3 / 49

第3話 家庭菜園

「よい方でしたね」  青薔薇宮からの帰り道、トマスが朗らかに笑う。  ライリーも笑って頷いた。 「ええ。そうですね」  エザラは、よき父になるだろう。考えてみると、BL小説本編のヒーローを産み育てた人なのだから、人格者なのは納得がいく。  夕暮れに染まる空の下、トマスと二人並んで歩いていた時だ。赤薔薇宮がある方面から歩いてくる人影があった。銀髪と漆黒の衣装から遠目でも分かる。セオだ。 (ん? なんで赤薔薇宮の方から歩いてきてるんだ?)  何か用事でもあったのだろうか。  怪訝に思いながらも歩き進めていると、ほどなくして道で遭遇した。跪拝の礼を取ろうとして、けれどライリーは迷う。この美しい王婿衣装を土埃で汚すのは躊躇する。  その迷いを見透かしたように、セオは「礼はとらなくていい」と制した。  ライリーは跪かない代わりに、一礼する。 「お気遣いありがとうございます。それでセオ陛下、本日はいかがされました」 「お前に関する報告書を改めて読んだ。変異オメガだと発覚したのが三ヶ月近く前だろう。ということは、そろそろ発情期がこなくてはおかしくないか」  ぎくっ。  ライリーは、背中に冷や汗を掻いた。美しいだけでなく、勘も鋭い男だ。  そうなのだ。実はライリーには今日発情期がきていた。夜中にヒートで目を覚まし、慌てて用意してあった発情抑制剤を飲んで、ヒートを抑えている状態である。 「え、えーっと……確かにそうですね。でも見ての通り、まだきていません」 「……そうか。まぁ、ヒート状態で外を出歩けるはずもないな」  セオはすんなりと引いて、「では、失礼する」とライリーの横を通り過ぎていった。あくまで世継ぎを残すことにしか興味ありません、といった感じだ。  ライリーにセオへの好意があるわけでもないので、まぁ別に構わないのだが……客観的に考えると、やはり冷たい男だと思う。 「あの、ライリー様」  声を上げたトマスを見ると、トマスは眉をハの字にしていた。 「セオでん……陛下のことですが。その、周囲から誤解を受けやすいのですが、心根は優しい方なのです。どうか、温かく受け入れてはもらえないでしょうか」  そういえば、トマスはセオの生みの父――大側婿の侍従だったという話だ。セオが赤ん坊の頃から見守ってきたのだろうから、ついフォローを入れたくなるのだろう。  だが。 (心根は優しいって……嘘というか、身内の贔屓目だろ)  セオから優しさなんて微塵も感じられない。  それに、と思う。仮にセオが不器用なだけで優しい人だとして、それを温かく受け入れるべきなのはライリーではない。本来の正婿であるエザラの役目だ。 「……私は、自分の役目をまっとうするだけです」  セオの側婿として世継ぎを産むという役目を。表向きの話だけれど。  トマスには悪いが、そう返して、ライリーも再び歩き始める。後ろに続くトマスからは、がっかりしているような気配が伝わってきた。  なんとも言えぬ沈黙が流れたまま、赤薔薇宮へ辿り着き。早めの入浴を済ませた後、これまた豪勢な夕食をいただいて、あとは自室にこもって寝た。  セオがやってくることは、もちろんなかった。  それ以来セオとは顔を合わせぬまま、あっという間に三ヶ月が過ぎ――。 「おっ。今日は大収穫だ」  照り付けるような太陽が眩しい夏。  朝早く、ライリーは庭に作った小さな畑で、育てた野菜たちをうきうきと収穫していた。瑞々しいきゅうり、真っ赤なトマト、シャキッとしたレタス、などを木で編んだ籠に乗せていく。  いわゆる家庭菜園というものだ。後宮入りしてから数週間後に思い立ち、赤薔薇騎士団の力を借りて畑を作り、家庭菜園を始めたのだ。  作った野菜たちは宮女に渡し、調理してもらう。自分でも料理はできるのだが、貴族令息が料理なんてしたら変に思われるのと、宮女たちの仕事を奪うわけにはいかないだろう、という考えで、調理には携わっていない。  ともかく、今日も今日とて収穫した野菜たちを、宮女たちに渡した。 「見て下さい、大収穫ですよ」  木で編んだ籠いっぱいの野菜たちに、宮女たちも「あら、まあ」と目を丸くした。 「本当に、たくさん収穫されましたね」 「こんなにたくさん……どう調理しましょう」 「それが私たちの腕の見せ所よ。いつもありがとうございますね、ライリー様」  美しく着飾った宮女たちとやりとりを交わし、 「では、よろしくお願いします」  と、ライリーは厨房を後にする。  赤薔薇宮に仕えてくれる宮女たちと、この三ヶ月間で大分打ち解けた。宮女たちからのライリーの印象は、『温和で気さくな人』らしい。働きやすくてありがたい、と思ってくれているとかなんとか。トマスからこっそり聞いた評判だ。  ライリーとしても、ここが働きやすい環境なのであれば、喜ばしい限りである。  朝食は一時間ほどでできあがった。ライリーが収穫した野菜たちは、サラダだけでなく、サンドイッチの具材にも変身している。 「では、ライリー様。ご朝食をどうぞ」 「ありがとうございます」  食堂の椅子に座って朝食を食べようとした時だ。赤薔薇宮内がざわついたかと思うと、なんとセオが顔を出した。  一体なんの用だ。それもこんな朝から。  怪訝に思いつつも、ライリーはすぐさま椅子から下りて、跪拝の礼をとる。 「ご機嫌うるわしゅう、セオ陛下。本日はいかがされましたか」 「発情期はまだこないのか」  ライリーは頬を赤らめた。ストレートにも程がある。 「お前がオメガに変異してから半年以上経つはずだ。本当に発情期はきていないのか」  ライリーを見るセオの美しい目は、疑心に満ちた色だ。わざと連絡を寄越さないのではと疑っているようだった。  ライリーはわざとらしいくらいに困った表情を作ってみせた。 「それが私にもよく分からないのです。変異オメガですから、一般的なオメガと発情期のサイクルが違うのかもしれません」 「そういうオメガもいるとは聞くが、本当か」 「私が後宮入りしたのは、お世継ぎを産むためです。何より、セオ陛下のお子を身ごもることができたら大変名誉なこと。その機会を私が自ら放棄するとお思いですか」  あくまで理論的に主張すると、セオは納得したようだった。「確かにそうだな」とそれ以上追及することなく、さっさと食堂を出ていこうとする。

ともだちにシェアしよう!