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第6話

 二人で初めて迎えたクリスマス。  俺たちは、海智の親が所有する別荘で、二人っきりで夜を過ごした。  それが、俺の、俺たちの初めてのセックスだった。  冬になるにつれ、キスの触れ合いも濃度を増していった。前々から、そういう雰囲気や言葉を感じていたため、事前にきちんと調べておいた。本当に、海智と俺がこんなことをするのか、と恥ずかしさに悶絶していた。  クリスマスの日。風呂に入り、上手にできているかわからないが、準備をした。先に風呂を出ていた海智はバスローブ姿で、とても同じ中学生には見えなかった。温かい部屋に俺を迎えると、いきなりキスをされ、ベットにもつれるように倒れこんだ。そこからは、あまりよく覚えていない。海智の必死な顔が愛おしくて、好きだと囁かれて幸せで、一つになるには痛みも伴ったが、つながれることへの充足感は何事にも替え難かった。  嵐のような一夜だった。  次の日、後ろがひりついて痛みを伴った。朝を迎えたとき、目の前に大好きな海智がいて、その瞳に俺を映すと、朝日に柔らかく照らされた彼が、大好きと甘やかに囁き、キスをする。バニラの香りが強くする胸元に抱き込まれてしまう。  ずっと、この人と一緒にいたい。  海智のためなら、海智と一緒なら、なんだってできると思った。  それから、滅多になかったが、三か月に一度ある部活の休みには、この別荘で、二人きりの蜜月を過ごした。そのためになら、なんだって頑張れた。回数を追うごとに、できることが増えていった。次第に、痛みも減り、快感も拾えるようになった。はじめての口内射精には、精子の苦さに咳き込んでいると、ごめんと慌て謝る海智の瞳には、言いようのできない愉悦の色がにじんでいた。海智におねだりされれば、なんだってした。俺にとって、その時の世界のすべては、海智のためのものだった。  海智からの連絡がきたのは、それから、一週間後のことだった。 「しばらく、実家で静養する」  それだけだった。  どんなけがで、どのぐらいひどいのか。それはいつまでなのか。  今、誰といるのか。  隣に、あのマネージャーがいるのか。  たったその一文で片付けられてしまう相手なのか、俺は。  一週間という無言の時間と、たったそれだけのメッセージ。無機質な画面を見つめていると、苦しくて、自分が呼吸を忘れていたことに気づいた。 「お大事にしてください」  震える指で何度も、伝えたいことを打っては消した。  俺なんかが、言っていいことなのか、わからなかったから。  ただの後輩でも、このくらいは打つだろう。そう返信する。それにも、返信はなかった。  それが、俺たちの関係性だと言われている気がした。  付き合っている、と思っていたのは、俺だけだったのかもしれない。  初めて、そう思った。  思い出せば出すほど、海智から「付き合おう」と明確に言われた事実はないし、そういう雰囲気だと自分が悟っていたのが、思い込みでしかなかったのかもしれないと気づいてしまった。  キスの合間や、情事の最中に「好き」という言葉を聞いた気がするが、気のせいかもしれない。そういう雰囲気を楽しむ、一種のスパイスだったのかもしれない。  海智があまりにも遠くて、俺は、何もかも、自信をなくしてしまった。  ほんのりと色づいていた桜は、すっかり葉桜として青々と光っていた。  俺は、中学2年生になった。  海智とは、あの日以来、会ってもいないし、連絡も取っていない。  噂伝えに、手術をしたらしいと聞いた。もとから、引きずっていた足を強く痛めてしまったのだろう。あの凛とした美しい彼を思い出すと、今にも膝から崩れ落ちそうになってしまう。大好きだった。  きっと、俺たちは、終わってしまったのだ。  むしろ、始まってすらいないのだ。  すべては、愚かなベータの妄想だったのだろう。  霧散するかのように、俺は、空手を型から組手に転向した。  とにかく、すべてを空手に打ち込んだ。その時、組手のすべてを教えてくれたのが、武島総一郎主将だった。型の城戸崎、組手の武島。それが、我が空手部のツートップだ。総一郎のように、逞しく、勇ましく、強い男になりたかった。その一心で、主将に教えを乞うていた。総一郎も、弟のように俺をかわいがってくれて、一緒に出掛けることもあったし、勉強を教えてもらうこともあった。情に熱い総一郎の周りには、常に人が集まる。同じような先輩たちにも、たくさん可愛がってもらった。総一郎の隣にいると、ベータだとひねくれる自分も、そのきっかけを起こす彼のことも考えずに済んだ。  夏の大会では、Bチームのトーナメントに参加をすることが決まり、力を尽くした。結果は散々だったが、その悔しさがさらに俺を、空手に熱中させた。総一郎は、着々と駒を進め、団体でも個人でも全国大会出場を決めた。  そうした毎日に、すっかり俺の心は癒されていた。  全国大会に向けて、部内の空気が高まっている2学期の始業式。  俺は、約半年ぶりに、海智と再会を果たす。  海智は、俺の知っている海智ではなかった。  放課後のホームルームが終わると、重いスポーツバックを握りしめ、教室を急いで出る。誰よりも早く行き、練習を始めたい。部室へ急ぐ途中で、足止めを食らう。何やら、人が壁のように立ち尽くし、前に行けない。なんだよ、と眉間に皺を寄せながら、前を見やると、思わず瞠目せざるを得なかった。  つ、とこめかみを冷たい汗がたどった。ど、と心臓が低く嫌に速くなる。 「あれ…城戸崎だよな…」  近くの誰かが、小さくそうつぶやいた。周りも、ひそひそと噂している。  海智の地毛の明るい茶色は、真っ白に近いブリーチをされた色になっていた。肩まである髪の毛をハーフアップにゆるく縛り、服装もだらしなく、ボタンを開けネックレスが光る。両脇には、俺でも知っているほど男にだらしないと有名なオメガが身体を密着させるようにして、歩いていた。  どういうこと…  頭が鈍く痛み出し、視界が揺れる。海智は、かすかに俺を見やったように見えたが、気のせいだったようだ。周囲を何ものとも思わずに、三人の世界に浸っている。彼らが消えると、人も流れ出し、もう廊下には、ほとんど人がいなくなっていた。俺だけが、その場に取り残されて、ただ浅く呼吸を繰り返し、瞬きできずに、冷たい汗を流すだけだった。  なんで。  なんで、先輩は。  なんで。  もう、俺は。  もう忘れたはずだった、心の痛みが、いまだに、海智のことを好きだと言っていることに自覚させられる。  こうして、俺はの初恋は無残な思い出となった。

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