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2-1 翌朝

 翌朝は音楽に起された。長閑(のどか)でゆったりとしたクラシックの曲。どこかで聞いた覚えがあるが、タイトルは思い出せない。セットした記憶もないがアラームか電話の着信音かと思い、条件反射で枕元をまさぐった。けれど、目覚まし時計の類も携帯端末の類も無いことに気付くと、次いで今居る場所が生家でも孤児院でもないことを知る。  褪めた銀色の調度品の光沢に、悪夢のような昨日の出来事が一気に思い出された。  ――いっそ、本当に夢であってくれたら良かったのに。  髪を掻き上げ、小さく唸る。  金属の壁と一体化したデジタル時計の数字は、午前六時を示していた。昨夜は到底寝付けないだろうと思っていたのに、いつの間にか眠ってしまったようだ。夢すら見ない、深い眠り。やはり、疲れていたのだろう。  それにしても、吸血鬼とは昼に寝て夜に起きるものではないのか。これでは、今までと何も変わらない。  そんなことを思いつつ、未だ鳴り続ける音の出処を探してみたのだが、どうやら室内からのものではない様子。ベッドから降りて寝巻きのまま玄関に向かい、試しに扉を開いてみたら、丁度隣の02号室からツヴァイが顔を出したところとかち合った。  向こうもこちらにすぐに気が付いたようで、目が合う。数字の〝2〟を冠する同胞は、花が綻ぶようにふわりと微笑んだ。 「おはよう、アイちゃん。ちゃんと眠れた?」 「ああ……いや、アイちゃんではない。アインスだ」 「なかなか強情だねぇ、君も」  何故かツヴァイの方が呆れたように肩を竦めてみせる。そうしたいのは、こちらの方だ。  そんなやり取りを交わしている内に、他の扉からも次々に昨日の面子が顔を覗かせた。眠そうだったり、不安げだったり、表情は様々だ。  謎の音楽は、どうやら廊下に設置されたスピーカーから発されているようだった。何事かと全員が顔を突き合わせたタイミングで、それは唐突にふつりと止んだ。放送主は監視カメラでこちらの様子を見ているのかもしれない。  続いて、聞きたくもないあの甲高いテノールが告げた。 「おはようございます、未来の救世主(メシア)達。昨夜はよく眠れましたか?」 「うげ」と漏らしたのは、金髪……改め、適合体No.03〝drei(ドライ)〟だ。その気持ちはよく分かる。しかし、彼は次の言葉を聞くと一変して目を輝かせた。 「さて、今朝は一階食堂にて心ばかりの朝食を用意してございます。よろしければ、皆様そちらにお越しくださいませ」    ◆◇◆  食堂には、無数の料理が並べられていた。前菜、本菜、デザート、各種を和食、洋食、中華、その他諸々と国籍も異なる多様な品目が一つずつ大皿に盛られ、所狭しと陳列されている。それらから好きに選んで好きなだけ食べろ、ということらしい。ホテルのビュッフェ形式の朝食と相違ない。……いや、食べ放題ならバイキングか?  何にしても、私達たった数人の為だけに用意したとは思えないような量の朝食が、そこには待ち受けていた。 「オレが頼んどいたんだよ。昨日の夜、ステーキ喰いてえっつったらヤツら本当に用意したからよ。んじゃ朝もゴーカなの、よろしくなっつっといたんだ」  金髪ことドライが、得意げに説明する。彼は盛り盛りのプレートを何枚も自席に運び込み、料理を次々に胃袋に流し込んでいた。食べるというより飲み込むと形容した方が近いような、凄まじい速度だ。こいつが居た孤児院では、食費が(かさ)んだだろうな……。 「てことで、てめえらオコボレ貰えんのはオレ様のおかげだからな。感謝しろよ」  見事なドヤりっぷり。……というか、 「昨日あの後でステーキとか、よく食べられたな」 「折角欲しいもん何でもくれるっつーんだから、利用しないテはねーだろ」  ……そういうことを言いたい訳ではないのだが。 「何でも楽しんだもん勝ちだろうが。おっと、メロンソーダ無くなっちまったな。取りに行くのめんどくせー。おい、そこの陰キャ。てめーだよ、てめー。前髪ヤロー」 「えっ、ぼ、僕っ?」  ドライが呼び掛けたのは、隅でちびちびとミネストローネを啜っていた前髪の長い男……改め、適合体No.05〝fünf(フュンフ)〟だった。 「てめー以外に誰が居んだよ。キョドってんじゃねえ。メロンソーダ持ってこいよ」 「なっなんで僕が……」 「そういうのは陰キャの仕事だろーが」 「そ、そそんな……」  不憫なフュンフは猛獣に睨まれた兎みたいに怯えている。昨日あまり話さなかったのでどんな人物か判じかねていたが、どうやら彼は気が弱い性質らしい。見兼ねて、私はドライを諌めた。 「フュンフが行く必要は無い。ドライが自分でやるべきだ」 「あぁ? んだ、てめえ。文句あんのかよ」 「あるに決まっているだろう。お前は孤児院に居た時もそうやって立場の弱い相手を恐喝していたのか」 「うっせーな。弱いヤツがわりーんだろうが。てめーはイインチョか何かかよ」 「まぁまぁ、皆もう子供じゃないんだからさ」  そこに仲裁に入ったのはツヴァイだった。彼はドライに優しく微笑みかけて、 「自分のことは自分で出来るよね? ……それとも、精神年齢がお子ちゃまだから、無理なのかな?」  ――痛烈な嫌味を浴びせた。 「なっ!」  ドライの顔が真っ赤に染まる。 「てめえ!」  音を立てて勢い良く椅子から立ち上がったドライに、ツヴァイが、 「わっ、怖~い」  などと、クスクス笑いでひらりと距離を取る。  私は頭を抱えた。――前途多難だ。

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