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第35話

「佳純?」  出ないだろうな、と思いつつ、コールを鳴らすと、予想外に電話の主は受話器を取った。 『…なんだ、凛太郎か』  佳純は、溜め息混じりに答えてきた。そのなんとも彼らしいリアクションに吹き出してしまう。 「なんだよ、お望みのお姫様じゃなくて悪かったな」 『まったくだ』  今年に入ってからか。梅雨頃になってから、佳純が部活動場所と半分偽って利用している教室に彼以外の人影がもう一つ増えたのは。長いこと幼馴染という腐れ縁で付き合ってきたなかで、あんなにだらしない顔をしている佳純を見るのは初めてのことだった。佳純が恋をすると、こんな顔になるのか、と彼の成長を喜ぶ自分がいた。 『用がないなら切るぞ』 「おいおい、用があるから電話してんだよ」  おそろしく無関心でマイペースな男に呆れてしまう。あの小柄で可愛らしい恋人の電話を待っている健気な姿に、にやにやしていたら、切られそうになってしまった。 「あのさ、佳純にお願いがある」 『…手短にな』  そう言いながらも、俺の言葉を待つ幼馴染の優しさに心が、ぽっと温かくなる。 「俺、今の学園が許せない。平和に過ごせないことが許せないんだ」  佳純は、黙って俺の話を聞いていた。 「転校生が学園を荒らしてるのは、さすがの佳純も知っているだろ」 『…よく知ってる』  何か心当たりがあるのか、佳純は真摯な声色で答えた。 「今の生徒会をリコールして、少しでも、みんなが過ごしやすかった学園に戻したい」  悪が正しく成敗され、優しい人が傷つかない学園に。 「そのために、佳純。お前に生徒会長に立ってほしい」 『…は?』 「俺は学園の人間を全員把握している。その中でも、能力、カリスマ性、正しさ、すべてにおいてトップなのは、お前だ。佳純」  お前しかいないんだ。そう告げた時に、後ろのドアが勢いよく開かれた。振り返ると、肩で息をして、汗だくの理央がいた。思わず、握っていた携帯を落としそうになってしまった。耳に当てなおすと、はっきりとした声で佳純が答えた。 『断る』 「はあ?!」  佳純の性格上、こういう表舞台に立つことは面倒くさいこととして処理されてしまう。それはわかっていたが、俺の初めてのお願いは、すげなく断られてしまった。 『だからこそ、俺は七海のそばにいてやりたいんだ』 「だからっ、ちょっ…、また後でかけ直す」  理央がぼんやりと俺を見ながら立ち尽くしているので、そう伝えると佳純からは、結構だ、とズバッと両断されてしまう。 『何度かけたところで答えは変わらない。ただ、困ったことがあれば力にならなくもなくないかもしれない、かも、しれない』 「どっちだよ…あ、じゃあ、またな」  俺が言い切るが先か佳純が電話を落としたのが先か、わからないほど早く電話が切られた。まったく、優しいんだか冷たいんだか。  視線を戻すと、理央が気まずそうに目線を合わせずに立っていた。 「いや、その…先輩、は、大丈夫ですか?」 「あ、ああ…俺は、元気だよ」  視線は合わないが、口角をあげると、理央は安堵した表情をした。 「じゃあ、俺はこれで…」 「え…っ、あ…」  理央はすぐに踵を返して、来た道を戻っていってしまった。どうしたのだろう。すごく慌てて俺のもとへ来たから、何か緊急の用事なのかと思ったが。  理央が俺に会いに来てくれた。その事実に、ほわ、と身体が温かく、軽くなった気がした。  今日集まった情報だけでも片付けて、文章にまとめておく。  加害者のやつらは、昨日の内に教師たちの手によって、親元に返されている。全員残らずだ。由愛さんの意思を持って、彼らの処遇が決まるようだった。しかし、当の由愛は未だに昏睡状態が続いている。大人たちはこのまま、うやむやにしようとしているのではないかという疑念が拭えない。  またどうしてこのような経緯に至ったのかについては、加害者側の話によると、呼び出されて生徒会室に行くと、そこには発情状態になった由愛がいた。そこから、全員がラットに陥り、記憶がないらしい。真偽は定かではないが、もしそれが本当だとすると、黒幕がいる。  加害者の動きから、今朝、掲示板にあの画像を貼り付けたのは、加害者連中ではない。そうなると、その黒幕が行ったことが予想される。掲示されていたQRコードを代表して宇津田が見た。一番、オメガの男に興味がなくて、冷静に見れるだろうという判断によるものだった。なんだってある程度の経験と知識がある宇津田でも、胸糞悪い、と、血管を浮き上がらせながら確認していた。あのQRコードをわざわざ作って、ネットに動画をあげている悪意の強さがうかがえる。これは、すぐに総一郎の人脈を使って削除してもらった。しかし、ネットに一度上げたものは永遠に消えはしない。デジタルタトゥーとはうまい言葉だと思う。  由愛は確かに恨みは買っている方だと思う。親衛隊を守るため、生徒会メンバーの尊厳を守るため、黒いことにもたくさん手を染めてきた人だからだ。愛の深さが故に、禁断の技を使い、多くの人間から疎まれている。それでも、由愛もバカではない。むしろ切れ者だ。風紀委員にとって、由愛と上手に付き合うことは、学園の裏事情を把握するにあたっても非常に重要な責務だ。もともと、過去の出来事の関係で元空手部の俺や総一郎たちに恩のある由愛は、比較的に俺たちに友好的だった。由愛からの情報で未然に防げた事件も多くある。  それなのに、今回は、当の本人を救えなかった。  その憤りが、俺を、より生徒会と本薙への憎悪の力を増大させた。  なぜ由愛は、生徒会以外が鍵を持つはずのない、あの部屋に入れたのか。そして、彼を手錠で縛り、発情状態にさせた黒幕は誰なのか。何が目的なのか。疑問は募るばかりだが、諸悪の根源は明確だ。  本薙早苗。  そして彼を守り、暴君極まりない生徒会だ。  海智の笑顔を思うと、その決断に心が痛む。  少なからずも、彼は学園のために、会計という業務に尽力していた。それを俺は風紀委員だから、陰ながら知っている。本薙が来るまでは、有能な会計担当だった。  でも、生徒会リコールし、本薙から離れれば、海智も、優しい海智に、余計なもののついていない海智になってくれるのではないかと期待してしまう。  だからこそ、俺は、全身全霊で風紀委員の仕事を務めあげなければならない。  心臓のあたりをとんとん、と拳で叩く。  頑張るんだ。俺の大切なひとのために。学園のために。  風紀委員の二学期は、波乱の幕開けだった。 「奥野、今情報が入った、東棟二回トイレに向かえ!」 『了解!』  各方面を巡回している風紀委員にインカムで連絡を入れる。それに合わせて、近場にいる複数チームを現場に向かわせる。  あれから、一週間経つが、毎日、複数件の事案が発生している。ほとんどを未遂で終えているのは、風紀当てへのタレコミのおかげだ。風紀直通の電話もあるし、風紀用のメッセージアプリへの連絡もある。  りりり、と電話が鳴る。すぐさま、受話器を取る。 「風紀です」 『あの、今、男の人たちが、複数人で文芸部の部室に入っていって…明らかに文芸部ではなかったので、その…』  文化棟だ。そのあたりには、理央のチームがいる。 「情報ありがとうございます。まず、君も人の多い安全な場所に移動してください。これから風紀が向かいますから」  インカムにつなぐ。 「理央、文芸部部室だ、急げ」 『了解です』  こうやって立て続くこともある。それでも、風紀委員は自分たちを犠牲に全身全霊で協力してくれている。総一郎が作り上げた優秀なチームだとつくづく実感させられる。その長はどこにいるのかと言うと、生徒会と共に行動している。生徒会専用の寮があり、特別申請を得て、今はそこで生活をしている。とにかく生徒会連中と本薙を押さえておくことは我々の絶対条件だ。 『こちら奥野。現行犯で確保。加害者三名。未遂です』 『こちら長田。こちらも未遂で四名確保です』   二人の早急な対応と連絡に、ほ、と胸を撫でおろし、背もたれに身を預けた。  現場にいる方がよほど楽だ。ここにいると、現状が読めずに、ずっと心配してばかりだ。気疲れとは、こんなにも体力を消耗させるのだとこの仕事をするようになって気づいた。おかげで、夜はしっかりと眠れるようになった。  しかし、安心してはならない。未遂とは言っても、そのような恐ろしい経験は被害者の心に一生の傷を残す。ぎり、と奥歯を食いしばる。そんな人を、これ以上生み出してはならない。 『すみませんっ、こちら笹野ですっ』  インカムであちらから連絡が来るのは良くない連絡だ。 「笹野、どうした?」  笹野のチームは、武道場方面を請け負っている。 『弓道場裏で悲鳴が聞こえました、応援願います』 「わかった、沖原のチームがすぐ近くにいる。合流次第、確保しろ。沖原、聞こえたか?」  笹野と沖原両方から、了解、と返答が来る。  今日はなんとにぎやかなんだろう。さっきから、汗が途切れない。  事案が発生する場所は、それは様々だった。最近は、勝手に部室の鍵をピッキングで開けたり、壊したりすることも増えてきた。そのため、発生箇所が多様化している。高等部だけでも生徒を千人以上抱える学園だ。その分、校内も非常に広い。  二学期が始まったばかりだというのに、また鳴り始めた電話を睨みつけた。これからが本番だと、姿もわからぬ黒幕に嘲笑われているかのような気がする。

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