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第2話 本来の正婿エザラ

 遠くからぴいぴいと鳥のさえずりが聞こえる。  天蓋付きの寝台の上で夢心地の中にいたライリーだが、 「ライリー様。ご朝食のお時間ですよ」  穏やかな声に、はっと目を覚ました。  ふかふかの布団からむくりと起き上がる。すると、起こしてくれたのは、初老の侍従トマスだった。  目尻にシワがある優しげな目と、ライリーの金茶色の目が合う。 「おはようございます、ライリー様」 「トマスさん。おはようございます」  互いににこやかに挨拶を交わしてから、ライリーは寝台から下りた。トマスの手を借りて、いそいそと身支度を整える。 (我ながら、今世でも平凡な顔だよなぁ……)  姿見に映る自身の顏は、お世辞にも美男子とはいえない。  自分の顔には愛着があるし、特に不満があるわけではないものの、セオの整った容貌を思い出すと、不釣り合いという言葉が思い浮かぶ。  冷遇宣言したのは、この地味な顔立ちに関心がないからなのでは。  そんな邪推をしつつ、亜麻色の髪を櫛で整えた後、トマスを連れて自室を出た。  食堂に赴くと、朝食は豪勢だった。ハイゼル侯爵邸での食事も平民に比べたら十分豪勢なものだったが、後宮で出される食事はその上をいく。  立派な住処。ふかふかの寝台。豪勢な食事。  与えられる衣食住が豪華すぎて、なんだか罪悪感というか、後ろめたさを感じる。いい大人が仕事も家事も何もしないのに、こんな居心地のいい暮らしを享受していいんだろうか。 (ダメ人間になってしまいそうだ……)  そう感じてしまうのは、前世が平民だったというのもあるかもしれない。自由気ままな冷遇王婿ライフを送りたいとは思うが、ぐうたら過ごすのは精神衛生上でもよろしくなさそうだ。  何か、生産性のある趣味を見つけよう。  ひそかにそう決め、ライリーは朝食をとった。腹八分目で朝食を終えた後は、広間のソファーに座って食後の紅茶を味わう。  まったりと過ごしていると、トマスがやってきた。 「ライリー様。エザラ殿下からお茶会のお誘いがありました。いかがされますか」 「え? お茶会のお誘い、ですか?」  エザラとは、エザラ・サンドフォード。本来の正婿のことである。だが、ライリーと後宮入り話が重なったためか、今世界では側婿として後宮入りした。ライリーよりも数日早く。 (形式上はライバル同士なのに、お茶会なんてしてどうするんだ?)  そんな怪訝な思いが顔に出ていたのかもしれない。トマスは苦笑しながら続けた。 「同じ王婿同士、親睦を深めたいとのことですよ」 「……親睦、ですか」  ますます不可解だ。ライバル同士で親睦を深めてどうする。  エザラの思考回路が謎ではあるが、無下にするのも気が引ける。貴族同士のお茶会なんて肩が凝るが、仕方ない。誘いを受けよう。 「分かりました。今日の午後二時に伺うと伝えて下さい」 「かしこまりました」  トマスは丁寧に頭を下げてから、いそいそと広間を出ていく。おそらく、外にいるであろうエザラからの使いに返答しに行ったのだろう。 (エザラ殿下か。……すっごい美人だっけ)  ライリーより一つ年下だが、社交界で当然面識はある。いつ見ても、ほぅと息をつくほどの美人だった。ゼフィリア王国で三指に入るのではないかというくらい。  セオと並べば、美男子同士でさぞお似合いだろう。  これから何か国内行事があれば、その二人と並ばなくてはいけないのだと思うと、少し気が重い。どう考えても、外見で浮いてしまう。  ただでさえ、この鮮やかな赤い王婿衣装に、着ているというよりも着られている感があって、変だというのに。  もっとも、慎ましやかな衣装になったら、それはそれで王婿だと認識されなくなってしまう可能性があるが。 (……。……深く考えるのはやめよう)  どうにもならないことをあれこれ考えたって仕方がない。  そこで思考を打ち切り、ライリーは温かい紅茶をゆっくりと堪能した。  エザラが住まうのは、青薔薇宮だ。  トマスを連れて足を向けると、海のような青い外壁が特徴的な壮麗な宮殿だった。そしてその広い庭に木製の丸いテーブルがあり、エザラはすでに椅子に座ってライリーを待っていた。  ライリーに気付くと、手を左右に振ってにこやかに笑む。 「ライリー殿下。こちらへどうぞ」  春の麗らかな日差しを背にして微笑む姿は、まるで女神のように美しい。つい、見とれてしまった。 「ライリー様」  トマスに名を呼ばれて、はっと我に返る。ライリーも慌てて笑い返した。 「お招きいただき、ありがとうございます。エザラ殿下」 「いえ。お久しぶりですね。お変わりないようで」  にこりと笑うエザラに促されて、ライリーも椅子に腰かける。女神のような美貌と正面から向かい合う形になり、少し気おされてしまった。  が、それを表には出さない。 「エザラ殿下もお元気そうで何よりです。後宮での暮らしはどうですか」  会話の流れで聞いてしまったが、エザラも数日前に到着したばかりという話。どう、と聞かれても、まだ慣れていないとしか答えようがないだろう。  案の定、エザラは「まだ新しい生活に慣れていなくて」と苦笑交じりに答えた。 「ライリー殿下は、昨日お着きになったのですよね。後宮の敷地の広さに驚きませんでしたか。宮殿が六つもあるなんて」  そう。後宮には、ライリーたちが住まう宮殿を含め、宮殿は六つあるのだという。  先代ゼフィリア国王が六人も王婿を娶ったというわけではなく、もっとずっと昔に色欲王と呼ばれた、側婿やら愛妾やらを娶りまくった王がいたためだ。  結果、いちいち結婚式を挙げてもキリがないということになり、色欲王の次の代からは正婿との結婚式以外は挙げなくなったらしい。よって、ライリーもエザラも、今のところセオと挙式する予定はない。 (その点では、エザラ殿下にちょっと申し訳ないんだよな……)  本来であれば、正婿だったのだからセオと挙式できただろうに。それを妨害してしまったのだから、詫びの一つくらいは言いたいところだ。実際には言えないけれど。 「お待たせしました」 「ありがとうございます」  エザラ殿下付きの宮女が、紅茶を運んできた。白いティーカップに注がれた褐色の表面に桜の花弁が浮いている。綺麗だ。  一口飲むと、たっぷりと砂糖が入っていて甘い。 「おいしいです」  と、言うほかない。ライリー個人的には無糖派なのだが。  エザラは「よかった」と穏やかに笑った。  その後は互いに他愛のない話をして、お茶会を楽しんだ。エザラは本当にただ親睦を深めたかっただけのようだ。  だが、日が傾き始めた頃。そろそろお開きにしようと、互いに席を立つと。 「ライリー殿下。私たちはライバルという関係かもしれませんが」  目の前のエザラが、そっと右手を差し出してきた。そしてふっと微笑む。 「どちらがお世継ぎを産むことになっても、恨みっこなしです。正々堂々と行きましょう」 「エザラ殿下……」  ライリーは一瞬面食らったものの、すぐに「はい」と笑い返して握手を交わした。  爽やかな好青年だ。本来の正婿であるというのも、頷ける。  エザラはきっと、この言葉を言いたいがためにライリーをお茶会に誘ったのだろう。 (世継ぎを産むのは、あなただよ。エザラ殿下)  まだまだ遠い未来――五年後になってしまうけれども。

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