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第4話 敵は案外身近に

ロイはいつもより早起きをして、うんざりした。  全く爽やかでは無いし、気分が重い。  部屋に差し込む朝日が眩しいけれど、気分は晴れない。 「なんで、俺が……」  理不尽だと思うし、納得もしていない。  けれど、そうしないと襲われる。  ロイはベッドから下りると、洗面所へ行き、軽くシャワーを浴びて体をスッキリさせた。  だからといって、頭の中がスッキリした訳では無い。食堂で朝食をとる(『食べる』)気分ではなかったから、魔法でお茶を出して、ベッドに腰かけて飲む。  考えたって始まらないし、どうにもならない。  ロイは前世でプレイしてなかったから知らないけれど、ロイもこのゲームの世界の主人公だったらしい。  だから、プレイサイドを変えなくてはいけないそうだ。納得してないけど。 「はぁ、行こう」  飲み終わったお茶を片付けて、ロイは立ち上がった。同室者は静かで、まだ寝ているようだった。  ロイは静かに扉を開けて、そーっと閉めた。週末の朝だからか、廊下はひっそりとしている。他の部屋の人にも、迷惑をかけないように、ロイは静かに廊下を歩いた。  守衛に見送られて、ロイは学園の敷地から出た。馬車を拾ってもいいけれど、目立つといけないので徒歩で行くことにした。  手土産を買おうにも、まだ、どこの店もやっていなかった。開いている市場も、そんなに活気はない。週末だから、人出はまだ、これからだ。  ロイは市場の入口近くにあった花屋によって、小さな花束を用意した。タウンハウスには母親が住んでる。伯爵家の三女だったから、ロイの家のような格下の子爵の家に嫁いできたのだ。だから、領地の田舎には引っ込みたくはないらしい。小さいけれどタウンハウスがいいようだ。恐らく、それなりに、実家からなにかしてもらっているのだろう。母親が着ているドレスは、いつも流行のものばかりだ。 「おや、ぼっちゃま」  玄関で出迎えてくれた執事は、ロイのことを見てだいぶ驚いた。週末の朝だけに、やはり母親は寝ているそうだ。メイドに母への土産だと言って花束を渡すと、執事と一緒に執務室へと入った。 「いかがなされましたか?」  学園に入学してから初めて、タウンハウスにやってきた。しかも、何の連絡もなく。それは執事としては気が気ではないだろう。学園でなにか揉め事でも起こしたか、それとも学園が嫌になってしまったか。 「あのさ、俺………騎士科に行きたい」  ロイが意を決してそう言うと、執事は両目を大きく見開いて、しばらく動かなかった。  ロイが心配して、執事の呼吸を確認したくなった頃、執事はゆっくりと瞬きをした。 「何事かありましたか?」  執事はゆっくりとロイに問うた。 「えっと、あの………聖女が、その」  口を開いてから、ロイは気がついた。アーシアに言われたことをそのまま言えるわけが無い。 「聖女?」  執事の眉がぴくりと動いた。  これはまずい。 「あ、あのさ……絶対に父上と母上には内緒にして」  ロイは執事に拝むように縋った。 「なんでございましょうか?」  執事は深いため息をついて聞いてくれた。 「聖女に、怖いことをされた。貴族の子息としては不名誉だから、公にしたくない。でも、聖女の顔を見たくない。だから、騎士科に行きたいんだ」  執事だって、分かっている。たとえ平民の出だと分かっていても、聖女は聖女だ。何も出来ない。問題を解決するには、こちらから撤退して、顔を合わせないようにするしかない。それが得策なのだ。 「かしこまりました。坊っちゃま。では、わたくし手続きをしに学園へ赴きますので、こちらでお待ち頂いてもよろしいでしょうか?」 「うん、わかった。母上が起きてきたら、一緒に食事をして、母上が喜ぶように話をするよ」  ロイがそう言うと、執事は嬉しそうに頷き、なにやら支度をして部屋を後にした。  週末だからか、本当に母親は起きてくるのが遅かった。寮を出るときにお茶しか飲んでこなかったから、ロイは久しぶりの母親との食事に期待していたのだけれど、随分と待たされる結果となった。 「いやだ、連絡をくれればちゃんと起きたのに」  少女のような可憐なドレスを着て、そんなことを言う母親は、髪型まで可愛らしい。どうせ週末はパーティー三昧なのだから、連絡をしたって夜更かしはやめないだろう。それこそ、寝不足で不機嫌な母親と対面など、したくない。 「このお茶、お気に入りなのよ」  食事の前に出されたのは、ガラスのポットに大量のフルーツが入ったお茶だった。 「なかなか、複雑な味ですね」  ロイはこの手のものが苦手だ。頑張ってレモンティーまでだと思っている。記憶が確定してから、余計にそんな味覚になったのは、前世の記憶のせいかもしれない。 「朝から、随分と贅沢なんですね」  出てきたパンケーキにも、たっぷりの生クリームと果物が添えられていた。ロイが寄ってきた市場で買ってきたのだろうか?果物はものすごくみずみすしくて、生クリームにまみれているのが残念な程だった。 「ところで、学園で何かあったのかしら?」  パンケーキを口に運びながら、サラリと言われて、ロイの心臓が小刻みにはねた。  母親は、何かを聞いたのだろうか?それとも知っているのだろうか?社交好きな母親だ、噂話を掴むのはとても早い。もしかすると、もう、昨夜のうちに耳にしている可能性もある。 「思うところがありまして、騎士科に行く所存です」  ロイが動揺を隠しながら答えると、母親は美しい所作でお茶を一口飲んでから、口を開いた。 「あら、そう。ブロッサム家のご子息とは気が合わなかったのかしら?」  その名前を聞いて、ロイの体の中をものすごい勢いで血が廻る。酸素が足りなくなる気がして、ゆっくり大きく息を吸った。 「いえ、よくしていただき、て、ます」  危うくおかしなことを口走るところだった。テオドールとの事だって、ある意味黒歴史だ。こんなこと、母親に知られるわけにはいかない。 「ロイ、あなた騎士に興味があったの?」 「え、あの、俺、貧弱すぎるし……それに、回復魔法が使えるから」  ポロリと口から出てきた。 「ああ、そうだったわね。騎士科で回復魔法が使えるのなら重宝して貰えそうね」  母親は満足そうに微笑んだ。 (重宝?そうなの?思わず口から出てきただけなんだけど)  自分で言っておきながら、ロイはイマイチ分かっていない。 「騎士と言えば、ロイエンタール家の自慢の息子がいたわねぇ」  母親がなにやら考えこむ。  たしか、ロイエンタール家は公爵だったと記憶している。英雄と呼ばれる先代が凄腕の騎士だった。  英雄の称号は、聖女の称号より貴重だ。得ることが出来れば、三代先まで約束される程の貴重な肩書きになる。 「…………」  ロイが、母親の顔を見つめていると、母親は目が合った途端に微笑んだ。 「大丈夫よ、ロイ。あなたには婚約者なんて居ないのだから。ね?あちらからアプローチして下さるのなら、何も問題は無いのよ」  母親の、言っていることがちょと分からないロイは、小首を傾げた。  その仕草を何故か了承ととった母親は、微笑んだ。  執事が戻ってきたのは昼過ぎだったが、遅い朝食をとった親子には、なんら問題はなかった。 「坊っちゃまの学科移動の手続きは、全て完了致しました。騎士科の制服一式を、預かって参りました」  そう言って、執事が大きなカバンをあけると、魔術学科の制服とは色の違う制服が入っている。  魔術学科は紫がかった黒であったが、騎士科は緑がかった黒だった。 「素敵ね。ロイ、早く着てみせて」 「分かりました、母上」  ロイは執事と一緒に移動して、執務室で着替えた。今日は休日だったから、着ていたのは普段着だ。 「少し大きいかな?」  ロイが鏡を見ながらそう言うと、執事が鏡越しに返事をする。 「いえいえ、騎士科はよく動きますから、大きめに仕立てられております」  なるほど、この格好のまま剣術を習うのか。見た目重視とは、恐れ入る。 「こちらの剣を腰にさげれば完成ですよ」  執事に、渡された剣を腰にさげてみる。魔術学科で仕込んでいた杖とは違い、大きいし重たい。 「体のバランスが変だね」  鏡に映る自分の姿を見て、ロイは言った。剣を提げた左側に少し傾いている。 「騎士を目指す方は幼き頃より帯剣なさいますからね。坊っちゃまはこれから慣れるしかございませんので、少々大変かと」  執事が、遠回しになんか言ってくれてはいるが、これでも訓練用の剣だから軽くはできている。 「ちょっと魔法で補正しておくよ」  ロイはそう言って、体のバランスを魔力で補正した。 「では、奥様にお見せいたしましょう」  執事に促されて、ロイは母親の元へ戻った。 「まぁ、なんて素敵なのかしら」  ロイの姿を見るなり、母親は立ち上がって褒めてきた。確か、魔術学科の制服を初めて着てみせた時も、こんな、反応だった気がする。 「やっぱり、男の子は騎士科よねぇ」  そんなことを言い出したので、やはり心は少女のままらしい。 「素敵ねぇ……ねぇ、このまま、お出かけしない?」 「はぁ?」  思わず声が大きくなった。 「自慢したいわ」 「え?なんで」  ロイは訝しんだ。一体誰に自慢するつもりなのだろうか。先程口にしたロイエンタール家は、家格も上すぎて約束もなしに会えるわけもない。誰か友だちなのだろうか?魔術学科に、子どもが所属している人がいるのだろうか? 「これからお茶会があるの。ちょっとでいいから顔を出してくれない?」  それを聞いて納得した。今更ながら、息子をマスコット代わりにして連れ歩くつもりなのだ。 「挨拶をしてくれたら、先に帰ってくれていいから。ね?お願い」  そんなことを言いながら、これはお願いではなく、決定なのだとロイも、執事も理解した。  騎士科の制服のまま、ロイは母親の参加するお茶会について行った。お茶会に参加するのはもう、10年ぶりぐらいだ。基本お茶会は女子どものものだから、ある程度の年齢になったら、男はお茶会に参加しなくなる。目安としては家庭教師を、雇ったら。  ただ、こうやって息子を売り出したい時には、参加させることがある。ロイはお茶やお菓子が嫌いではないから、構わないが、話のネタにされるのが辛い。 「マリー、お招きありがとう」  母親が、挨拶をしている相手が、今回のお茶会の主催者なのだろう。素敵な庭園でのお茶会だけに、どちらの女性もカラフルなドレスを身にまとっている。 「来てくれて嬉しいわ、アリアナ。ところで?」  マリーの目線が完全にロイに向けられている。  挨拶の順番が来たことを察したロイは、丁寧にお辞儀をした。 「初めまして、ウォーエント家のロイと申します」  恭しくマリーの手を取り、口付けの真似事をする。恐らく、ご夫人だろう。 「あら、嫌だ。昼間なのだから、してくれても構わなかったのに」  そんなことを言われても、ロイの母親の友人なら、年齢だって母親みたいなものだろう。間違えるとか無理だ。  案内された庭園には、だいぶ年齢の幅のあるご婦人方が集まっていることが分かった。ロイを見て嬉しそうにしたのは多分、ロイと年齢が近いのだろう。  言われるままに挨拶を順にして、お茶を少しだけ頂いてお暇した。ロイ程の年齢の男が、長居をするものでは無い。  ロイが帰ってから、マリーがアリアナに聞いた。 「そちら狙いだったの?」 「ううん、ブロッサム家のご子息とは、気が合わなかったみたいなの」  アリアナが何事もないかのようにそう言うと、マリーを始めとしたご婦人方は、「あらまぁ」と声を潜めた。 「大丈夫よ、うちの息子には婚約者はいないから」  アリアナがそう言うと、マリーが扇で口元を隠しながら耳打ちをしてきた。 「大胆ねぇ」  アリアナも言い返す。 「子爵なんて、嫌じゃない?」

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