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第55話

 破られた手記の断片。変色した装束。それに幾らかの装身具。紙類がいくつか。茶色いまだらに変色した装束は、おそらく血の痕だろう。装束は、神官のものだ。私は、破られた手記を手に取る。この、筆跡には、見覚えがあった。  先々代の、大神官のものだ。  つまり、これは、手記から破り取られた部分、ということになるだろうか。緊張で、指先が冷えていく。私の肩を、シンが、そっと押さえた。 「これは、おそらく、先々代の大神官が、破り取った手記です」 「なにが書かれているんだ?」 「……読んでみます」  内容は、おぞましいものだった。  神殿は、当時、各国からの侵略を受け、信仰を守ることも難しい状態だったらしい。霊峰には、貴重な金や鉱物が採れるというのもあって、神殿領を切り取ろうとして、各国虎視眈々と狙いを定めていたらしい。そんな中で、当時の大神官は苦労もあったことだろう。手記には、自ら軍を率いて戦ったことも書かれていた。たった、三十年前のことだ。私は、神殿が刃を取って自ら戦ったと言うことも、知らなかった。  状況の打破を、当時の大神官は『聖遺物』に見いだした。神殿は、すべての聖遺物のありかを知っている。使い方さえ解れば、強大な力を得られるというのが解っていた。かつて、六百年前に、それが使われたのは、知られていた事実だからだ。  そして、|卜占《ぼくせん》が立てられた。  供物を捧げ、神に祈りを捧げる必要があった為、供物を選ぶための、卜占だった。そして、白羽の矢は、ラドゥルガ駐在の神官ラーメルに当たった。  ラーメルは、神殿に引き戻され、そして、そこで惨殺された。  身体中を切りつけられ、それでも、『神』は応じなかった。何人かの神官の手により、犯されても、『神』は応じなかった。絶望したラーメルが自ら、短刀で胸を突いて果てたとき、『神』は応じた。  かくて、ラドゥルガの『聖遺物』の使用方法は神殿の知るところとなり―――ラーメルが、テシィラ国の国王と恋仲だったと言うことを知った大神官は、その、むごたらしい遺体を、テシィラ国の国王に送ったという。  元々、テシィラ国の国王がラドゥルガに到着したときに、聖遺物を発動する予定だったのに、予定が狂い、村人たちが犠牲になったという。この件を、テシィラ国の国王に脅されて、カルシア協定が結ばれることになった。  神殿はどこにも属さず、武力も持たない。それが協定の内容だった。そして、そのまま、三十年。世界は微妙な均衡の中にある。  身体を傷つけられ、犯され、そのあげくに胸を突いて死んだ恋人の亡骸を送りつけられれば、私なら、耐えられない。私ならば、ためらわずに、その場でこの世にあるすべての『聖遺物』を発動させる。この世に草木一本、残すことが出来ないほど、我を忘れるだろう。  テシィラ国の国王は、ずっと、三十年、この恨みを抱いて生きてきたのだ。 「そして、『聖遺物』が使われてから、霊峰に変事があるまで、大体、二十五年も掛かったというわけですね……」  そして、予定通り、大神官が交代され、異世界から人が呼ばれた。異世界人は、強大な魔力を有する。その力を、テシィラ国の国王は欲しがったのだ。  私は、血まみれの装束を手に取った。  おぞましい儀式の際に着用していたものではないだろう。だが、これは、ラーメルのものに違いなかった。その、胸元の隠しの中に、小さな首飾りが入っていることに気がついた。  漆黒の宝玉。それは、かすかな魔力を帯びていた。この、魔力―――この『気』を、私は知っている。 「これは、テシィラ国の国王の……作った『護符』では?」  おそらく、まだ、ラドゥルガで暮らしていた頃。ただの村人の青年と、ラドゥルガ駐在の神官という、何物でもない、ただ幸せな恋人同士だった頃。二人で愛を交わし合った証に違いなかった。 「そう……ですね。これは、宝石ではありません。おそらく」  透明感のある、漆黒の気は、まだ、優しく、持ち主を守ろうとしているようだった。私は、箱の中に、他になにかないか、探る。ラーメルが使っていた聖典も入っていた。一般神官の儀礼用の装束では、小さな巻物状の聖典を持つ。そこに、ラーメルの署名があった。  神殿を守ろうとした、大神官の気持ちは解る。だが、その為に、誰を、犠牲にしても良いというわけではないだろうし―――ラーメルの亡骸を、テシィラ国の国王に送らなくても良かっただろう。 「……この神職は」とスティラは、小さく呟く。「おそらく、その、『護符』を持っていれば、命を取り留めてしまうことを察して、最後の時には、それを持たなかったのでしょうね。おそらく、護符は、それを助けてしまいますから」 「あっ」  私には思い当たることがあった。マーレヤ。彼は、私に、恋人と交わした『愛の証』を渡してこの世を去ったのだ。あの瞬間、マーレヤが、あの護符を持っていたら、おそらく自死することは出来なかった。 「ですから、この神官は、自ら……命を差し出したものと推測します。こちらの装束に、血が付いていますから……おそらく、拷問などはされたのでしょうが」  淡々と、スティラが告げる言葉に、私も、頷く。 「そうなのでしょうね」 「だからといって、あまりにも、おぞましい最後でしたが……それを、どうなさるのですか?」 「……これらの品々を、テシィラ国の国王にお戻しします」 「正気ですか」 「使者を立てなさい」  私は、スティラに命じて、踵を返した。通常であれば―――多少の交戦をしたのち、第三国に仲介して貰い、その時点で、会談を行う手はずになるはずだ。だが、今回、私は、誰の血も流したくなかった。 「……なあ、大神官様」  レリュが私に言う。気楽な物言いだった。 「お使いなら、俺が行こうか? 俺なら、世界中一瞬で移動出来る」  レリュの申し出は、ありがたかった。しかも、レリュは、人の気を読むことが出来る。私達は、現在、テシィラ国の国王がどこに居るのか、正確な位置を掴んでいないが、レリュは掴んでいるだろう。 「ありがたいお申し出です。よろしくお願いいたします」 「では、書簡なり何なりを用意してくれ」  レリュの申し出に従って、私は書簡を用意した。そして、ラーメルの遺品を一緒に持参して貰うことにしたが、私は、『護符』だけは、手元に置いた。そして、一筆、書き添えておいた。 『あなたとラーメルが交わした、愛の証は私の元にあります。会談に応じてくださるのでしたらお返し致します』

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