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第21話

「おまたせしましたっ」  海智のもとへ、笑顔を貼り付けて、空元気をこしらえて戻っていく。 「おかえり、大丈夫だった?」  変わりのない甘い笑顔で微笑みかけてくる海智に、つい十分ほど前までの自分なら、嬉しくてたまらなかったと思う。しかし、先ほどの本薙とのやり取りを見てしまったから、素直に受け取れない。それを悟られないように、貼り付けた笑顔を濃くする。 「すみません、かき氷を買ったんですけど、落としちゃって…」 「大丈夫?けがはなかった?」  一番に俺のけがを心配してくれる優しさに、頭の中が混沌としてくる。 「シミが出来てる…せっかく凛太郎に似合うシャツなのに、どこかで洗おう」 「いや!大丈夫です!きっと洗濯すれば落ちますから!」  立ち上がってどこかへ行こうとする海智を必死に止める。あまりにも必死だったのか、海智は眉を下げながらも納得してくれた。 「それより、何買ってきてくれたんですか?」  もう一度ベンチに座るように促してから、少し距離をとって隣に座る。 「ん~俺はね、たい焼き」  はい、と紙に包まれたたい焼きを渡される。おいしそう!と喜ぶと、海智は頬を染めながら、うっとりと微笑んだ。 「りんりんは?」 「俺は、かき氷にしようと思ったんですけど、落としちゃったので、これで…」  たまたま近くにあった飴屋でりんご飴を買った。 「わ、俺、これ食べるのはじめて」 「そうなんですか?」  よかったです、と笑いかけると、さっそく海智は食べ始めた。大きく口を開けて、立派な犬歯を飴に突き立てた。バリバリ、と良い男がして、一口でりんごまで到達する。一口の大きさも、立派な犬歯もアルファらしくて、どき、と鼓動がする。すぐそのあとに、その犬歯を本薙に突き立てるのだろうか、とつい考えてしまって、後悔する。笑顔を貼り付けたまま、顔だけうつむいた。 「…りん?」  声をかけられて、は、と顔を戻す。急いで、どうですか?と尋ねる。怪訝そうな顔を見せたが、そう聞くとすぐに笑顔で、おいしい、と海智はもう一口頬張った。 「りんりんも食べて?」  ずい、と口元に飴を持ってこられて、海智と飴とを交互に見てから、一口、小さく、がり、と噛みつき、ぢゅ、とりんごに吸い付いた。 「おいしいです」  口の中で砂糖が心地よく割れ、りんごの酸味が気持ちよい。甘いものは好きなので、素直に口元が緩むと、それを見た海智は安心したように、また甘い笑みをこぼす。  たい焼きも食べて、とうながされて、いただきますと言ってから、一口頬ばる。キャベツの歯ごたえと紅ショウガの後味が良い。 「お好み焼き味だ、懐かしい…」  これも、海智に初めて紹介されて食べた夏祭りの品物だった。たい焼きと言えば、甘いもの、という概念を崩される刺激的な出会いに、感動しておかわりしたのを覚えている。その淡い思い出に笑ってしまう。すると、急に身体が密着してきた。何事かと目を見張っていると、手元のたい焼きをぱくり、と食べられてしまった。俺が食べた一口分の場所を上書きするように大きな一口が齧り付いたようだ。  目線をその頭と一緒に動かすと、もぐもぐしながら、海智が、やっぱりたい焼きは、お好み焼き味だよね、と笑った。きっと、海智も覚えていてくれたのだろう。じぃん、と胸の奥に温かいものが溢れる感覚がした。心地よい。信じて、いいのだろうか。目の前の海智を。  きっと買った時は出来立てだったであろう、今は冷えたたい焼きを、ぎゅ、と握った。 「やっぱり、かき氷にすればよかった」  そうつぶやくと、海智はすっくと立ちあがった。りんご飴を大きな口に収めた海智は、俺に手を差し出した。 「ブルーハワイ、食べにいこ」  それも、わかっていてくれたのか。  目を見張ると、遠くで爆発音がした。 「あ!花火はじまっちゃった!急ごっ」  そういうと、座っていた俺の手を大きな手が強く包みこみ、引っ張った。  花火の光を受けながら、俺の知らないハイトーンの髪の毛がきらめく。それでも、この手は知っている。  一つひとつの思い出を大切に覚えていてくれた海智を、俺は、信じたいと思った。 「お、間に合ったね」  ブルーハワイをゲットした海智は、そのまま俺の手を引き、神社の境内まで上がってきた。すでにたくさんの人が花火を見るためにそこにいたが、広い境内は、この日のために整えられており、混雑具合としては、それほどではない。少し木々の中に行くと、大きな木のもとにベンチがあった。 「少し見えづらいけど、ここならゆっくりできるから」  雄大に伸びた枝の隙間から花火が見える。大きな花としては見えないけど、こぼれ日のように見える花火は、また見たことない幻想的なものだった。 「素敵ですね」  光の先を見つめながら、そうつぶやく。花火なんて、いつぶりに見ただろうか。それこそ、海智と共にきた夏祭り以来な気がする。今から、もう、四年も前なのか。そう思うと、ふ、とこの場所にも覚えがある気がしてくる。  辺りを見渡す。人は誰もいない。少し遠くの方で、花火に合わせて歓声を上げているのが聞こえる。そうだ、あの時も、ここだった。この条件だった。  振り向くと海智が、俺を見つめていた。花火ではなく、俺を。  空で瞬く無数の火の粉が、木々の隙間から俺たちに降り注ぎ、海智の瞳をきらめかせた。ぐ、と息を飲むと、海智が冷たい手のひらで、俺のを包んだ。 「せ、せんぱ…かき氷…」  冷たい手のひらに驚くと、かき氷の存在を思い出す。そうだ、海智が握っているカップのせいで、こんなに冷たいんだ。早く食べないと溶けちゃいますよ、と明るく伝えようとするが、海智が真剣な面持ちで見つめてくるから、声に出来ない。 「りん…」  膝の上に置いた手を包まれ、あの頃よりも節ばった手の甲を撫でられる。ゆったりと撫でてくる、その指を見てから、視線を戻すと、海智の顔が近づいていた。あ、と思う。甘いバニラの海智の匂い。吐息に合わせて、ゆっくりと瞼を降ろし、首をやや傾ける。  ふ、とにおってしまった。  それに気づいた瞬間、思い切り肩を押していた。海智の身体は簡単に離れた。驚き、瞠目する海智に、どう話をしようときれいに整理できるほど、自分に余裕がなかった。ど、ど、と嫌に鈍く心音が鳴る。さっきまで撫でられていた手の甲で口元を拭う。触れてはいない。でも、寸出でにおった、オメガの香りに全身から冷たい汗が滲んでいるのがわかる。 「りん…どうしたの…?」  顔に伸びてきた海智の手から逃げるように、顔を背ける。その意思に気づいたように、海智は上げた手をベンチに降ろした。なんて言えばいいんだ。小さく俺の名前をつぶやく声は頼りなく、花火の音にあっという間に消されてしまう。大きな破裂音がいくつも続く。パラパラと火の粉が落ちていく音が聞こえる。少しの静寂の中で、海智がはっきりと言う。 「俺、もう、りんとやり直せないのかな」  思いもよらない一言に、今度は俺が驚いて、伏せていた目線を海智に戻した。眉根を寄せて、悲しそうに笑っていた。  こんな時も、先輩は笑うのか。 「俺、りんと、もう一度、一緒にいたいんだ」  力なくベンチに垂れていた俺の手を、そっと握る。嫌がられないことに、安堵したように、少しだけ息をついていた。指と指を絡め、優しく握りしめられる。

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