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第44話

 会談は、概ね思い通りの展開で幕を下ろした。テシィラ国の外交官には悪いが、式典は神殿で執り行うことになったし、異世界の民としてシンをお披露目することになった。そして、各国からの圧力により、テシィラ国は、他三人の異世界の民について、保護から死去までの経緯を発表することになり、調査団として他国が赴くと言うことに落ち着いた。  これで、私は、テシィラ国に赴く必要がなくなった。その上、異世界の民三人が亡くなったことについて、各国からの批判がテシィラ国に行くことになったのだから、まずは、良かったと言うべきだろう。ただ、これで、テシィラ国の国王が、諦めるとも思えなかったが……。  私は、部屋に戻り、シンが部屋に戻るのを待った。また、シンの部屋を訪ねるつもりだ。私の魔力を形にした護符―――これを、マーレヤは『愛の証』と言ったが、これを、シンに捧げたかった。シンが、我々の風習について知っているか、解らない。知らなくても、知っていても私の気持ちを込めて、これを贈りたかった。これが、恋人が『愛の証』として捧げるものだと……知らなくても、私の分身のようなこの護符を、いつも側に置いて欲しい。ただ、それだけだ。  シンが戻るまで、私は、六百年前の異世界の民の手記を翻訳していた。私の翻訳が間違っていなければ、クロノという異世界の民は、戦場に出て、そして、魔法を帯びた剣を振るって戦っていたという。やはり、異世界の民だからといって、魔法が使えないわけではないようだった。  シンだけ。そこに、なにか、秘密があるのだろうか。私は、すこしだけ、引っかかるものを感じるが、考えていても答えは出ない。そうして、思案と翻訳作業を続けていると、向かいの部屋にぼんやりとした灯りが付くのが解った。  シンが戻ってきた。  私は無我夢中で、部屋を抜け出した。そして、シンの部屋に向かう。途中、神官にすれ違って、意味ありげな顔をされたのだけは少し恥ずかしかったが、私の心は止められない。シンの部屋の扉を叩く。程なく、シンが姿を現した。 「また、来てくれるとは思わなかった」  シンが、満足そうに、にんまりと笑う。 「お邪魔でしたか?」 「まさか。今から、寝るだけだよ。……なんなら、一緒に寝ようか?」  耳元に、囁かれて、腰が、甘く疼く。身体の中心が、熱を帯びる。見つめたシンの眼差しは、誘うような光が見える。私を、求めてくれるのなら、それは、とても嬉しい。 「あなたからは、私の部屋を訪ねて下さらないのですよね。私ばかり……あなたに触れたいと、言っているようではありませんか」 「行っても良いのなら。大神官様」  シンが笑う。余裕な態度に、私は、少しだけ悔しいような気分になる。けれど、私の気持ちとしては、一瞬でも長く側に居たい、と言うことなのだから、私からシンの所を訪ねてしまうのが、一番、手っ取り早いのだ。 「じゃあ、明日は、俺が、あんたのところを訪ねるよ。ルセルジュ……例の『木の実の蜂蜜漬け』が手に入るんだ」  私の為に、用意してくれたのだ。それが、とても嬉しい。 「……私も、あなたに差し上げたい物があってきたんです……部屋へ入っても?」 「勿論。どうぞ」  シンと一緒に部屋に入る。後ろ手に扉を閉めるなり、離れがたい気持ちになって、どちらともなく、唇が重なる。大好きな、感触。触れるだけの軽い口づけを繰り返してから、私はシンの胸に頭を預けた。 「……本当は、指輪を贈りたかったんです。ユリが、うらやましかったから」 「思わぬ名前が出てきたな」  シンが、苦笑する。そして、私の髪を、指で、ゆっくり梳いた。時折、シンの指先が頭皮に触れる。そのたび、身体が小さく跳ねる。 「だから、……代わりのものを、お贈りします。受け取って下さい」  私は、シンに護符を手渡した。 「これは……」  シンは。……私の予想では、喜んでくれるはずだった。目を細めて、照れたように笑って。けれど、シンの顔は、こわばっていた。得体の知れないものを見るように、護符を見つめていた。その眼差しには、喜色ではなく―――恐怖のような、表情が、見て取れた。 「シン……?」 「……ごめん、ルセルジュ。これは、受け取れない」  シンが、私に、護符を押し返した。私は、呆然としていた。なぜ? なぜ、シンは、これを受け取ってくれないのだろうか。私は、答えが聞きたくて、シンを見た。けれど、シンは、私から、ぷい、と顔を背けた。思わぬ名前だ、と、たった今、シンは笑ったのに、別人のように表情を失って―――そして、私を見ようともしない。 「シン?」 「……ごめん。それは受け取れない」  もう一度、シンは、固い声で告げた。 「な、ぜ……ですか。これは、その……お守りなのです。今、……あなたの、身も、安全ではない、はず、です……だから」  本当は、これは『愛の証』としてあなたに贈りたいのだ。私があなたを、愛していると。その気持ちをあなたに捧げたいのだ。私の前の、シンが、滲んで、ぼやける。 「なぜ、です、か」  声が、震えていた。 「……ルセルジュ。聞いてくれ。俺は……それを、あんたからの『愛の証』は受け取れない」  シンは、これがなんなのか、知っている。けれど、私からの『愛の証』は受け取ることが出来ないという。なぜ。私は、手を、強く握った。そうしなければ、立っていられなかった。 「私を……、好いてくれていると……思っていましたが……、なぜ、ですか」 「……あんたのことは、好きだ。愛していると、言っても、間違ってない。でも」  シンは、一度、そこで、言を切った。  私を、見やる。黒い、黒曜石の瞳の奥。その奥に隠されている、真意は、私には見えない。私は、それが知りたいのに、見ることは出来なかった。 「あなたに、愛は捧げない」  私はその瞬間、何を聞いたのか、よく解らなかった。意味は理解出来るのに、全身が、その言葉を、否定していた。 「……ルセルジュ。すまない。俺は、お前には、愛を、捧げられない」  目の前が、暗くなる。  もともと。この部屋は、そうだ、暗かった。小さな、読書用の魔石があるだけで、暗いのだ。私は、どうして良いのか解らなかった。ただ、恋を、失ったと言うことだけは、理解出来た。 「どうしても、駄目ですか?」 「ああ」  シンが、なぜ、こんなことを言い出したのか解らない。では、私達の『関係』は、一体何だったのか。どうして、こんな酷いことが出来るのか。心が壊れてしまいそうだった。 「……あなたが、私を、どう思っていても構いません。けれど、あなたは……魔力を持たないあなたならば、護符は持っていた方が良いのです」  私は、無理矢理、護符を彼の手に握らせる。 「……ルセルジュ……」 「……わたしの、名前を呼ばないで」  シンの手を振り払って、私は彼の部屋を抜け出した。  先ほどまでの、幸せな気持ちは一瞬で、霧散した。一体、シンに何があったのか。或いは、シンは、ずっと、こんな感じだっただろうか。  ついさっきも、私を寝台へ誘ったのはなんだったのか。都合良く、身体を差し出すだけの存在だとでも、言うつもりだろうか。シンの心が見えない。よく解らない。ただ、私は、部屋に戻った後、そのまま、身支度もそこそこに、寝台へ飛び込んで、枕に顔を埋めた。堪えていた涙がこぼれて、嗚咽が止まらなかった。胸が痛い。身体を、生きたまま二つに裂かれるような、強烈な喪失の痛みに、私は耐えなければならなかった。  シン。何度も、胸の中で、彼の名前を呼ぶ。けれど、応答はない。  なにも、私は解らなかった。なぜ、私と、恋仲になったような態度を取ったのか。解らない。どうして、ばかり胸の中を渦巻いている。どうして。どうして。どうして。  けれど、答えは出ない。  一つだけ解っているのは。  シンが、私に愛を捧げるつもりがない、と言うことだけだった。

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