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第51話
『異世界の民を元に戻すためには、異世界の民を殺せば良い。ただし、それを行うのは異世界の民が、心から愛を捧げたものに限られる。』
呪いのような一文を見たとき、私は、初めて、テシィラ国の国王の気持ちを理解した。私が、シンを、あの世界に戻そうとしたら、私がシンを殺さなければならないと言うことか。確かに、道理だ。あの世界で、シンは死んでいた。墓もあった。ならば、こちらのシンを殺すほか、あちらへ送り返す方法はないのだろう。
ソレル殿は、クロノを殺した。そして、元の世界へ戻したのだろう。二人の間で如何なるやりとりがあったかは解らない。けれど、六百年前、彼らは、その選択をした。
私は、どうするだろう。
シンを戻した方が良いのならば、シンを殺して、元に戻すだろうか。もし、その選択をするのだとしたら、私は、多分、その場で、私自身を殺すだろう。シンの居ない世界に、いても、仕方がない。それは、私の、偽らざる気持ちだ。
シンが、私を受け入れずとも―――と、そこまで考えて、私は頭を抱えた。シンは、私に愛を捧げないと言った。それは、この為だ。シンが私に愛を捧げなければ、彼は、異世界には戻れない。
「……馬鹿な人」
私は、小さく呟く。私も、シンも。
「第一、私のことを……信用していないから、私に、隠し事をするのでしょう。本当に、馬鹿な人だ」
目の前に居ないことを良い事に、私は、シンの文句を口に出して言う。元の世界に戻る方法についても、教えておいてくれても良かっただろう。そして、私に愛を捧げないなどと―――幼稚な方法で止めなくとも良かっただろう。
そんなことを考えていると、宿の外が俄に騒がしくなった。
「テシィラ国が、神殿に宣戦布告したぞ!」
「数日以内に、侵攻すると決まったらしいぞ!」
私は、思わず窓の外を見やった。私の部屋は二階だった。そこから、街の広場を見下ろしていると、人々が集まってきて、口々に不安や、噂や、考えを口に出して語っているのが見えた。テシィラ国が宣戦布告したのは、私のせいだろう。あの男をたきつけた。それは否定しない。私は、このまま、神殿に戻った方が良いのだろうが……。
どうしようか。
神殿ではスティラが頭を抱えているに違いない。
その時、部屋の扉が鳴った。私を、訪ねてくる者があるとは思えない。私は、警戒しながら、「どうぞ」と応じる。一呼吸あって、扉が開く。そして、そこに居たのは、意外な人物だった。黒髪と黒曜石の瞳を持つ……世界で一番愛しい姿だった。
「シン……? なぜ?」
シンは、私の問いに答えることなく、ツカツカと私の所まで来ると、胸ぐらをひっつかんで、大声で私に怒鳴りつけた。
「馬鹿かあんたはっ! なんで……なんで、ひとりで、誰にも相談しないで、あの男に会いに行ったんだよっ!!!」
「待ってください、なぜ、あなたがそれを知ってるんです」
「……知ってるんだよっ!!! 全部、この先、何が起こるか、全部、全部知ってる!!!! だから……っ!!!」
私の肩を掴んで。シンが、泣いていた。私は、それを嬉しく思うのと同時に、意地悪な気持ちにもなっていた。
「なぜあなたに相談する必要があるんです。あなたは、私に愛を捧げてくれないのでしょう。そんな相手に、私がどうして、大切な相談をしなければならないんです」
シンは、それは……、と口ごもった。
「……あなたを元の世界へ戻すために、あなたを殺すと?」
「なんで、それを……」
シンの声が、掠れていた。
「あの手記を読みました。あなたが翻訳してくれたものと、あの手記を照らし合わせて、あの言語の文法と単語を割り出したんです。その程度のことは、私にはたやすいことです。私に、殺されるのが嫌だったのですね。あなたの気持ちは良くわかりました。私は、あなたにだったら殺されても構わないのに」
「違うっ!」
シンは、私の言葉を遮った。シンの目は、真っ赤で、シンは、一度、唇を噛みしめてから、私に言う。
「……あんたは、俺を殺してから……、自分も死んだんだよ。なあ、あんた、―――人生で一番愛した人の返り血を浴びながら、元の世界に送り返される俺の気持ちなんか、あんたは、考えたことはなかっただろうっ! あんたは、自分勝手なんだよっ!!!」
「なぜ、未来のことを、見てきたように言うのです」
「見てきたんだよっ!! 俺は、そうなるのを知ってるんだよっ!!!!」
絶叫が、私の部屋に響く。その時「そのくらいにしておけ」と低い声が聞こえた。扉の影から、長身の男が現れる。耳の所と腕に、青く光る金属質の鱗がある。竜族、だ。
「……あなたが、シンを気に入っていたという、……」
「ああ。私は勝手に、これを『つがい』だと思っているが、これは、私にも愛を捧げないらしい」
「では、私達は、シンから心を捧げて貰えない仲間と言うことになりますね」
「ああ、我らは仲良くやれそうだ」
しかし、それは良いとして、なぜ、この竜族の人が居るのだろうか。私の疑問にいち早く答えたのは、竜族の人だった。
「あなたの行方を捜して欲しいと、せがまれてな。無神経なことだ。そして、ここに連れてきた。私が生きている間、どんな無茶な願いでも聞いてやると言う約定をしている」
「なぜ、私の場所が解るのです」
「気を読んだだけだ。……大神官。あなたの気は、とても強大なのだ」
想像もしたことはなかったが、そんなもので、居場所がわかってしまうのだとしたら、不便なこともあるだろう。今は―――助かったと言うべきなのか、よく解らない。
「大神官。あなたが、テシィラ国をたきつけたのだろう。どうするつもりだ? あちらは、なりふり構わずに、戦を仕掛けるぞ」
「こうならないように、してきたのに……」
シンが、頭を抱えてうずくまる。
「シンは、一人で孤独な戦いをしてきたのだ……。それだけは、理解して欲しい」
「あなたには、それを伝えたのですか?」
シンの孤独な戦いというのならば、なぜ、私を巻き込んでくれなかったのか。そして、なぜ竜族の人には伝えたのか。
「あんたを、巻き込みたくないからだ。それは理解してくれ」
「いいえ、理解出来ません。私は、彼から愛を捧げてもらえない人間ですから、何かを理解しろと言われても、仕方がないのです」
「……それは、謝る。それと……、あんた、あの男に、なにかされていないだろうなっ!」
だんだん、私は、腹立たしさを超えて、滑稽になってきた。
「あの男とですか? それなら、夜着のまま抱き合って、髪に口づけされて……」
と言ったときに、シンの顔が、すっと青ざめていった。私が、あの男に触れられるのも嫌なくせに、愛だけは捧げないというのが、間違っているのだ。
「……別に関係ないでしょう? あなたは私に愛を捧げないのでしょう?」
「いやだ。あんたが……誰かに触れられたら、嫌なんだ。あんたは、俺のためなら、それをやるだろうっ! だから……」
実際、シンを人質にでも取られていたら、あの男に身を捧げることも辞さないだろうが、シンの言っていることは無茶苦茶だ。
「シン」
私は、シンをまっすぐ見据える。
「えっ?」
「あなたは、私を見くびっていますし、私の、思いも見くびっています」
「はい……?」
「あなたが死んだら、私は、確かに、あなたの後を追って死ぬかも知れませんけれど……私は、あなたがどう思おうとも、あなたが、帰りたいと言っても、あなたの手を離せない。あなたを、異世界に戻したくない。絶対に」
「えっ……?」
シンの目が、丸くなる。私の言葉を、信じて居ないらしい。
「あなたには、私が居るでしょうっ! 一生、私だけを見ていれば良いんです。そこの竜族の男のことも、これからは一生絶対に頼らないでくださいっ!」
「えっ? えっと……はい……?」
「生涯で一度の恋の為なら、多分私は命も惜しくない。けれど、私は、あなたと一緒に居ることの方が大切なんです……あなたを、異世界になんか帰してあげない。だから、私に愛を捧げなさい」
シンの顔が、赤くなる。やがて、シンは、私の前に跪いて、私の手を取った。
「一生。あなたの側に居る。ルセルジュ。だから、俺のことも、側から離さないで」
「やっと、その言葉を聞けました。……そこの竜族の方は、この誓約の立会人と言うことでよろしくお願いいたします」
「とんでもないことに巻き込まれた」
竜族の彼は、微苦笑していたが、眼差しは優しい。シンのことを、心から愛していたのだろう。そのことだけは、胸が痛むが、私は、それでもシンを譲るつもりはない。
「神殿に遊びにいらっしゃるくらいでしたら歓迎しますけど」
「では、我ら、竜族は、今回、神殿に加担しよう。……まだ、生き残りが少々いるのだ」
「えっ、よろしいのですか?」
「ああ。テシィラ国の国王が、無茶をすれば、聖遺物を使うだろう。シンは、それを心配している」
聖遺物。
ラドゥルガを滅ぼしたという、それ。
私は、少し考えた。今、それは誰でも使うことが出来る状態にある。そして、それに力を与えるためには、沢山の人の命が必要だと言うことも、知っている。つまり、人命が一人も奪われなければ、聖遺物に力は行かないと言うことだ。
私の表情を読んだらしい竜族の男が、「そううまく行くか?」と問う。
「解りません。けれど……、聖遺物が動かなければ、それまででしょう」
「よし。それでは、すぐに、神殿に帰るか」
竜族の男は、私に提案する。どうやら、彼が連れて行ってくれるらしい。私は、ありがたく、その申し出を受けることにした。
「あと、あなたのことはどうお呼びすればよろしいでしょうか」
「そうだな。本名は、シンだけに教えているんだ。……レリュと呼んで貰えれば良い」
レリュは、私に手を差し出した。私も、彼に手を差し出して、お互い、拳を合わせると、神殿へと向かうことにした。
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