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第43話

 執務の隙間に、スティラを伴って祭壇へ来た。ここで護符を作るのだ。祭壇は、神殿の祈祷場の一角にある。個人的な祈りを捧げてもいいし、使い方に決まりはないが、残留している魔力から察するに、おそらく、かなりのものが護符を作っているのだろう。 「通常、大神官様のような、高位の神官が、護符を作ることはありません。我々高位の神官であれば、魔法を使えば様々なことが出来ますからね」  執務の都合で、私は殆ど屋内に居るから普段は使うことはないが、火や水、風や氷などを扱う魔法を使うことが出来る。スティラの場合は、その怜悧な姿に相応しく、氷の魔法を扱うことに長けていた。 「けれど、シンは魔法を使うことも出来ませんから……」 「そうですね。不思議なことです。魔法……魔力というのは、どんな者でも持っているのですが、なぜ、シン様だけが魔力を持っていないのか……シン様と一緒に、この世界に来た異世界の民たちも、皆、魔法を使うことは出来たそうですよ。むしろ……強大な魔力を持っていたと言うことです。伝承の、六百年前の異世界の民も、魔法は使いこなしていたと思います」  異世界に、魔法はなかった。けれど、あの世界には、機械があった。だから、シンが、この世界で魔法を使うことが出来ないのは、当然のことなのではないかと……、私は、単純にそう思い込んでいた。そこに、何かの、理由があるのか。それは、神の思し召しなのか、私には解らないが……。 「大神官様がお作りになれば、世界でも最強の護符になりましょうから……。きっと、シン様をお守り下さると思います。他ならぬ、思い合う二人が作ればなおのことです」 「けれど……シンには、護符を作ることは出来ないでしょう? 彼は、魔力がありませんし……」  以前に聞いた『ゼロ』の話を思い出す。ゼロに何を掛けてもゼロという概念だ。それは、ゼロから何かを引いたり割ったりすることは出来ないということにもなるのではないか。そもそも、数式が成り立たないだろう。 「シン様なら、きっと、あの、思いの強さだけで大神官様に匹敵する護符を作ることが出来るでしょう」  スティラが胸を張って断言するのが、おかしくて、私は混乱した事態の最中だというのに、つい、笑ってしまうと、 「大神官様」  小さくスティラがたしなめた。私は、気を引き締めて、魔力を集中させる。シンを、ありとあらゆる厄災から守って欲しい。それならば、私は、私の魔力を根こそぎ奪ってもらっても構わなかった。  私の魔力は薄い紫色をしている。ふいに、菫色をしていた、マーレヤの眼差しを思い出すが、それは、振り切らなければならない。マーレヤの瞳の代わりに、私は、シンの眼差しを思い浮かべた。黒曜石のような美しい黒漆。あの眼差しを、私はずっとこの一身に浴びていたい。私だけを、見つめてほしい。そして、私はずっと、シンの傍にいたい。彼の体温を、呼気を感じていたい。胸に暖かい気持ちが、じんわりと広がっていく。 「……美しい、魔力です……、こんなに美しい色彩は、今まで見たことがありません……光の角度によって、色合いを変える、紫色の、宝石のようです」 「誉めすぎですよ」  そう言いながら、私は、魔力を形にしていく。護符。私の彩を移した、紫色の石になれば良い。それを見れば、シンは私を思い出してくれるだろうか。やがて、魔力が収束していく。そして、それは半球状の、指でつまみあげられる程度の大きさの宝玉になった。光の加減で、様々な色にも見える。紫色はともかく、菫色だったり、濃い青だったり、或いは、金色のように見えるときもあった。 「これは……なんと美しい護符でしょう……シン様がご不要だというのなら、神殿の宝として飾って置きたいほどです」 「また、あなたは、大袈裟ですよ」  私は手の中におさまった護符を見やりながら、シンを思い浮かべる。シンは、喜んでくれるだろうか。魔力の無いシンから、同じように護符を受け取ることは出来ないだろうが、もし、シンが護符を作ることが出来るのだとしたら、私に、それを捧げてくれるだろうか。胸が、騒ぐ。不安感よりも、楽しみな気分になっていた。きっと、喜んでくれる、という確信があるからだ。これは指輪の形にして渡そうかと思っていたが、少し大きいものになってしまったかもしれない。シンに、どうしたいか選んでもらうことにしよう。  私は、多分、ユリがうらやましかった。求婚の証を、シンは買い求めたと言う。それを、この世界で売り払ってしまったと言うが。たとえユリに渡らなかったものだとしても、私は、それをユリの為に用意したという事実に、嫉妬をした。そういう、心の狭いものなのだ。私は。 「……さて、そろそろ、式典の準備に掛かりましょうか」  私は護符を胸元にしまい込んで、スティラを促して、歩き出した。式典の準備の為に、各国から調整役を招いている。各国の王族を招いているので、席次などで調整が必要なためだ。気の長く、憂鬱な会議になりそうだったが、それも、根気強く進めることが出来ることだろう。  神殿の中でも一番大きな応接室に設えられた、会議用の円卓に付いているのは、神殿を取り囲む五カ国の外交官だ。 「……式典の内容については、拝見致しましたが」  渋い声を出したのはテシィラ国の外交官だった。 「なにか?」 「これは、わが国が発案したものでございましょう。それを、神殿が横どりされるおつもりですか?」  いきなり、話の中核に切り込んでくる外交官だ。普通ならば、もっと、遠回りに攻めていくことだろう。せっかちなことだ。 「横取りとは?」  私は、小首をかしげて空とぼけてみせる。周りの外交官たちが、息を飲むのが解った。こういうとき、人目を奪う程度の美しさを持っていることは武器になる。それを、時々、私は自覚する。 「で、すから……」 「我々が内々に保護している異世界の民のことを、なぜ貴国がご存じなのです。異世界の民は、何者かに連れ去られた経緯があり、我々は、暫時、身の安全の為に存在を隠していたのです。そして、残る三人についても保護を試みようとしましたが、失敗していたところです。ところで、異世界の民は、貴国におられましたが、いかなる経緯で、貴国で過ごすことになったのでしょうか」  ことさら冷たく詰問すると、テシィラの外交官が、ぐっ、と呻いて押し黙った。そこにすかさずスティラが言う。 「古来、霊峰に変事がありし折、神殿が異世界の民を招くのは、周知の事実のはず。神殿は、貴国に再三、かの方々のお身柄を引き渡して頂くように交渉したはずですが、それをわたくしし、あまつさえ不幸に追いやったのですから、貴国が、かの方々に対して、なんの弔いの言葉がありましょう」  神殿が、テシィラと対立を明示した構図、と他国は受け取ったようだった。一瞬、他国の外交官たちが目くばせをしあったように思える。今回の会談までに、各自で調整はしているのだろう。 「神殿に、彼らを引き渡さなかったのは、なぜなのですかな」 「詳しい死因についても、言及はないようですが」 「貴国のお考えを是非、お聞かせ願いたいものですな」  各国が口々に、攻撃に転じてくれたのには、内心、私は助かったと安堵した。おそらく、スティラも同じ気持ちだろう。  テシィラの外交官が、言葉に詰まった。にわかに、顔色が悪くなる。 「それは……」  口ごもった瞬間、私は、今回の件について、こちらの有利を確信した。あの王の思惑は気になるところだったが、いまは、目の前の会議に集中すべきだった。

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