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第54話

 愛する人を失った世界で生きるのは、どれほど辛いだろうか。シンの気配を近くにかんじながら、私は、そう思う。何かを恨み、呪わなければ生きていくことは出来ないだろう。少なくとも、私はそうだ。だから、私の側に、シンが居てくれることに、私は心から感謝する。  あの男……テシィラ国の国王に同情するつもりはないが、三十年も抱いてきた恨みの炎だけが、あの男を動かしてきたのだとすると、それは不幸なことだと、思わざるを得なかった。  私を重ねられるのは困るが……、それほど、あの国王は、ラーメルという神官を愛していたのだろう。  かつての……三十年前の、大神官は、なぜこんな無謀なことをしたのだろう。それは、破り取られた手記の中にあったのかもしれないし、理由など、なかったのかも知れない。  大神官―――つまり、私の立場は、やろうと思えば、このようにして他人の人生をもてあそぶことが出来るのだ。 「スティラ。神殿の儀式に関わる資料を見たいのですが、どこにありますか?」  謁見室で今後の『作戦会議』を行うという段になって、私は、スティラに呼びかけた。緊急事態ではあったが、テシィラの国王の過去を聞いた私は、ラーメルという神官の最期を知る必要があった。無惨な最期だったとは聞いているが、なにか、記録は残っていないだろうか。それは、おそらく、あの国王が一番知りたいことではないのかと思ったからだ。 「それは、向こう百年分くらいはのこしてありますが」 「それであれば、三十年前のラーメルという神官の記録を探しましょう」  その名前を聞いたスティラの顔が歪む。 「なぜ、そのような者を調べますか? それは、あの国王の……」 「ええ。テシィラは宣戦布告しました。けれど、まだ、開戦には間があるでしょう。であれば、回避の方法を模索します」 「我々は、戦うつもりです!」 「戦えば、怪我をするもの、命を落とすものが出るでしょう。回避できるのであれば、回避した方が良い。これは、三十年前、我々が犯した過ちのために起きる戦争です。であれば、我々の責任で、回避する必要があるでしょう」  私のことになると、スティラは血の気が多くなるようで、どうにも不満そうだった。私は、ちらっとシンに視線を送ってから、スティラの手をとる。 「えっ?」  不意を突かれたスティラが、目を丸くしてから、ぱちぱちと瞬かせている。私は、真正面からスティラを見つめる。 「私は、あなたが怪我をするのを見るのは嫌ですよ」 「へっ? そ、そんな、もったいない……私のようなものなど、大神官様に心配していただく価値など……」 「なぜ、そのようなことをいうのです。スティラ。私の、無謀な行いをとがめるあなたらしくもありません。あなたが傷ついたり、苦しむ姿を見るのは、本当に嫌なのです。ですから、私とともに、最善を尽くしましょう?」  スティラの頬が、薔薇色に染まる。私は、まだ、スティラの手をとったままだったが、彼はその手に、額を預けて何事か、誓約の文句のような言葉をつぶやいている。……が、これは聞かないほうが良い類のものだと判断した。シンは、ムッとした顔をして、私をにらみつけているし、レリュは隣で体を曲げて笑っているので、なんとも言い難い気分になる。  そう。私は……たぶん、シンやスティラが思っているより、わりとしたたかなのだ。こういうことをするのも、抵抗はないほどに。 「それでは神殿の祭祀庫へ参りましょう。三十年前の神官の資料であれば、おそらくすぐに見つかるでしょうから」  そして私たちはスティラに案内され、神殿の祭祀庫へ向かったのだった。  祭祀庫は礼拝堂の地下にあった。正しくは、地下に張り巡らされた回廊があって、その奥へ行かなければならなかった。入り口は、厳重に封印されていたが、私が手を触れただけですんなりと空いた。代々の大神官が立ち入ることを許可しなければならないようだった。内部は、黴と埃の匂いがした。薄暗いので明かりを付けたが、それでも、闇が濃い。  棚のところには記載があるので、まず、間違えることはないだろう。年代と当時の大神官の名前が書いてあった。 「三十年前……というと、このあたりだ」  シンが指し示す。書物、紙を束ねたようなもの、乱雑に積まれた箱。様々だった。 「片っ端から開ければ、何かは見つかるだろう」  シンの言葉に促されるまま、私は埃にまみれた書物を手に取った。神殿の年鑑のようだった。ざっと目を通すが、これらのものには、大した価値はないだろう。それならば、束ねられた紙の資料はどうだろう。埃にまみれた紙は、会議中のメモであったり、なにかの草案らしきものが多い。すべてに目を通すのは骨だろう。 「おーい、一度、この類の書類は、全体量が見えた方が楽だから、一回、このあたりの資料を、こっちの空いてるところに移動させて、それから、取捨選択したほうが早いよ!」  小一刻ほどそうしていたころ、唐突に、シンが呼びかけた。 「そういうものか? 面倒では?」  レリュが問う。私も、同じ気持ちだったが、気分転換にはなるかもしれない。 「こういう作業は、割とやってきたんだよ、向こうの世界で。何十年前の大先輩方が残した負の遺産の仕様書を倉庫から発掘するとか、そういうのを……」  なにやら実感のこもった言葉だったので、「ではシンのいうとおり、一度、こちらへ移動しましょう」と言って、資料を集め始める。膨大な量だと思っていたが、集めてみると、大したことがないのが分かったので、それだけでも気分が楽になった。 「これならば、そんなに時間は掛からなさそうですね」  神殿の首脳部である我々が、資料探しばかりやっていれば、他が心配するだろう。どちらにせよ早めに切り上げる必要はあるのだ。会議、と称して籠れる時間は半日が限度だろう。 「そうですね。これならば……」  そう、スティラがつぶやいたとき。私は、棚の奥に、ひっそりと隠されていた小箱があるのに気が付いた。ご丁寧に、大神官の紋章がはいり、封印がされている。それをはがそうとしたとき、ピリッと指先に刺激が走った。はじかれたのだ。 「大丈夫か?」  シンが不安そうに私の顔を覗き込んでくる。指先に血がにじんでいた。しかし、私は、気にしなかった。わざわざ、こんな奥に隠された上に、封印までされた小箱の中身が、ただのガラクタであるはずがない。 「私から離れてください。これを開けます」  指先に、魔力を集中させる。先ほどの傷は、すぅっと消えていく。そして、私は、封印に手を伸ばすと、無理やりそれをこじ開ける。銀色の、稲光のような、鋭い魔力の抵抗を受けて、私は思わず舌打ちした。シンは、レリュが守っているので問題ない。私は、そのまま、力を込めて、無理やり、封印を引きはがした。  硝子にヒビが走るような、乾いた、パキパキという音が響き渡り、一層、銀色の稲光の抵抗を受けたが、やがて、それらは、収まった。封印をこじ開けようとしていた、右手が、ひどく、傷んだ。そして、小箱は、ぱらり、とあっけなく封を解いた。

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