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第1話 氷狼王に婿入りします

「セオ陛下の側婿として後宮入りしました、ライリーと申します」  跪拝の礼をとり、深々と頭を下げる。  ライリーの視界に入るのは、純白の絨毯だ。シンプルながら、ところどころに意匠を凝らした金糸の模様を見ると、高級なものだと一目で分かる。 「顔を上げろ」  命じられて、ライリーは顔を上げた。そこには、軍服めいた漆黒の国王衣装を身に纏った青年が、無機質な表情で立っていた。  肩にかかる、白銀色の長い髪。長い睫毛に縁取られた瞳は淡い空色で、その白い肌は陶磁器のように滑らかだ。怜悧な容貌はほっそりとした体格とあいまって、儚げな美しさがある。  セオ・ゼフィリア。二十歳。  ここゼフィリア王国の若き国王だ。即位したのは、一年半ほど前になる。  顔を合わせるのは、初めてではない。これまで社交界で何度も面識がある。といっても、一言二言言葉を交わすだけで、ほとんど関わりはなかったが。  セオは、美しくも冷たい目線を、ライリーに向けた。 「お前は私の子を産んでさえくれたらそれでいい。……発情期がきたら、連絡を寄越せ」  底冷えするような声音で言い放ち、セオはすっと踵を返す。遠ざかっていく背中を、ライリーは、また顔を伏せて見送った。 (……まさに『氷狼王』って感じだな)  氷のように冷たい、一匹狼の国王。ゆえに『氷狼王』。社交界ではそう呼ばれている。  確かに想像以上に冷たい男だ。ライリーを愛するつもりはない、と冷遇宣言したも同然ではないか。  が、ライリーは全く気にしていなかった。どころか、気を緩めてしまうと、口元に笑みが浮かんできてしまいそうなくらいだ。 (これなら、上手くいく)  頭に思い描いている計画が。  ライリーは立ち上がって、遠目に窓の外を見た。晴れ渡った青空の下、庭にある立派な桜の木から花弁がひらひらと舞い、池の水面に落ちている。  ライリーの後宮入りが決まったのは、一ヶ月半ほど前のこと。そして、実はベータだったライリーがオメガに変異したのは、その一ヶ月前のことだ。  話は、ある冬の日に遡る――。      ◇◇◇ 「兄上! 外で雪だるまを作りましょう!」  雪が降り積もった庭を指差し、喜々としてそう言うのは弟のフィンリーだ。  ライリーは微笑ましく思いながら、「いいよ」と返した。五つ年下の弟は、まだまだ無邪気で可愛らしい。 「きっと、大きな雪だるまを作れますよ」 「ああ、そうだな」  毎年、雪が積もると、兄弟で雪だるまを作るのは、恒例行事。ハイゼル侯爵家長男であるライリーは家を継ぐ修行をしているところだが、少しの間、息抜きするのも悪くない。  兄弟二人で仲良く、ハイゼル侯爵邸から庭に出た時だ。  ――つるっ。 「うわっ!?」  玄関先にできていた水たまりが凍っており、ライリーは足を滑らせて派手にすっ転んだ。その際、頭を地面に強く打ちつけると、雷が体を直撃したような衝撃とともに思い出した。  前世の記憶というものを。 「あ、兄上っ。大丈夫ですか!」  慌てて駆け寄ってきたフィンリー。フィンリー・ハイゼル。  あれ、と思った。どこかで聞いたことのある名前だ。  それもそのはずだった。『フィンリー・ハイゼル』といったら、前世で読んでいたBL小説の外伝に出てきた悲劇の王婿の名だ。  正婿になかなか子が授からないからと、十八歳になってすぐ側婿として後宮入りして子を授かるも、同時期に正婿も子供――本編のヒーロー――を出産したため、その存在を疎まれて父子ともども暗殺されるという。  その、『フィンリー・ハイゼル』の兄ライリー・ハイゼルに、自分は生まれ変わったのだと、気付く。 「お部屋に戻りましょう。お医者様に診てもらわなくては」 「お、大袈裟だな。大丈夫だよ」 「ダメです!」  こんなにも優しい天使のような弟。けれど、五年後には暗殺されてしまう。  運命を変えなくては、と思った。  フィンリーが暗殺されるルートを消滅させなくては、と。  だから――。 (よし。これを飲めば……変異できる)  手に持った緑色の浸剤を、ライリーは一息に飲み干した。  前世の記憶を取り戻してから一週間後のこと。あれこれ考えた末に、決めたのだ。オメガに変異して、フィンリーの身代わりに後宮入りしようと。  元々ライリーはオメガであれば、セオの王婿になっていた可能性が高い立場。同じ家から兄弟二人を後宮入りさせるわけがないから、先に後宮入りしようという考えだ。  そして今、飲んだのが服用した者をオメガに変異させる魔法薬。  ライリーの前世は、異世界の魔法薬師だった。一般的な薬師が煎じる薬剤に魔力を注ぐと、魔化学反応を起こして摩訶不思議な効能を持つ魔法薬に変わる。  今世の肉体で魔力を振るえるのかは運だったが、魔力とは魂に依存するのだろうか。今世の肉体でも魔力を使えたため、できたことだった。  その後、体の調子がおかしいと侯爵夫人の父に訴えて医師に診てもらい、変異オメガであるという診断をもらって。それを聞いた侯爵の父は大喜びして、セオの下へ婿入りさせる話を推し進めた。 「兄上……どうかお幸せに」  無事に後宮入りが決まって、ハイゼル侯爵邸を出発する日。フィンリーは寂しそうな顔をして、馬車に乗り込むライリーを見送ってくれた。 (お前こそ、幸せになれよ)  心の中で返し、ライリーは馬車に揺られて王都へ発った。      ◇◇◇  ――という経緯で、ライリーは後宮にいる。  数時間前に到着し、広い後宮であてがわれた住処は、鮮やかな深紅の外壁が美しい赤薔薇宮だ。これから大勢の宮女たちに仕えてもらいながら、優雅に暮らすことになる。 『発情期がきたら連絡を寄越せ』  セオから言われた言葉だが、ライリーは王婿衣装の袖で隠した口元で笑んだ。 (残念ながら発情期なんてこないんだよ、表向きは)  魔法薬には、発情期のヒートを抑える発情抑制剤もある。それを服用するつもりなのだ。つまり、発情期のこない欠陥オメガを偽装するのである。  別に同性愛に偏見があるわけでも、抵抗があるわけでもない。ただ、ライリーとて子を産んでしまうと、五年後に本来の正婿が子を出産した際に暗殺される可能性がある。それを案じての自己防衛だ。  フィンリーの後宮入りルートを潰した上で、本来の正婿に歴史通り世継ぎを産んでもらう。それがライリーの考えた計画。  ライリーはただ、後宮の片隅で自由気ままな冷遇王婿ライフを満喫するだけだ。

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