言いたげに唇が動いたけれど、言葉は紡ぎ出さない。意を決して、シンが何かを言おうとした瞬間だった。 『スマホ』が振動して、けたたましい音を立てた。何事か解らず、私はつい、驚いて手を離してしまう。端についていた灯りは、赤から、橄欖《かんらん》石のように鮮やかな薄い緑色に変わっていた。

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