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1 序章
地下鉄に乗っていると、時折思ってもいないことに遭遇する。
初冬の朝の満員電車の中、ブレザーの制服を着た高校生が、俺の胸に凭れてくうくう寝息を立てている。
手に参考書を持って熟睡している姿が微笑ましい。
受験対策用の参考書だからきっと三年生だ。
俺は職業柄、入試を控えた子供には寛大だ。
立ったまま寝るなんて、よほど勉強で疲れているのだろう。できればもう少し休ませてやりたいが、残念ながら目的地に着いた。
「おい、おい、起きろ」
スピードダウンする電車の揺れに合わせて、その高校生の肩を揺する。彼は寝ぼけて俺のスーツに額を擦り付けてきた。
プシュ、と開いたドアから乗客たちが降りてゆく。高校生の顔を碌に見ることもなく、俺も座席から立ち上がって人の流れの中に紛れた。
「徹夜はよくないぞ。あまり無理するなよ」
その言葉は、受験生の彼に聞こえても聞こえていなくても、どちらでもよかった。
どうせもう会うこともない。いや、会うべきではないのだ。
俺は浪人生の味方、予備校の講師だから…
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