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面白いこと

 毎日仕事に明け暮れる日々。月曜から金曜まで働いて、土日の休みもたまに出勤になる。定時に上がることもあるけれど、残業になることもしばしばあって、それもいつものこと。特別嫌だとも思わないし、特別幸せだとも思わない。ただ、日常なだけだ。 「よかったらどうぞ」  呼び止められて、声のする方を向く。  道の端に笹が一つ。  ――七夕……、か。  気にもしていなかったなと思いつつ、足を止める。  七月七日。俺が生まれた日。けれど、親しい人もいないから、特別祝われることもない日だ。 「願い事を書いてくださいね」  女性から渡された一枚の長い紙。無意識に手を伸ばして受け取った短冊を見つめる。  ――願い事……。  こうしたいとか、ああしたいとか、希望なんてものは特にない。はずなのだけれど、短冊を見て思い出した。  学生のころ、一人だけ誕生日を祝ってくれた奴がいた。いつも俺の周りをちょろちょろとしては、屈託のない笑顔で纏わりついてきた奴だ。  ――あいつ、どうしてるかな……。  思い浮かびはしたが、願いごととして書くべきものなのだろうか。 「なんでもいいんですよ。休みが欲しい! とかでも」 「は、はぁ……」  『面白いことがしたい』当たり障りのないことを書き込んで渡そうかと思った時、後ろから声がした。 「お久しぶりです! って、何やってんですか?」  見知った声に顔を上げる。  ――なんで? 「何って、渡されたから何か書こうかと……」  察しろと言わんばかりに、俺は細長い紙を差し出した。短冊を見た彼が瞬きをする。 「ああ! 短冊! 書いてってくださいよ。会社のイベントでやってるんです。ほら!」  学生時代と変わらぬ笑顔で、彼が笹を揺する。 「願い事叶うかもしれないですよ?  「お、おいっ! 揺らしたら落ちるぞ!」  さらさらと揺れた笹から、ひらりと一枚、紙が舞った。 「ほら見ろ。言わんこっちゃな、……え?」  ぶつくさと言いながら、地面に落ちた短冊を拾い上げる。 『先輩に会いたい』  ――え?  角ばっていて、跳ねが真っすぐな特徴のある字。  裏返してみたら、彼の名が左端に書いてあった。 「うわっ……、取れちゃいましたね。どこにつけ……」  手の中から、するりと抜きとられた短冊。わたわたと笹に短冊を結びつける彼。『先輩』が誰なのか、わからないほど馬鹿ではない。 「……効力あるんだな。この笹」 「え、あ……」  腕を掴んで『面白いことがしたい』と書いた短冊を揺する。 「これも付けといてくれ」  言って、彼に短冊を渡す。耳の端を赤くした彼が短冊を笹に結び付ける。 「……で、俺の願い事は叶いそうか?」  振り返った彼に向かって笑いかける。 「が、頑張ります!」  道に響く大きな声。九十度にぺこりと下げられた頭。体育会系みたいな態度だ。 「ははっ……、頑張るって何だよ」 「先輩が楽しくなるように、ですかね?」  真剣な顔で言われて思い出した。学生時代も彼が『先輩を笑わせます!』と張り切っていたことを。 「……仕事、何時まで?」 「八時です!」  問いかけて時計を確認する。 「もうすぐだな。じゃ、飲みに行くか?」 「はいっ! あ、それなら、俺、奢ります!」 「え?」 「だって、今日、先輩誕生日ですよね!?」 「あー……、いいって、俺が声かけたんだし……」 「駄目ですよ! 誕生日は特別なんですから!」 「ははっ……、わかったわかった。じゃ、今日はお前に祝ってもらうよ」  勢いよく言われて、クスリと声が漏れる。  ――変わらないな……。  織姫と彦星のような、ロマンチックな逢瀬ではない。  ただの偶然。なのだけれど、ほんの少しだけ日常が輝く。  忙しくて忘れてしまいそうなことを思い出せそうな、そんな感覚。 「任せてください! あ、でも、あと十分くらいあるんですけど、片付けとかもあるし……」  背筋を伸ばして返事したあと、彼が同僚に視線を向ける。十分待つくらいなんてことはないのだが、ワクワクする気持ちが止められない。 「あー、待ってられないかも……」  意地悪く言ってみたら「ええー?」と彼の眉毛が下がった。「冗談だ」と言って、対向車線のコンビニを指さす。 「コーヒー買ってくる。お前も飲むか?」 「え? あ、はい!」  ひらひらと手を振って、横断歩道に向かう。  七夕、なんて特別興味はないが、短冊の願いは叶いそうだ。  彼といるとき、楽しくなかった記憶なんて、ない。 END

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