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第39話
翌日も風紀室の電話は複数回ベルを鳴らした。
どれも大事には至らずに済んで、良かったと心から思う。
昨日、散々泣き腫らした瞼は、理央に言われ通り、帰ってから冷やし続けたが、いつもの二重は腫れ上がり行方を晦まし、目は半分しか開かない。変な顔のまま仕方なしに登校した。まず出会った笹野にどうしたのか心配されるが、忠犬ハチ公物語を見て泣いたと嘘をついた。それでも、おろおろと心配してくれる優しさにほっこりした。次に遭遇した宇津田が珍しく心配して、どうしたか聞いてきた。笹野が説明すると、宇津田はまじまじと俺の顔を、指を指して大笑いした。あまりにもげらげら腹を抱えて涙ながらに笑うので、昔、兄でいつも練習していたヒールホールドというプロレスの禁止にされた最強関節技を決めた。
総一郎が部長会を開くと言い、それに付き添うために、指令本部を曽部と交替した。
部長会では、各部活のエースたちが揃う。ほとんどの部活が優秀なアルファたちだ。そのオーラに後退りそうになるのを堪えて、総一郎に続く。
総一郎から淡々と話がされる。部室の施錠を必ず行うこと。鍵は部長が管理すること。部員が風紀委員に世話になることになると、その部活は一か月の部活動停止とする。それが複数名に上る場合は、該当の部活動は今学期一杯の謹慎とすること。積極的な連絡をお願いしたいと改めて、風紀の電話番号とメッセージアプリのアカウント名を乗せたプリントを配布する。
かなり厳しい処罰だと思われるだろうが、部長たちは全員納得してくれた。
また、可能な部活は風紀のパトロール協力などを頼むと総一郎が願うと複数の部活が名乗りをあげてくれた。その勇気ある行動に思わず鼻の奥がつん、と痛んだ。総一郎と共に頭を下げる。
手を挙げてくれた部長と総一郎が打ち合わせをしている合間に、念のためつけていたインカムから連絡が入る。
『美術室にて不審な物音あり。奥野は別件で動いているため、凛太郎、動けるか?』
「すぐ行けます」
視線が合った総一郎がうなずいたため、こちらもうなずき返して、すぐさま会議室を出る。
『長田も向かわせた、合流してくれ』
「了解」
『了解』
インカム越しに、理央の声が聞こえて心強く思う。美術室は二つ上のフロアだ。急いで階段を上り、教室ドア前に待機する。確かに中から物音と声がする。おそらく、二人…。気配を感じ、振り返ると、理央と笹野がいた。アイコンタクトでうなずくと、ドアに手をかけるが、鍵がかかっていた。風紀で預かっているスペアキーの中から、理央が美術室のものを手に取り、開錠すると同時に乗り込む。
「風紀だ、そこを動くなっ!」
絵具のにおいのする静かな美術室には、男が二人いた。教卓に組み敷かれ腰を打ちつけられている男と、打ちつけている男。俺らを見ると、打ち付けている男が急いで腰を引いて、ズボンを正した。
「な、なんだよ、俺たち恋人同士なんだよ、だから悪いことなんかしてないって」
俺たちの前に両手をあげながら、へらへらと近づいてくる男に顔をしかめる。フェロモンのにおいがしない。おそらく、どちらもベータだ。男の横を笹野が駆け抜けて、教卓に組み敷かれていた男を抱え起こす。その少年のような男は、靴下以外身に着けておらず、広い教卓の上でシャツで身体を隠すようにして俺たちを見ていた。
「校内で性行為を行うことは風紀を乱す行為であり、処罰の対象です。相手が同意であろうと関係ありません」
理央が淡々とそう告げると男は焦ったように、ちょっと待ってくれよ、と言い訳しだす。その内容は、俺たちは恋人同士で愛し合っているから仕方ないといったものだった。しかし、俺にはどうしても違和感があった。笹野が介抱している男の顔色が良くない。この場面をおさえられたから、ということへの焦りの蒼白ではないように思えた。笹野が何度も、肩や背中をさするが、一向に顔色は改善せずに、よく見ると震えている。頼りない薄手のシャツを、指先が白くなるまで握りしめて、自分の身を守ろうとするように抱えている。
ふ、と机の上に、小さい何かがあるのに気づいた。拾い上げてみて、その何かがわかり、この事態の真相が見えてくる。
「おい」
理央に一生懸命、無実になるように説得というかわがままを言っている男に向けて、冷たく声をかける。
「本当に、合意か?」
男の表情筋が、ぴくりと動いたのを見逃さなかった。
「そうに決まってるでしょ…なあ?」
男が、机の上にいる裸の少年に大きな声で同意を求める。その声に、少年はびくりと大きく身体を跳ねさせて、真っ白な顔で何度もうなずいた。
「ほら、あいつもそう言ってるでしょ?」
さっきよりも、見てわかるほど大きくがたがたと震え出した少年を支える笹野が俺を見て、険しい顔でうなずいた。
「じゃあ、なんで、ボタンが引きちぎられてんだよ」
つまんだ小さな透明のそれを男にかざす。みるみる動揺が大きくなる男を後目に震える少年に近づく。震え続ける痛々しい少年の前にかがみ、顔を覗き込む。俺に驚いてさらに目を見張り、歯がカチカチ言うほど震えている。この表情は、悲しいけれど俺はよく知っている。
「本当に、君はあんな男が好きなのか?」
後ろで男が喚き出しそうになるのを、理央が止めている。そっちは理央がいるから大丈夫だ。俺は、目の前の小さくなっている少年に出来るだけ柔らかい声で話をする。
「風紀委員は、君の味方だよ」
そう囁くと、笹野もさすっている手に力をこめて、うんうん、と大きくうなずいた。
「ぼ、ぼく…」
少年は大きな黒目をどんどん潤ませて、ぼろ、と大きな涙を零した。一度涙がこぼれると止めどなく、それは落ちていってしまう。
「嫌だ、って、いいまし、た、でも、やめて、もらえなく、って、写真も、とられ、て…」
瞬きせずに泣く少年を、そっと胸元に抱き寄せる。うわああん、と大きな声をあげて、少年は泣き出した。ちょっと力を入れたら折れてしまいそうなほどに華奢な身体は、すごく冷たかった。
「大丈夫、もう大丈夫だから」
小さな頭を撫でながら、理央に視線をやると、顔面蒼白にした男の携帯を回収し、少し話をしてから、絵具用のバケツに溜まった汚水の中に落とした。すばやく、その男を拘束して、インカムで曽部に連絡をする。
未遂で止められなかった少年に心の中で何度も謝りながら、俺はもう一度、抱きしめ直した。
『本日の活動は以上とする。各自、よくやってくれた』
インカムで曽部の声が聞こえ、ほ、と胸を撫でおろす。無事、今日の任務は終了だ。しかし、喜べなかった。
今日の事案を振り返る。恋人同士で合意の上だと偽られた強姦。二人ともベータのカップルだった。この学園では、ベータでも同性カップルは珍しくない。学生時代の内の遊び、として、色々な経験を楽しむ生徒は多いからだ。片方が、この学園の最近の流れに乗って暴走し、臨んでいないのにセックスに踏み切られてしまった。それも、写真をとって、あの先輩みたいにされたくないだろ、と脅されて。あまりにも理不尽で、怒りで拳が震える。
昨日の今日で、自己投影もしていたのかもしれない。それでも、俺は、傷つかなくて良いはずの人たちが傷つく、今の学園を許せなかった。そして、諸悪の根源を、何よりも憎んだ。
今日は、事件発生のため、総一郎は風紀室にいる。まっすぐに風紀室に向かう。ドアを開けると、委員長席に総一郎が座っていた。
「武島先輩」
総一郎の前に立つ。
風紀室には、総一郎と俺、指令担当だった曽部、報告書を笹野に押し付けようとやってきた宇津田、そして笹野と理央がいた。他のメンバーは、各々直帰したようだ。
「俺、決めました」
はっきりと、まっすぐ総一郎を見つめながら話す。
「生徒会をリコールします」
「お、おい凛太郎…」
「凛太郎先輩…」
後ろで宇津田と笹野が戸惑った声を出す。それでも俺の意思は変わらない。総一郎もまっすぐに俺を見つめ返す。
「本気か?」
低い威圧的ともとれる声だった。
それでも、俺は、昨日見た由愛の残酷な姿が瞼に焼き付いて離れない。ぐ、と手を握る。
「本気です。絶対に譲れません」
じ、と総一郎と睨み合う。真っ黒な瞳は何を思っているのだろう。じり、と汗が滲むが、観念したのは、総一郎の方だった。ぎゅ、と眉根を指で押さえて、長い溜め息をついた総一郎は、すまん、と頭を下げた。
「俺にもう少し力があれば、こんなことは起きなかったかもしれない」
申し訳ない、ともう一度総一郎が頭を下げて、俺はさっきまでの威勢はどこへやらで、おろおろと、やめてください、と言うしかなかった。
「…これ以上、あいつらを野放しにしておくのは、如月にも、学園のやつらにも申し訳がたたん」
「い、委員長…」
宇津田が後ろで狼狽えている。しかし、総一郎は、頭を上げると苦し気に笑った。
「俺も力を尽くそう」
「武島先輩…」
総一郎の心強い一言に、全身の力が抜けた。今までどれだけ気を張っていたのかを感じた。近くにあったソファに身体を収める。
「お前たちにも手伝ってもらうぞ」
にこやかに総一郎が後ろにいた彼らにも声をかける。ええ!?と息ぴったりに宇津田と笹野が声をあげる。理央も驚いた表情でこちらを見ていたが、ひとつ溜め息を零すと笑顔になる。
「なんか、楽しくなってきましたね~」
「ばっか、逆だろ逆!」
けらけらと笑う理央に宇津田が慌てて突っ込む。笹野は冷や汗をかいていた。
曽部は、目を固く閉じ、腕組みをしたまま動かない。しかし、否定の言葉は出てこないため、同じ意見なのだろう。
「これは、ここにいるメンバーだけの極秘任務になる。絶対に外には漏らさないように。」
真剣な低い声で総一郎が言うと、わちゃわちゃ騒いでいた三人が、はい…と生唾を飲んだ。
「凛太郎、もちろんその件も力を尽くすが、まずは学園の安全が第一だ」
総一郎がそのままの声色で、まっすぐに俺を見て言い放つ。もちろんです、とうなずく。
「明日から、忙しくなる。今日もしっかり食べて、しっかり寝てくれ」
はい、と全員の声が揃う。そのあと、総一郎はまだやり残したことがあると言って、曽部と二人、風紀室に残った。俺たち四人は並んで帰る。明日から、四の五の言っていられない。俺たちが頑張らないで、誰が頑張るんだ。ここに並んだ四人は、全員同じ気持ちだった。
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