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36 人魚の庭で出会った男 6
「黙っててごめん。――竹富島の人魚。理事長の話を確かめに、俺はあの島へ行った。あの人に踊らされてよかったと思ってる。そうしなければ、俺は広海に出会えなかった」
信じられない。信じたい。二つの感情がせめぎ合う。
尚樹の体温を感じるだけで、眩暈がしそうなほど焦がれるのに。
彼に抉られた傷が、裂けて広がり続けている。
「どうしてだ……。長い間あの人に欺かれていたことを、今日知ったのに。あんなに好きでいた人なのに。――彼の裏切りより、君のたったひとつの秘密の方が、私には何倍も辛い」
広海の言葉を待つように、尚樹は唇を噤んだ。
「自分のことなんかどうでもいいと思うほど、君のことが、許せない」
尚樹の腕のぬくもりの中に佇んで、広海は右手の掌を開いた。
小さなメモリーが、どうして、と広海に問いかけている。
「どうして……私は君に、こんなにも傷付けられているんだ。たった数日、一緒にいただけの君に。強引で、無遠慮で、――勝手な君に」
零れた落ちた涙の雫が、尚樹のスーツの袖を濡らす。
彼の掌に頬を包まれ、赤く腫れた瞼を撫でられて、広海の嗚咽が少し止んだ。
「目を閉じて。そうすれば分かる」
「……尚樹……」
広海の瞼が、ためらいながら落ちていく。
何も見えない暗闇の中、唇に尚樹の吐息を感じる。
触れるか触れないかの距離で待っている、心許ないそれを、広海はもっと欲しいと思った。
「どうして――私は」
「今、広海さんが思ってることが、答えだ」
「……尚樹。私、は」
薄く開けた広海の唇に、尚樹の唇が触れる。
一秒もなく離れたそれを、広海はスーツの胸に追い縋って求めた。
「行かないで――。尚樹、もっと」
「広海さん」
胸の奥が、傷付いた場所が、尚樹の唇を欲している。
彼にしか癒せないと、本能のように広海を突き動かす。
もう一度触れてきた尚樹のキスは、獰猛な野生動物のそれだった。
歯列を割って口腔を犯してくる舌に、広海は夢中で応えた。
「尚樹……っ、尚樹」
夏の嵐を捕まえる。尚樹の体に回した自分の腕に、広海はありったけの力を込めた。
「君が好きだ――」
「俺も、広海さんのことが好きだよ。もう離したくない」
隙間もなく抱き締め合って、唇を重ねる。
もどかしい告白よりも、互いを溶かしていくキスの熱に、二人は溺れていった。
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