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第46話

 神殿でシンとすれ違っても、普通に接することが出来た。  今まで通りに会話をして、今まで通りに、笑い合っていると、あの言葉が、とびきりたちの悪い悪夢だったのではないかと思うが、そうではないということを、私自身が良く知っていた。あれを、悪夢だと思うのは、私の願望で―――シンの気持ちは解らないけれど、彼の愛は、私のものではない。  求婚を、しようとした……とシンは言っていた。ならば、住まう世界は離れても、シンの心は、ユリに捧げたのだろう。彼女を幸せにするのが、シンではなく、彼女の夫になった人物だったとしても、世界を隔てても、彼女の幸福を願っているのだろう。  そう、理解したとき、私はまた、ユリがうらやましくてたまらなくなった。私が欲しい、シンの愛は、異世界にあるのだ。私が、どんなに泣いて叫んで、シンに乞おうとも、シンは、私に愛を返さないだろう。そのことだけが、辛くて、やはり夜、一人になると、考えなくても良いような事を考えて、涙が溢れてくる。  シンは、最近、部屋に戻っても魔石を使わない。私が、部屋を訪ねてくるのを嫌がっているのだろうと思ったら、胸が痛くなった。読書は、この世界で彼が見つけた、少ない娯楽の一つだろうから……私の為に、それを諦めて欲しくなかった。私は、彼に、『二度と部屋には行かない』と明言出来れば良いのだろうが、まだ、難しい。  それでも、彼に出来る配慮と言えば、私の部屋の灯りをすべて消してしまうことだ。そうすれば、私が寝たと思って、そのあとは、少し、安堵するかも知れない。なので、私も、部屋に戻ったら、早々に灯りを消すことにしていた。そして、シンの部屋の気配を探っていると知ったら、気持ち悪がられるだろうか。  しばらく闇の中でいると、余計なことを考えそうなので、そろそろ休もうと思ったが、ふいに、こつん、と窓が音を立てるのを聞いた。誰が、私の窓を叩くのか。こつん、とまるで小石でも当たったような音だった。私がそのままにしておくと、もう一度、こつん、と音がした。こつん、こつん、こつん……。  不審に思って窓辺に寄ると、そこには、一羽の鳩がちょこんと座っていた。こんな夜更けに、鳥が飛ぶのだろうか。しかし、よく見て見ると、鳩は、銀色の魔力を帯びている。通信用の鳩だ。何者かが、私に、通信を寄越したということだ。  私は、少し逡巡した。本当ならば、鳩だけは捕まえておいて、スティラ同席の下、通信を見るのが良いのだろうが、人目を避けてこんな真夜中に、私の部屋の窓を叩いたと言うことは、極秘の内容ということだろう。  私は、意を決して、鳩を招き入れた。  鳩は私の胸元に、パタパタとかすかな羽音を羽ばたかせて飛び込んでくる。私は鳩を抱えて、その脚にくくり付いていた通信管を手に取った。その中に、小さく畳まれた紙が入っている。ふわり、と香辛料の香りした。  テシィラ国の国王の香りだ。ということは、これは、テシィラ国の国王からの私信だろう。  私は、開封するのを、一瞬、ためらった。  テシィラ国の外交官は、各国からやり込められて、その内容は、そろそろ王にも伝わっているはずだ。その上で、私に私信を送ってくるのだから、通常の事態ではないだろう。通信用紙に染みこんだ、あの国王の香りを聞いていると、無理に口づけされたことを想い出して、不愉快な気分になる。いくらか逡巡したあと、私は手紙を開いた。 『大神官猊下  内々にて文を差し上げる無礼をお許し下さい。  式典の件は、使いより子細、報告を受けました。あなたの立場では、適切な処置でしょう。三人の異世界の民の件についても、後ほど全世界へ向けて発表が為されることでしょう。  あなたの所へ、私の手のものが忍びこんでいたことも、すでにご存じでしょうから、弁明は致しませんが、その上で、あなたにも私について知りたいことがおありでしょう。  私は、余計な邪魔が入ることを好みません。たとえばあなたの側にいる異世界の民や、副神官長などがいれば、私は、あなたに、素直な言葉を告げることはないでしょう。  あなたが私に会って下さるというのならば、二日後の夜、ラドゥルガにてお待ちします』  妙に素直な手紙で、少々、不気味だ。私は、どうするか、迷う。それに、指定された場所も、迷う。一体、なぜ、ラドゥルガなのか。神殿の罪を、私に見せつけるためか。とにかく、意図の読めない男だった。それに、一人で行くのは、危険だろう。私は、あの男と対峙したとして、武力でも腕力でも歯が立たない。魔法を使うことは出来るかもしれないが、今まで人を攻撃する訓練をしたことはない。うまく、対応出来るとも思えない。  行かない方が良い―――……。  そう思ったが、やや、後ろ髪を引かれるおもいだった。今回の、様々な問題については、あの男の過去を知る必要があるのは、間違いない。  なぜ、私は、こう、揺れるのか。優柔不断で、いつも、迷ってばかり居る。そんな私だから、シンは、愛を捧げてくれなかったのだろうか。私は、文に火を付けた。こんなものを、残しておくわけにはいかない。誰かに、見られてはならない。  二日。  猶予は、二日ある。  何も考えず眠ってしまおう。そう思ったのに、目が冴えて、眠れなかった。

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