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バレンタイン

「はよー」  教室の引き戸を開けたら、クラスメイトたちがざわついていた。女子たちの荷物が普段より多くて、紙袋やエコバックを持った女子が、袋の中から可愛らしい包みを出している。クラスメイトの合間を縫って、自分の席に向かった泉は、背負っていたバックパックを下ろし、机の上に置いた。 「おはよー、泉。これ、あげる」  近づいてきたクラスメイトの女子が、紙袋から小さな包みを取り出す。差し出されて手を出し、泉はキラキラと光る手のひらサイズの包みを受け取った。  バレンタイン。  菓子屋が作ったイベントに、皆が踊らされる日。赤やピンクの派手な包みを配って回る女子もいれば、リボンがついた透明の袋を用意している女子もいる。お菓子作りが得意な子は、クッキーやとトリュフ、ブラウニーなどの手作りお菓子。泉に手渡されたのは、いわゆる『友チョコ』である。 「お、サンキュ」  別にもらったチョコに文句を言うつもりはない。甘いものは得意ではないが、ありがたくいただくつもりだ。貰ったものを粗末にするのは好きじゃない。たとえそれに、特別な感情がないのだとしても。  だいたい、本命用は誰が見てもわかるくらい派手なラッピングが施されている。泉以外の男子も、本命と友チョコを勘違いするやつはいないだろう。 「マジ? 泉来るときもらったの?」  受け取ったチョコをしまっておこうとバックパックのファスナーを開けたとき、後ろから声がした。 「へ? あ、ああ。……別のクラスの子に貰った」 「まじかー! いいなぁ、うらやましー。それ本命だろ?」  バックパックを覗き込んできた谷口が真っ赤な包装紙に包まれた箱を取り出す。 「ちょっ、おい!」  赤字にゴールドの文字。十字にかかっているのは、くるくるとカールしたリボン。手のひらサイズよりも明らかに大きい箱。女子が本命に渡すような、豪華なチョコレート。 「やめろ! 勝手に出すな!」 「んだよ。ちょっとくらいいじゃん! いいよなぁ、泉は。こんなマジのやつもらえてさあ」  谷口が取り出した目立つ箱を、手を伸ばして奪い返す。  泉に箱を返してきた谷口が「俺の戦利品だ」と言って鞄を開く。中には、小さな包みがたくさん入っていた。トートバッグ中身が見えないくらいの数だ。 「うわっ、すご……」 「だろ? うちのクラスの女子は優しいよなあ」  一つもないより、よっぽどいい。けれど、やっぱり「本命のチョコが欲しい」と谷口が言う。 「はいはい。泉君これ。友チョコ―」 「はは、ありがとう」  もう一つ貰って、赤い包みとともにバックパックに入れる。ファスナーを閉めていたら、小枝と目が合った。 (あ……) 「はい、小枝君も」 「あ……、うん。ありがとう」  泉と同じ、キラキラしたセロファンに包まれた、小さな包み。女子からチョコを受け取った小枝が、包みを鞄に入れる。  当たり前みたいにチョコを渡す女子と、当たり前みたいに受け取って笑う男子。日本のバレンタインは、女子のお祭りみたいになっていて、友チョコに紛れて少し豪華な本命をにおわすチョコを渡しても、女子なら笑って「ありがとう」と言ってもらえる。 (けど……)  赤い包装紙のチョコは、受け取ってもらえるのかすらわからない。人ごみの中をかき分けて買いに行く勇気はなくて、それでも本気なのだとわかってもらいたくて手に入れた包みは、泉がバイトしている店の斜め前にある洋菓子店のもの。入るのにまごついて、昨日までの間に何度も店の外から眺めては帰る、を繰り返した。やっとの思いで買った、焼き菓子のセット。 (渡すだけ。渡すだけだから……) 「はあ……」  一日の授業が終わって、誰もいなくなった教室。机の上にバックパックを置いた泉は、ファスナーを開けて中を覗いてみた。  携帯、財布、筆記用具。入っている物が見えないほど押し込められた小ぶりのチョコレートの包み。ガサガサと探って、下になってしまった赤い包みを掴む。取り出そうとしたとき、がらりとドアの開く音がした。 (小枝!?) 「泉? 何やってんの?」 「あ、いや、ちょっと忘れ物して……」  取り出そうとした包みを隠すように、わたわたとファスナーの金具を摘まむ。 「ああ、待って!」 「え? 何?」  閉めるな言われて手を止める。 「くれんの? ラッキー」  小枝が鞄を探る。ギャグテイストのチョコでもくれるのだろうと、「面白いのあった?」と聞いてみた。.男が男にチョコを買うとき、それはたいてい、ふざけたパッケージのものだったり、ちょっとエッチな形をしていたり。要するに、遊び半分で渡すものなのだ。 「あ、いや……」 (ん? なに?) 「泉、甘いのあんま好きじゃないだろ?」 「ああ、うん」 「だからさ……、はい、これ。カカオ70%以上なんだって。ほろにが」  包みを見て、一瞬ドキッとした。  手のひらに乗るようなサイズではない、けれど本命用かなと思うような大きいサイズでもない。手のひらと同じくらいのサイズの箱だ。青の包装紙にかかっているリボンも、カールしていないし、シンプルな雰囲気だ。 「へえ……」  手を出して、青い箱を受け取る。 (……なんだこれ?) 「あ! やっぱ待って!」  シルバーのリボンが交差しているところ、結び目に小さなタグがついている。摘まんでひっくり返そうとしたら、小枝に止められた。 「な、何? 何だよ!?」  大きな声に驚いて、タグから手を離す。  くるりとタグがひっくり返った。 『好きだ』  たった三文字。  黒いインクで書かれた文字を見て、泉は固まった。 「っ……、あ……、えっと……、マジ?」  聞いたのに、小枝からの返事はない。けれど、本当なのだとすぐに気がついた。いつも、泉の目を見て話してくる小枝と視線が合わない。 「……、ごめん。俺……」 「ちょっ、待って!」  立ち去ろうとする小枝の腕を掴む。グイと引き寄せて、開いたままになっていたバックパックに手を突っ込んだ。 「お、おれも、やる! お前は、甘いの好きだろ?」  渡せないかも、と思いながらも買ってしまった派手な包み。中には、小枝が好きなガトーショコラと、チョコチップのクッキーが詰まっている。 「へ? あ……」  渡した瞬間、小枝と目が合った。 「おれも好き。一緒に食わねえ?」  ファスナーを閉め、バックパックを肩にかける。小枝の手を引いて、泉は教室を出た。

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