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第23話 婚約話

 本多の家の住人たちは休日の朝も早い。日課のランニングは欠かさないし、朝の弱い重岡も9時過ぎには起きている。  土曜日の朝で一番遅い慶介が起きてくるのは10時過ぎ。シパシパする目を擦りながら入ったリビングに見慣れない姿を見つけて眠気が消え去った。 「おはよう、慶介。起きるの遅いね」 「お、おはようございます。・・・金曜はジムに行くから、その疲れで・・・」  スーツ姿の信隆がいた。  ノートパソコンとB4サイズのタブレット、スマホが2台、それらが信隆の前にあり仕事で大阪に来たのだと予想した。  信隆が『僕は気にしなくて良い』と言うので、いつも通りコーヒーメーカーに3人分の粉をセットして、スイッチを入れてから充電しておいたスマートウォッチを腕に着け、現在の状態を『起床』に切り替える。すると、パンを焼いている内に起床の通知を見た重岡がやってきて、コーヒーが沸き次第、慶介の席まで持ってきてくれて、そのタイミングでみんなの予定や今どこにいるのかを教えてくれるのだ。  今朝は、景明と酒田は月に1度か2度ある手合わせに道場行っていて、水瀬は会社じゃないけど仕事中で外出中だそうだ。 「重岡さんは仕事じゃないんですか? その服、外行きの仕事着ですよね?」 「え? ええ、まぁ。仕事は仕事ですが、外には行きません。信隆さんから指示があった件が完了したのでその報告を・・・」  重岡の視線がパソコンの機器に向かったので、信隆は会社の仕事をしていたのではなく、この家の用事のためにここに居るのかと、認識を改めた。  一言二言のやり取りのあと、重岡がコーヒーを信隆にも出した。  それは慶介が入れたコーヒーで、食事中に飲む一杯目と食後に飲む二杯目のコーヒー、あとは重岡の分だ。 (俺の二杯目のコーヒー無くなった・・・)  いくら気にしなくて良い、といわれても重岡からすれば仕事の上司。自分が飲んで信隆に出さないというのはありえないことだが、内心しょぼんとする。 「お出ししたのは僕の分だから残ってるよ」  重岡が苦笑いして言った。『俺、そんな顔に出てた?』とちょっと驚いた。  自分では十分に表情を取り繕っているつもりだったのだが、ずいぶんと気を抜くようになってしまったものだ。  景明たちが返ってくると、リビングは会議室に早変わり。朝のダラダラ感が緊張感で引き締まる。  重岡に指示があった件とは本家の三男の事だった。  慶介が、警護に関わるアルファの会議だと思って自室に行こうとすると、信隆に『君の話だ、座りなさい』と言われた。  重岡から本家の三男の経歴と人となりの説明がある。本家当主からみて孫に当たる三男は、次期当主のアルファ三人兄弟の三番目のアルファのようだ。  上の二人はいづれは当主になるべく競わせ教育され、長男が継ぐと決着がついたそうだ。次男はすべての結婚話を蹴って長男の補佐につくと決めたらしい。少し年下だった三男はその競争に入ることもなく補佐の役目が決まっていたが不本意だったようで、大学に行ってから一人暮らしを始めたり、大学内でもバース社会から反れた行動をとるなど、少し勝手をするようになった。 「三男はベータ女性と交際中だとわかりました。三男は上手く隠蔽していましたが、女の方から確証が取れました」  慶介が見ていたタブレットの画面が遠隔操作され、スクリーンショットが表示された。「アタシの彼ピ♡」のコメントと供に、三男の寝顔と一緒に写った女の自撮り写真がSNSにアップされている。女は顔を隠しているのに三男はモロ出しだ。『彼氏アピールなら寝顔もスタンプで隠してやれよ』と慶介は思った。 「三男はかなり徹底して隠蔽をしていました。電話やメール、一般的なSNSのアドレスも交換しておらず、大学での接触も他のベータと同じ扱いで、基本的なやり取りは消えるトークアプリでやっているので僕も女のサブ垢を見つけるまで物証を得られませんでした」  やや興奮気味に重岡が自身の戦績を語りだす。  要するに女のサブ垢を見つけるのに苦労したという話だった。おしゃべりが止まらない重岡を、景明が手をあげて終了させて次は自分だと言うように話し出す。 「本家が三男のこの件を把握しているかについては不明だ。元より本家でも三男は期待されとらん。大学卒業後はきっちり家で補佐をしてくれれば良い、くらいの扱いで、慶介との婚約話も他の分家に周知されてなかった。そのせいで俺から話を聞いた東京と九州の分家から『あの三男にやるくらいならウチから打診する』と言われて釣書を渡されてしもおた」 「釣書は放置しろ。──ともかく、本家の末の婚約を潰すネタは出来た。重岡、良くやった。本家には僕から話をしに行く。・・・だが、兄が言ったように三男を退けても婚約話はいくらでも転がり込んでくる」  居住まいを正して信隆が言う。 「慶介の結婚の条件が知りたい。──僕からの条件は2つ。1つ、僕が原因の遺恨が残る家は駄目だ。2つ、それに関係して北海道に嫁に行くのも出来れば止めて欲しい。僕は北海道に行けないから何かあった時、手が出しにくい」  条件と言われても、と慶介は困惑する。  そんなの考えたことがないから分からない。北海道が駄目だというなら関西が良い。ここから離れたくない。  ──それは、どうして?  その自問によって、とてつもない不安が襲ってきた。 (あと何年? この家にいられるのは残り何年?)  ここにいる皆はバース社会に不慣れな慶介をフォローするために集められた。  であれば、バース社会に慣れてしまえば彼らはいなくなってしまうのか。婚約話は彼らにどう影響するのか。現状を維持したいなら婚約はしたほうが良いのか、しないほうが良いのか。婚約したら、どう、変わってしまうのか。  いま、この時が止まって欲しいと慶介は強く思ったが、その願いが叶うことはない。  「よく・・・わかんないけど・・・関西がいい、かな・・・」  慶介は乾いた口で答えた。 「急に言われて出てくるものでもないか。・・・オメガの補佐を入れたいところだが、そうすると酒田がいられなくなるんだったか。──コレがそんなに重要なのか?」 「ああ、重要だ。今、慶介から酒田を取り上げたら殻に籠もって心を開いてくれなくなるぞ」  大事なものを取り上げられる寸前だったのか、と慶介は肝が冷え、酒田を見た。酒田は姿勢良く座ったまま動揺は見えない。『お前、コレ呼ばわりされて怒らないのか?』と思いながら表情を伺うと、酒田がよくする、僅かに口角を上げた微笑みを返された。 「そうなれば、それはそれで扱いやすいが、そうなれば俺は降りるからな。物言わぬお人形オメガを俺は好かん!」 「はぁー・・・オメガが入れられないなら、花嫁修業は僕がするしかないか。4月から大阪勤務に戻るのは確定だな」  ついに実の父親と同居か。と思うと同時に『あの一番狭いゲストルームにこの人が入るのか?』と気になったが、その想像はすぐに否定された。 「ゲストルームは狭いから、そこの仕事部屋にしている部屋を僕の部屋に出来る様に空けといてくれ」 「──重岡、すまんが3月中に頼むわ」 「はい」  狭い部屋で仕事をする重岡は想像出来た。 ***

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