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第46話
すっかり日は暮れて、寮へ帰れという理央を引き連れて、風紀室へ戻る。中はメンバー勢ぞろいで俺の心配と帰りを泣いて喜んでくれた。すまなかったと頭をさげると、総一郎がつかつか目の前にきて、厳しい顔で見下ろされた。
「こんな学園で、単独行動なんてありえない」
「はい…すみませんでした…」
覚悟をして、目をつむって待っていると、ビシィッと部屋に響くほどの勢いの良いデコピンをかまされる。あまりに痛くて、涙目で総一郎を見上げると、無事でよかった、と微笑んで頭を撫でられた。ぽろ、と涙が出てしまう。
「あ~委員長が凛太郎のこと泣かせた~」
「ひっど~い」
奥野と宇津田が茶化すと、総一郎は決め顔で
「いい男は、あらゆる人を泣かせてしまう運命なんだよ…」
と無駄にいい声で言うもんだから、つい笑ってしまった。
みんなで、温かく笑い合った。よかった。この空間にまた戻ってこれて。
理央が助けにきてくれなければ、俺は俺を保てていただろうか。
理央を振り返ると、嬉しそうに微笑みかけてくれた。とくとく、と止まっていた心音が早く動き出すような感覚に、指先がじん、と熱で痺れた。
「さ、みんな今日もご苦労だった。各自、英気を養ってくれ」
明日もバシバシ働くぞ~と総一郎が声をかけると、返事をして周りのメンバーはそれぞれ帰路につく。俺も帰るか…と荷物を持とうとすると、後ろから伸びてきた長い腕にカバンをとられてしまった。その腕を目線で追っておくと、唇を尖らせた理央だった。
「先輩は帰れません」
「は…?」
俺が理央に瞠目している脇で、総一郎は気を利かせて、自分も含め人を追い払った。いつの間にか静かになっている風紀室に俺と理央しかおらずに驚いていると、理央はその荷物を近くの椅子に置いた。
「どういうこと?」
せっせとソファーの背もたれを倒し、簡易ベッドにする。このソファは昔、風紀が多忙だった際に委員長が持ち込んだものだと聞いたことがあったが、本当にベッドになるとは、初めて知った。
「本当は、身体を休めてほしいんですけど」
振り返った理央が、目を潤ませて、真摯に俺に告げる。
「今日だけは、今日だけは一緒にいてください」
「理央…」
一歩近づいた理央は、俺の手を両手で包んだ。
その顔に、俺が弱い、ということを、この後輩はよくわかっていた。
「仕方ない…今日だけだぞ」
部屋の奥から大きいバスタオルを二枚、持ってくる。大型犬は耳をぴんと立てて、大きい尻尾をぶんぶん振って、ソファの上で正座をして俺を待っていた。
「お前がソファ使うのか?」
俺が床?そう首をかしげると、理央は俺の腕を引っ張って、自分の身体の上に俺をうつぶせの状態で抱きしめた。
「お、おい!」
「今日だけ…今日だけだから」
耳元に吐息を吹き込まれてしまうと、身体の芯がぐじゅ、と溶ける音がして、許してしまう。
「わ、わかったから…」
なんとか腕の中から這い出ると、電気を消して、ドアに鍵をかけた。そしてソファに戻ると、理央がバスタオルを持ち上げて、俺を待っていた。仕方なしにその中に収まってやると、理央が嬉しそうに俺を抱きしめ直した。バスタオル一枚では寒い、と思っていたが、理央の高い体温が心地よくて、気にならなかった。とくとく、と聞こえる心音と、優しい甘い理央だけの匂いに、一気に眠気が襲ってくる。理央はずっと俺の頭を撫でている。まるで、赤子をあやしているようだった。でもそれを嫌がるには、あまりにも心地よ過ぎた。
「理央…」
意識がとろとろと溶けていく。重い瞼を閉じる。
「ありがとう…理央がいてくれて、俺…」
ふわ、と匂いが強まったのを感じると、俺は意識を手放した。
そのあと、理央が俺の寝顔に、ひっそりとキスを落して、好きだ、とつぶやいたことも、カバンの中にあった携帯に海智からの着信が着ていたことも、気づかなかった。
翌日、奥野が登校してきたので、理央は一度寮に帰り、身支度を済ませることにした。奥野と共に、昨日の事案の確認をした。
加害者の覆面五人は、全員、由愛の事件の加害者だった。俺は被害届を出すつもり満々だ。しかし、あの後の五人は、まず理央の手によって、顔面の判断が出来ないほど殴られたり、身体のあちこちを骨折させられたりと重症を負わされ、おまけにドエスの沖原と、新たな才覚を目覚めさせてしまった笹野の二人の手によって、男としての機能を失ってしまったらしい。それは俺たちしか知らない裏の事実だ。魂の抜けた五人は、何も供述できないらしいので、仲間打ちの結果、ということにされてしまいそうだ。罪悪感を吐露すると、奥野が満面の笑みで大丈夫!と言ったので、いいことにした。むしろ奥野はそれでは足りないとそのままの笑顔で、風紀の女神に手を出したのに命がある時点でやつらは神に感謝すべきなんだとかなんとか、訳のわからないことをぶつぶつと繰り返していた。
「それと、やつらが持っていた薬品を確認した」
ジップロックに入ったままのそれを見せてくれた。怪しげなピンク色のとろみのある液体は、ローションだ、もう一つの茶色のビンは見覚えがなかった。
「こっちのピンクのは、オメガフェロモンが配合された違法ローションだった…」
これを使って、やつらアルファは興奮状態に入ったようだ。確かに、これが垂らされてから、明らかにあいつらの目の色が変わった。
「それとこっちは、クロロホルム」
以前、俺と宇津田が現場で匂いを感じたのは、この薬品だったんだ。と付け加える。
俺はこれを嗅がされて、意識を失った。そして、気づいたら、あの倉庫に連れ込まれていた。おそらく他のオメガたちもこれを使って、拉致されたのだろう。
「こんな物騒なもの…誰が横流ししてんだ…」
「そう、それが問題なんだよ…」
俺たちは依然、何者かもわからない黒幕の手のひらで踊らされているのだ。
さらに気がかりなのは、やつらがなぜ、わざわざベータの俺を狙ったのか、だ。今までの事件の中でもベータが被害者になる事案はとても少ないがあることにはあった。しかし、狙われたベータは、大体学園内でも有名な美人どころだった。わざわざ風紀の俺に手を出すには裏の意図が感じられた。
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