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第15話 二人の選択
自分の部屋のクローゼットを開け、張り巡らされた写真たちを一枚ずつ剥がしていく。どれも彼が映っている盗撮写真だ。帰り道で猫と戯れていたときのものや、運動着に着替えているときの写真など、あらゆる場面をあらゆる方法で盗み撮った宝物。犯罪なのは分かっているけど、これが俺の心を少しでも埋めてくれていた。
そう、俺は1つ気付いたことがある。心は、元から空いていた。いつから空いていたかは分からない。でも、こうして振り返っていくと、おのずと自分のしてきたことを冷静に振り返れる。振り返ってから、やっと自分は自分の心の埋め合わせを求めていただけなんだと理解できる。
一枚、一枚写真を剥がして、手の中に収めて全部取り切ったところで、剥がした写真たちを胸いっぱいに抱きしめる。
「さようなら、俺の想い。」
そして、抱きしめた写真すべてをゴミ袋の中にばら撒き、捨てる。儚く、空 しいと思う気持ちが心を締め付けた。
このまま捨ててしまえば、二度と、拝むことも心を埋めることもできなくなる。けれど、それで良い。叶わない想いを願って、想うだけの虚構は心埋めても虚構に過ぎないのだ。絆創膏のように、傷口に蓋をしているだけである。その傷からにじみ出た痛みは、同じ絆創膏では相性が悪いだろう。いずれ、膿 になってしまうのがオチだ。
ゴミ袋の中には、盗聴器やボイスレコーダー、小型GPSなどの代物も混じっている。そんなゴミ袋の持ち手を両手で掴み、開かないようにとしっかり硬く結ぶ。もう二度と、こんなことをしないように。
「うっ、ふうぅぅ……」
不意に彼への想いが溢れ、情けない涙がボロボロと零 れ落ちた。しかし、俺は振り切るように涙の根源を荒く振り払った。
「泣くなっ、決めたんだろ、いい加減強くなれよ……!」
そう自分に言い聞かせ、拳を自身のふくらはぎに打ち付ける。
俺は決めたんだ。この想いを完全には諦められないし、かと言って邪魔ができるわけじゃない。でも、ケリをつけなければ、妥協しなければ、本当に叶えたいことは叶えられないだろう。二兎を追う者は一兎をも得ず、俺は一度この不純な気持ちにさせる物を処分して誠実さを得たい。そうすれば、一兎は得られるかもしれないから。
「……だから、もう、すべては願わないよ。」
俺は、俺の不純なものが入ったゴミ袋を手に、自室の扉を開けた。
* * *
「おはよう。」
「おう。」
大学へ行く途中、遼と会って共に通学する。態度は変わらず、だがどことなく雰囲気が変わっている。いや、俺が少しよそよそしくなっているのだ。
俺たちは昨日の出来事を通して正式に恋人同士……になった。嫌に感じてはいない。真逆だ。嬉しいし過ぎて、恋人という響きが自分の中でこだましてドギマギする、などという変な現象に襲われているのである。我ながら奇妙な感覚だ。
対して遼はカラっとしている。いつも通りでむしろ安心する。ただ、遼はときに奇想天外なことをするから油断できない。あのときのように、急に……。
「謙。」
「ん?」
記憶がフラッシュバックしかけたところを、遼が立ち止まって俺に声をかけた。なにかと思って遼の方へ目をやると、遼は目の前をただ見ていた。その視線の先を追うと、そこには晴人がいた。
「お前……」
俺が反応を示すと、晴人は穏やかな笑顔を見せた。
「おはよう、二人とも。」
晴人は俺たちの目の前に立って、営業スマイルを見せてくる。だが、その笑顔にはどことなく清々しさがあった。どこか、違う気がする。
「なにか用。」
晴人に対し、遼は一定の声色で質問を投げかける。晴人は笑顔を崩さず、そのまま近づき、やがて頭を深々と下げた。
「ごめん。ストーカーしてたこと、言い寄ったこと、不快にさせたり怯えさせちゃったこと、全部謝る。」
急になんだと思えば、晴人は頭を下げたまま謝罪の言葉を連ねた。
「謝って、なんになんだよ。」
俺は疑問の言葉を口にする。晴人は以前、頭を下げたままだ。
「俺なりに考えたの。俺は君たちの邪魔も、不快になるようなことも今後一切しないと誓う。今日はその意思表示と、お願いをしに来た。」
「お願い?」
「うん。俺、まだ好きな気持ちは捨てきれない。でも、もう無理に付き合って欲しいだなんて言わない。分かってるから。」
「……」
「じゃあ、何を願うっていうんだ?」
一拍置いて、晴人は小さく息を吸った。
「謙くん……俺と、友だちになってください。」
何を言うかと思えば、晴人が願ったのはそんな些細なことだった。いや、晴人にとっては大きなことかもしれない。俺が、あの人に期待したように、遼との日々が続けばと願ったように。
そんなことを考えると、なぜかいたたまれないと感じてしまう。過去の自分の行く先は、目の前の晴人と同じかもしれないのだ。だが、今までの行動を許すのは無理がある。だから、俺なりの答えを示そう。
晴人の下がり続けている頭に、そっと手を置く。
「お前のしたこと全部、許さねぇ。二度目は無い。けど……」
俺は頭から手を離す。
「お前の、好きにすりゃいい。」
そのまま晴人の横を通るように、俺は歩き出した。遼も何も言わず、歩き出した俺を追って横に並んだ。
背後からは、何も聞こえない。が、その代わり、遼が口を開いた。
「甘いね。」
「……かもな。」
このやり取りを最後に、大学へ向かう。普段と同じなようで、少し違う。それはおそらく、もっと内部的な違いだ。
俺は甘いだろうか。実際のところ、俺はストーカー行為や向けられる好意に対してリアリティを持てなかった節がある。ずっと孤独だった俺は、何か向けられるとしても敵意や嫌悪でしかないと思っていたんだ。それが本質的には、己が自身対して抱く感情だとも知らず。
だからだろうか。昔の俺と晴人を重ねて見てしまった。誰かに期待して、盲目的な恋をして、歪んだ。そんな晴人に、昔の自分に、俺は“前に進んで欲しい”と思った。期待や恋も、過去にも囚われず、好きに生きていいんだ、と。
この先の未来が良くなれば、俺はそれ以上のことは願わない。たとえ、辛い現実が待ち構えていたとしても。
「謙。」
不意に横から声がした。遼の低くて小さな、俺の好きな声。その声に誘われ、俺は声の先へ顔を向ける。
顔を向けたと同時に、遼は目の前で左手を差し出した。
「この手、取って。」
「ぅえ?」
突拍子もないことを言う遼に、俺は裏声混じりの驚きを発した。それでもなお、遼は取れと言わんばかりに手を差し出し続ける。その根気に負け、俺はゆっくり手を出し、差し出された手にそっと手を置いた。
すると急に手をギュッと握られ、体がビクッと跳ねる。それも指を絡めながら、やけにしっかりと握ってきた。それから、遼はこちらの目を捉えて無表情のまま口を開く。
「行こ。」
ぶわっと顔が熱くなる。遼の行動と言動は、俺の想定を遥かに超えていて、慣れるのに膨大な時間がかかりそうだ。
「……おう。」
俺は少しだけ遼から目線を逸らして、小さく返事をする。握ってくる手を握り返して。そして、お互い前を向いて歩き出す。
"俺たち"の未来に向かって――。
【静かな二人 -開幕編- 終】
軌跡は続く……
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