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第1話
晩秋の日没は早い。五時を過ぎればあっという間にあたりは真っ暗になる。
俺、佐々木(ささき)圭輔(けいすけ)は水道のパーツメーカーの社員だ。二年前に千葉中央支店から、群馬支店に営業職で異動となった。
給料はまあまあ、残業と休日出勤はたっぷり。有給の消化は推奨されていても、休日でも代休日でもお構いなしに電話やメールがきて、ゆっくり休めることはない。
水道が壊れたら、どこだって大惨事。そして修理は大至急で、パーツの納品は至急。お得意様なら大至急にも対応しなくちゃならない。
今日も土曜日だったが、日中、急遽お得意様に納品に行くことになった。
現在は納品を終え、高崎市内の自宅アパートへ社用車で直帰の最中であった。
うねうねと曲がる峠越えの国道を走りながらも、頭は夕食のことでいっぱいだ。
ショッピングセンターに寄って夕食を買って、家に帰ったら風呂に入って、ビールで晩酌だ!
渇いた喉を潤す金色の液体を想像するだけで、口の中に唾が溜まる。
惣菜をつまみにビールで晩酌しながら、オンラインゲームにログインし、日課をこなしつつ、ネットで深夜アニメを視聴して就寝。これが俺の日常だった。
そう。俺は、オタクだ。
かといってディープなオタクではない。アニメやゲーム、ラノベや漫画を生活の邪魔にならないていどにたしなむライト層だ。
「そろそろ、予約していたマグオプのランベルトフィギュアが届く頃だっけ……」
マグオプとは、七年前に配信開始したオンラインゲーム、〝マグヌムオプス・ウィリディタス〟の略称だ。
何者かによって悪魔を封印した書物ゲーティアから悪魔が解放されてしまい、聖女アルディスが悪魔を封印し直す旅に出る、という内容だ。
主人公の勇者は男女両方から選べて、途中任意に変更可能。聖女と出会った主人公=勇者が聖女とともに故郷から旅立つところでチュートリアルが終了。その後は、悪魔を封印しながら旅の仲間を増やしていく。
ランベルトは物語の序盤で仲間になる騎士で、マグオプの人気キャラクターだ。
最初は強敵として登場し、物語が進むにつれ絆され、最後には仲間になるおいしい立ち位置な上、金髪碧眼の恵まれた容姿をしている。
愛する女性が悪魔に憑かれ、人格も容姿も変容してしまい、最後は自らとどめを刺して死によって救う……というヘビーなエピソードをもちつつ、普段はボケキャラという落差が魅力だ。
初期ステータスが高く、育てればかなり攻撃力がありつつも装備によって防御力もそれなりになる、ゲームは一日二時間までの俺にとって、非常にありがたいキャラだ。
難敵に手こずり、もうダメだと思ったところでランベルトの必殺奥義で辛勝するうちに、奥義が出ると、『抱いて!』と叫ぶほどのお気に入りになった。
たまに我に返って、二十八歳にもなって何をしているのか、と思うこともある。
が、それはそれ、これはこれ、だ。
そもそも俺には、結婚しろとせかす親はいない。
結婚したいという彼女もいない。
母親は小学一年生の時に交通事故で亡くなった。
父親は高校二年生の時にガンで亡くなった。
その時、親身になってなぐさめてくれた隣家の幼馴染といい雰囲気になり、告白に成功。大学に進学してからは、いずれ結婚を……と考えるようになっていた。
ところが、大学三年になった時、幼馴染が俺の高校時代からの親友と俺に隠れてつきあっていた、という事実が発覚する。
「どうせなら、俺と別れてからつきあえよ」と、泣きながらふたりに訴えたところ「だって、圭くんは可哀そうだし……別れるって言ったら自殺しちゃうかもって、ふたりで相談して秘密にしてたんだよ!」と明るく幼馴染に言われてしまった。
その時の俺の気持ちをどう言い表せばいいのか。
いろんな意味で、惨めだった。
幼馴染の偽善めいた優しさも、親友の見当はずれな気遣いも、うっかりふたりがやってる最中に踏み込む間の悪さも、両親がいないことも、何もかもが嫌悪の対象となった。
恋人と親友を同時に失った俺は、悲しみをまぎらわすため、たまたまはじめたマグオプにのめり込んだ。
ランベルトが恋人を殺すシーンをくり返しプレイしては、「裏切り女は、デストローイ!」と叫んで爽快な気分を味わうていどには、病んでいた。
そんなだから、女性と表面的な会話はできるが、まともにつきあう気にはなれない。
第一、オナニーはできても、セックス全般が無理だった。AVを見ようものなら、即座にリバースしてしまう。あの事件の前までは、胸と尻なら断然、胸派であったが、今でもグラビアアイドルの水着写真を見るだけで、口の中にすっぱい液が込みあげる。
「どう考えても、詰んでるよなぁ……」
三十歳を過ぎれば、会社でも独身をネタにいろいろ言われたりいじられたりするだろうし、そういう未来を想像するだけで、あまりの面倒臭さにため息が出る。
なんかもう、全部ヤダ。なにもかも放り出して、どこかに逃げてしまいたい。
そう、心の中でぼやいた瞬間だった。前方にうすぼんやりと青い光が見えた。
道路が……光ってる!?
カーブの手前で道路が青く光っている。そう状況を把握した時には、怪しい光は目前に迫っていた。
青い光は、マグオプでキャラが奥義を放つ時の魔法陣エフェクトに似ていた。
「魔法陣……? まさかなぁ……」
そうつぶやいた時、社用車は青い光に差しかかっていた。ちょうど円の中央に車が至った瞬間、強烈なめまいに襲われた。
「うげぇっ」
めまい、そして、強烈な吐き気。おまけに頭痛。
とっさにハンドルにしがみついたが、ここはS字カーブが続く山道だ。
魔法陣のすぐ先もカーブで、ハンドルにしがみついている場合ではない。
あ、俺、死んだ。
目の前にガードレールが迫り、心の中でつぶやいた瞬間、ふっと圧迫感が消えた。
握っていたハンドルの感触も消えて、俺は身ひとつで白い石畳に座り込んでいた。
「へ?」
間抜けた声を出して顔をあげると、ヨーロッパの中世から近世っぽい――マグオプで見たような――装束に身を固めた男が五人、目の前に立っていた。
部屋の中は暗く、鬼火のような光が宙に浮かび、周囲をほのかに照らしている。
男たちはみな、思いつめたような、真剣なまなざしで俺を見ていた。
これは……えっと……まさか……。
「異世界、召喚……?」
異世界転生ならば、俺は、ある日突然、前世の記憶を思い出すはずなのだ。
突然、見知らぬ場所に飛ばされて、見知らぬ人に囲まれている場合は、異世界召喚。
いやぁっふううううう!!
一瞬でテンションが爆あがりだ。
ありがとう、異世界召喚。これからはチート無双! マグオプの世界なら勇者になって強くてニューゲームだ!!
期待に胸を膨らませた俺に、一番小柄のもさっとした男が話しかける。
「はじめまして、異世界の方。私は、秘書官のレッド・キレーンと申します」
男の声は、わけのわからない音の連なりと日本語の副音声になっていた。
聞きづらいので日本語に意識を集中させると、意味不明の音が消え、最後には完全に日本語だけが聞こえてくる。
これは、異世界召喚によくある優遇措置。言葉に不自由しないというアレだ。いよいよチート無双が確実だ。顔のニヤニヤがとまらない。
「俺は、圭輔。佐々木圭輔。名字が佐々木で名が圭輔だ。……異世界の方……ということは、ここは俺のいた世界とは違う世界なのか?」
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