14 / 36

2-5 報復

 真夜中にインターホンが鳴った。  こんな時間に、というかそもそも私の部屋を訪れるような人物は一人しか居ない。  念の為壁の小型モニターを確認した後、玄関まで行って扉を開ける。そこには、ご多分に漏れずツヴァイが居た。彼はどこか余裕が無さそうに、そしてそれを誤魔化すような微苦笑を浮かべて言う。 「ごめん、アイちゃん。今夜もいい?」  私は小さく息を吐いた後、返事の代わりに横にずれて場所を空けてやった。ツヴァイは「ありがとう」と礼を言いながら扉を潜る。私がそれを閉ざして施錠すると、待ちかねたようにツヴァイが私の腕を引いた。体勢を崩したところに覆い被さるようにして、ツヴァイは私の首筋に顔を埋める。  つぷり、と鋭い針が肌を穿つ一瞬の痛みが走った。次いで訪れる、不思議な酩酊感。ツヴァイの喉が上下する。その音が、息遣いすらも克明に伝わってきて、妙にこそばゆい。  吸血行為には快楽が伴うというが、あれは困ったことに本当だったようだ。獲物を逃がさないよう牙からそういう成分でも出ているのか。あるいは、唾液か。  傷孔を吸われ、舐られる度に身体が熱を帯び、思考が溶ける。力が抜けて、いつしか私は扉を背にその場にへたり込んでいた。  最後に軽くリップ音を立てて、ツヴァイが離れていく。髪を掻き上げながら口元に伝う血液を舐め取る彼を、私は半ば陶然と見上げていた。その蠢く赤い舌先も切なげに目を細める表情も、やけに艶めかしく妖美で、思わず背筋がぞくりとした。  その内に、興奮状態を表す瞳の赤がいつもの澄んだ紫に戻っていくのを視認すると、私は深く息を吐いて問うた。 「……落ち着いたか?」 「うん……ごめんね」  ツヴァイは申し訳なさげに笑みを刷くと、私に手を差し伸べた。  このところ、毎夜こうしてツヴァイが私の部屋へ訪れるようになっていた。原因は分かっている。ドライの所為だ。  ドライは最近、自室に女性を連れ込んでいる。我々の食餌は嗜好品となる通常の料理とは別に、糧としては人間の血液を固めたタブレットのような形で支給されている。それを一日一錠程度舐めれば飢えを覚えることもないのだが、ドライはタブレットよりも生身の女性そのものを所望した。  研究所側は相変わらず自由以外なら何でも我々に与えてくれる姿勢でいる為、当然のようにその要求を通した。結果、ドライは夜毎女性を部屋へ連れ込んで、吸血ついでにいかがわしい行為を行っているようだ。  その音に、ツヴァイは苛まれていた。ツヴァイの部屋はドライの隣だ。ただでさえ吸血鬼になると常人よりも五感が鋭くなる為、金属製の壁を突き抜けて情事の音が聞こえてくるらしい。一つ離れた私の部屋にまで耳を澄ませば届く程ではあったが、それでも隣よりはマシということでツヴァイは私の部屋に避難しにきていた。 「俺が子供扱いするから、自分は子供じゃないぞって示したいんだろうね」  というのがツヴァイの見解だった。それが事実だとしたらその発想自体が実に子供じみたものではあるが、結果としてツヴァイに対する報復行為には充分になっている模様。  それもたぶん、ドライが思っている以上に効いているのではないか。  この件で最初に私の部屋を訪れた際のツヴァイの様子が忘れられない。ただ隣の淫らな音声に辟易しているという感じではなく、何だかそれに酷く怯えている風でさえあった。 「こんな時間にごめんね、アイちゃん。隣がうるさくて、眠れなくて……アイちゃんのとこに泊まってもいい?」  か細く訊ねた声。青ざめた顔色、微かに震える肩、何かを堪えるように儚く微笑うその様があまりにも哀れを誘い、放っておけなかった。  同じベッドに上がろうとすると、ツヴァイは身を固くした。怖がらせているようで忍びなくなり、安心させるべく声を掛けた。 「大丈夫だ。何もしない」  それでようやく人心地ついたようで、その夜はそのまま眠った。  それから数週、相変わらずドライの嫌がらせは続いている。隣室の音声に触発されるようにツヴァイは昂り、落ち着きを無くした。どうやら血を吸わせるとクールダウンするらしいと分かったので、以来吸血行為を挟むようになったものの、この状態はあまり健全とは言えないだろう。  私生活のことにまで口出しすべきでないと思っていたが、ドライに控えるよう注意をした方がいいのかもしれない。  ――そう思っていた矢先に、事態は急転した。

ともだちにシェアしよう!