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第4話 セオの過去
そのまま放って見送ればよかったものを、ライリーはつい引き止めてしまった。
「あ。よかったら、サンドイッチを食べていかれませんか」
サンドイッチが乗った皿を、セオに向かって差し出す。
別にセオへの気遣いではなかった。ただ、自分が育てた野菜を他の人にも食べてもらって、感想を聞きたかったからだ。
セオは足を止めて振り返ったかと思うと、凍てついた目でサンドイッチを見下ろした。そして次の瞬間――。
ばしんっ。
サンドイッチを手で払い落とした。床に落ちたサンドイッチは、見るも無残にぐちゃぐちゃになってしまう。
「こんな何が入っているか分からないものは食えん」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。が、貴族令息としての人格がすぐさま言葉の意味を察する。
何が入っているか分からない。『何が』とは、きっと毒のことだ。セオは、毒が盛られているのではないかと疑っているのだ。
呆気に取られたが、セオが踵を返す足音にはっとして、ライリーは大声を上げていた。
「おい、待てよ!」
再び振り向いたセオを、ライリーは烈火のごとき視線で睨みつける。
「ふざけんな! 俺や宮女たちが毒を盛るような人間だと思うのかよ!? だいたい、食い物を粗末にするな!」
つい怒鳴ってから、あ、やばっ、と思った。怒りのあまり敬語を使うのを忘れた。
不敬罪になるかも――と危惧したが、セオはその点には触れなかった。ただ、よほど驚いているのか、目を大きく見開いている。
食堂にしん、と沈黙が下りた。
その重い沈黙を破ったのは、トマスだ。
「まあ、まあ、ライリー様、落ち着いて下さい。セオ陛下も徹夜で政務をされていたのでしょう。王城に戻ってゆっくりとお休み下さいませ」
柔らかい物腰で言いながら、床に散乱したサンドイッチを手早く片付ける。固まっていた宮女たちも急いで掃除に動き出したことから、ライリーとセオも無言で歩き出した。それぞれ、全く別の方向へと。
セオは赤薔薇宮を出て行ったし、ライリーは自室に引っ込んだ。
「ああっ、くそっ! なんなんだ、あの野郎!」
物に八つ当たりするのはよくないことだと分かっていながらも、怒りのぶつけどころがなくクッションを壁に投げつける。
『こんな何が入っているか分からないものは食えん』
まさか、毒を盛られたのではないかと勘繰られるとは思わなかった。
毒を盛るような人間だと思われていることも腹立たしいが、それ以上に……なんていうのだろう。ライリーが愛情いっぱい込めて野菜たちを育てていたことや、宮女たちが料理に込めている気遣いまでをも侮辱されたようで、腹の虫が収まらない。
せめて一言謝罪してくれたら、ここまで苛々することもなかっただろうに。
怒りの矛先を、全く非のないクッションにぶつけていると、ほどなくして自室の扉がノックされた。誰かと思ったら、トマスだった。
「失礼します、ライリー様。ああ……荒れていらっしゃいますね」
部屋の惨状を見たトマスは、苦笑いだ。絨毯の上に落ちた哀れなクッションを拾い、ライリーに渡してから、何を思ったのか頭を下げた。
「申し訳ありません。セオ陛下に代わって謝罪させて下さい」
「……どうしてトマスさんが謝るんですか」
謝るべきなのは、セオ本人だろうに。
トマスはどことなく困ったように笑った。
「私はセオ陛下の育ての父のようなものですから。……先ほどのこと、大変ご気分を害されたかと思いますが、セオ陛下に悪気はないのです。どうか大目に見ていただきたく」
「悪気があるないの話ではないでしょう」
「ええ。分かっております。私から見ても、セオ陛下には難ありです。ただ、セオ陛下にも事情があることを理解していただきたいのです」
ライリーは首を傾げた。……セオにも事情がある?
ひとまず、トマスの主張を聞こうと、ライリーは耳を傾けた。
「もう十五年ほど前のことでしょうか。当時、五歳だったセオ陛下は毒を盛られたことがあるのです。それも実の父……大側婿殿下に」
さすがにそれには驚いて、ライリーは「え!」と声を上げてしまった。
生みの父に毒を盛られた、だと?
「どうして……」
百歩譲って政敵に毒殺されかかったのならまだ分かるが、一番の味方であるはずの生みの父に毒殺されかかったなんて、理解が追いつかない。
トマスは首を横に振った。
「理由は分かりません。その時に大側婿殿下も命を絶ち、真実を知る者は誰一人としていませんから」
「セオ陛下はよくご無事でしたね」
「幸い、盛られた毒が耐性をつけていた毒と一致していまして。それでも、半月は死の淵をさ迷ったのですがね……」
当時を思い返しているのか、トマスは沈痛な面持ちで語る。
「ともかく、そういう事情ですから、セオ陛下は自分が心を許した者が作った物しか食べられなくなってしまったのですよ。サンドイッチを払い落としたのも、反射的に拒絶反応が出たのだと思います。もちろん、だからといって食べ物を粗末にしていいわけではありませんが」
「そう、だったんですか……」
ライリーは、そう相槌を打つほかなかった。
唇をきゅっと噛み締める。
(なんだよ、それ)
つらい過去だということは分かる。毒殺を警戒するようになるのも無理はない。
だが、それが理解できるだけに怒りのやり場を失くしてしまい、ライリーはむしゃくしゃした気持ちをどう発散したらいいのか分からなくなった。
「……さて。では、お部屋を片付けましょうか」
荒れた室内の掃除にとりかかるトマス。
ライリーは慌てて「私が自分でやりますよっ」と制した。が、トマスは引き下がらず、結局二人で掃除をすることになった。
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