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第1話

 オフィス街に場違いな人間が二人いる。  短パンTシャツにキャップ帽を被った方は、大柄なのも相まって一歩一歩の歩幅が大きい。スポーツバッグを背負い、ポケットに両手を突っ込んで歩く作法の悪さに、向かい側から歩いてきたスーツ軍団が道を空ける。その後ろにいる男も同様だ。オーバーサイズのパーカーを着てフードを被り、歩き煙草をしている。  名前を宮田(みやた)城前(じょうまえ)という。 「社長は、そのような者は知らないと申しております」 「あ?」  宮田が威圧的に聞き返した。  2人は一際背の高いビルに入り、受付嬢に社長を名指しした。アポイントメントはとっている。当然、中に通されるものだと待っていた。 「知らねぇわけねぇだろうが」 「宮田」  明らかに受付嬢は怯えている。大きな背を丸め、受付嬢の目線に合わせてカウンターに肘をついた宮田を、城前が止めた。せめてもの愛想笑いをする。   「アポは取ってるはずだ。もう一度聞いてくれ」 「いえ、スケジュールを確認してもこの時間は何も」 「面通しは俺らのルールだが反故にすると損するのはおたくらだぜ。いいからもう一回聞け」  言葉尻を奪い取ると更に受付嬢が怯えた。目が笑えないのは城前の欠点だ。隈で縁取られた目元はフードの影でさらに暗い。受付嬢はもう一度、社長室へと電話をかける。 「……社長は、あなた方ではない、と……」  2人は目を見合わせた。  社長とアポを取ったのは2人が取引する仲介会社で、誰がここに来るかその時点で決まっていなかった。自分たちに任されたのは昨日のことだ。今日初めてクライアントに自分たちがやると名乗った。  今、名前を聞いただけで断られようとしている。 「なるほど、チェンジか?」 「えー、面も見てねぇのに?」 「そこまで名が売れてるとは思わねぇな」 「社長サン、デリ呼んだことねぇだろ。今どきタダでチェンジできるところねぇぞ」 「ははあ、ルール説明しとくか。貸せ」  2人はガラが悪い上に話している内容も品がない。アポを取ったはずなのに会ってくれないことを、デリバリーヘルスのドタキャンに例えている。後ろを通るスーツ達は怪訝そうな顔をして、わざとらしく大きく2人を避けた。  受付嬢だけがカウンター内に居て避けられない。  固まって動かない受付嬢に、もう一度城前は「貸せ」と言う。受話器に手を伸ばし、ゆっくりと奪い取った。 「わざわざ出向いてやったのにつれねぇじゃねぇか。キャンセル料たけぇぞ」  城前は受話器を耳に当ててすぐ、名乗ること無く告げた。この電話の向こうには社長がいる。   『……金なら払う』 「同じ金を払うなら仕事をさせた方が得だろ。名前も居場所も割れてんのに俺らを雑に扱ったら後悔するとは思わんのか」  脳天気なクライアントに忠告した。  殺し屋の恨みを買ったらあとが怖い。何せ容赦がない。恐ろしさに気づいた社長が『入れ』と短く言った。  城前は受話器を投げて返し、「入っていいだとよ」と相棒に告げる。奥に歩き始めると、宮田も後ろをついていった。スーツの先客がいるエレベーターの中に入る。  最上階に向かう2人を残して、途中途中の階でスーツは1人ずつ降りていった。2人きりになる。 「お前、デリヘル呼んでんのか」  城前が宮田に聞く。先程のチェンジの話題だ。やけに詳しかった。 「いやー? 働いてたんだよ。運転手やってた。チェンジのときは交通費だけもらうんだけど、車送迎だから嬢には入らねぇで店だけ儲かる」 「ふーん。モテたか?」 「嬢にぃ? 誘ってくんのはババアだけだわ」 「はは、可愛がられただろ」 「断ったっつーの」  和やかに会話していたら目的地についた。  エレベーターを降りると急に開放的だ。秘書室はガラス張りになっていてすぐに中の人間と目が合う。2人は無言で扉を開けて秘書室の中に入り、両側から視線を感じながら更に奥へと向かった。奥にある社長室もガラス張りだが、2人の姿を見た女がブラインドを下げた。会釈をして部屋から出ていく。  残ったのは城前と宮田、それから日本有数の財閥グループの宝勝(ほうしょう)一族、その御曹司だ。 「悪いが、チェンジだ」  宝勝は立ち上がりもせず、結論を繰り返した。2人の懸念通りだった。 「理由は?」  齢50の御曹司は財閥を背負うことが決定づけられている。仰々しい木製の机は、現代的な開放的な部屋の雰囲気には合わないが、その立場には似合っている。黒い革張りのチェアに座る宝勝に、城前が近づく。 「面が気に食わねぇって話じゃねぇな。俺らの何を知ってる」 「あんたが有名な殺し屋なのは知ってる」  机に腰掛けて迫る城前に、宝勝は淡々と告げた。 「急ぎの仕事で確実に殺すが、その跡を残さない。殺し方が綺麗で人気なんだろう。それでは困る」 「なんで困る。確実に足がつかないようにしてやってんだ。お偉いさん向きだと思うんだが」 「今回は見せしめだ」  有能な経営者は暴力を商売にしている相手でも怯まない。眼の前の机に行儀悪く座り、頭上から見下ろす城前をまっすぐ見返して話す。 「足がつかないようでは意味がない。俺がやったと分かっても、俺が捕まらないようにして欲しい。俺に逆らったことを後悔させながら殺し、他の連中に恐怖を与えて欲しい」 「……へえ」  たかが一権力者の宝勝が恐怖政治を行おうとしていた。独政を敷いているわけではない、法治国家の日本でそれはただの犯罪で、本来なら隠すべきものだ。それをわざと明るみに出し、尚且つ自分は責任を取りたくないと言う。  宮田が「あほらし」と一言吐き捨てて部屋を出ようとする。 「そんなんヤクザの鉄砲玉にでも頼めよ。つーかてめぇでやれよって話だ」 「まあ待て」  城前が宮田を止めた。口だけで制し、視線は宝勝に向けたまま。  口の端を上げる。 「気にいった。俺にやらせろ。ちょうどいい犬を飼ってる」  視線で宮田を指した。犬と呼ばれた宮田は否定しない。深夜に喧嘩して警察から逃げる宮田を、城前が「かくまってやろうか」と拾ったのだ。概ね城前の言い分は合ってる。 「あいつは言えば女子供でも平気で殴るし犯す。顔の形が変わるどころか顔がなくなるまで殴る。基本は殴殺だ。殺し方が綺麗なんじゃねぇ、俺の掃除が上手いんだ」  舌で転がすように城前は慣れた言葉をつぶやく。 「"時計のない部屋(ルーム)"」  瞬間、光の屈折が城前から生まれて広がった。箱状に伸びていく虹色の光が境界線となり、部屋をすっぽり覆うと消えた。シンと静まり返る。音がなくなるだけでなく、外の気配が一切消え去った静寂だ。この部屋だけ外界から切り離されたような感覚に、ずっと冷静だった宝勝が振り返って窓を見た。  先程まで晴れ渡っていた空が暗い。  まるで色を無くしたようだ。色があるのはこの部屋だけ。 「動くなよ」 「なっ」  城前が宝勝に跨った。高級な椅子は革と衣服の衣擦れの音を立てただけで、2人分の体重をかけても軋みもしない。 「俺の異能力だ。今、。発動後、この部屋で起こった全ては能力を解除すれば元に戻る。壁を壊そうが、物を投げようが、元の状態や場所に戻る。ただし命がないもの限定だ。中の人間が怪我をしたら、それは戻らない」  城前が被っていたフードを下ろした。白すぎて青いとすら感じさせる肌が露出する。真っ白なキャンパスに配置された黒目がちの瞳や、薄く色づいた唇のコントラストが際立ち、宝勝は目が離せない。  動けないのはその姿のせいだけじゃない。 「命あるものに起こったことは戻らない。――死体になったら別だけどな」  脅されている。  今、死んだら完全にこの世から消える。  この部屋内で死んだら死体は消え去り、体そのものがなくなる。それは命がないものだから。元々無かったものは部屋の中から消え、部屋は元に戻る。  人を殺すのが上手いと有名な城前が今、自分の上に乗っている。ビジネスでは百戦錬磨の歴を持つ宝勝でもそれにはつばを飲み込んだ。するりと首裏に手を回されると、心臓が鳴った。まだ、かろうじて脈打って生きている。  首を絞められるのではと案ずる宝勝の予想に反して、城前はぐっと顔を引き寄せ、唇を塞いだ。引き結ばれた宝勝の唇をぺろりと舐めて、口を離す。 「……オプションも付けてやるから俺にやらせろ」  鼻先がくっつく距離で宝勝を口説き始めた。 「"異能の王座決定戦"なんぞ馬鹿げた祭りのせいで俺らも仕事がない。祭りの間は店じまいだ。金がいる」  宝勝の依頼は報酬が良かった。リスクのある内容だからだが、改めてその依頼方針を聞いても、それを達成できるという自負が城前にはある。ついでに言うと宝勝の面も体も城前の好みだった。  髭のダンディでチンポがでかそうで。 「っ、お前……!」    城前がベルトに手をかけてゆるめ、宝勝のシャツの下に手を潜り込ませるとさすがの宝勝も抵抗した。それでもべったりと体を倒した城前に耳を甘噛されると、途端に動けなくなる。 「安心しろよ。俺で勃たなかったやつ、いねぇから」  扉の近くでその様子を見ていた宮田が、声を出さず「げぇ」と舌を出して吐くふりをした。

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