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30 昔の男 3

「南の島で、君は些か逞しくなったようだな」 「――光栄に思います」  ソファから立ち上がり、服部は広海のもとへと歩み寄った。 「綺麗な君の容姿の中に、芯の強さが備わった。かの地の風土がそうさせたのか、それとも、新しい遊び相手でも見付けたのかな?」  鋭い問いに、広海は絶句する。尚樹の存在を彼に気付かれたくなかった。  それなのに、服部はおかしげに瞳を歪めて、煙草の香りのする指で広海の顎を捕らえる。 「図星か。――御しやすいところは変わらない。素直で可愛い、僕の広海」 「手を離してください。理事長」 「もう僕を、慎一郎さんと呼んではくれないのか? なんて力強い、凛とした瞳だ。君をそんな風に変えた輩に嫉妬するよ」  ぞく、と広海の腰に寒気が走った。  スーツの上から、服部の掌が体側のしなやかなラインを撫でていく。  尚樹のそれとは違う感覚に、広海は身震いした。 「理事長…っ」 「随分震えているね。いったいどんな男だろう。臆病な君に、どれほど荒々しい愛を注ぎ込んだのだろうか」 「……やめて…ください…っ」 「何度抱かれた? 僕しか知らなかった体を、その男はどんな風に踏み荒らした」 「あなたに答える必要はありません!」  激昂して、広海は叫んだ。服部の手をもぎ離し、絨毯の上を後ずさる。 「ふふ。君が僕を拒むとは」  服部に、尚樹のことを揶揄されたくない。  尚樹がくれた優しさまで汚されるようで、我慢できない。  しかし、広海の苦悩を嘲るように、服部の低い声音は続く。 「今の君はとても魅力的だ。組み敷く興奮を僕に抱かせるよ。――やはり広海は僕の手元にいるべきだ。君に最高の研究チームを与えよう」  服部は囁くようにそう言うと、デスクにあるインターフォンの受話器を持ち上げ、通せ、と一言告げた。  広海はそこに立ち竦んだまま、彼が椅子のリクライニングに体重を預けるのを見た。 「チームなんかいりません。私を自由にしてください。ここではない、他の場所で研究を続けたいんです」 「おや――飼い殺しの人魚が自我に目覚めたのかな」  はっ、と広海は息を飲んだ。  自分のことを『人魚』と呼ぶのは、一人しか思い付かない。

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