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第5話 身も心も安らげる場所

     ◆◆◆ 「そりゃあ、怒るでしょうね」  赤薔薇宮を出てすぐ、外に待機させていた側近騎士ハリスンは、セオから話を聞くとあっさりとそう言った。  セオより五つ年上のハリスンは、国王相手でも気兼ねせずに話す。侯爵令息というのもあるかもしれないが、ほとんど生来の性格だろう。  だが、それを疎ましく思ったことはない。むしろ、いつも率直な意見を言ってくれるハリスンのことはありがたく思っている。 「なぜ。後宮といえども、私を暗殺しようという輩がいることは否定できないだろう」 「それはそうですけどね、そういうことじゃありませんよ……。だいたい、元々はライリー殿下が食べるはずだったサンドイッチでしょう? 毒が盛られているわけがありません。陛下だって急に押しかけたんですから」 「む……」  そう言われると、確かに。セオが赤薔薇宮の食堂に顔を出してから、誰かがサンドイッチに毒を盛った気配などなかった。  つまり、セオの勘繰りすぎだったということだ。無実の罪を着せられたら、怒りたくもなるかもしれない。これまであんな風に正面から怒鳴られた経験がないから、驚いたが。 「次に会ったら、ちゃんと謝罪した方がいいですよ。そうじゃないと、せっかく婿入りしてくれたのに、荷物をまとめて出て行ってしまいかねませんから」 「………」  別にライリーが出て行ったところで、後宮にはエザラがいる。エザラに世継ぎを産んでもらえばいいだけの話だ。が、世継ぎを産む可能性のある王婿の人数が多いに越したことはない。 「っていうか、今すぐ謝ってきたらどうです。善は急げ、ですよ」 「……そうだな」  ハリスンの主張は、理論的で筋が通っている。  セオもすんなりと受け入れて、きた道を引き返した。  再び赤薔薇宮に顔を出すと、奥からライリーが出迎えにやってきた。いつものように恭しく跪拝の礼をとる。  顔を伏せているのでどういう表情を浮かべているのか分からないが、ほんの数十分で怒りが消えるとも思えない。きっと、不機嫌な顔をしていることだろう。  それでも、ライリーの方から先に謝罪を口にした。 「……先ほどは、無礼な真似をしてしまい、申し訳ありませんでした」 「いや。私の方こそすまなかった」  顔を上げるように言うと、顔を上げたライリーの表情は意外だと言わんばかりだ。心外だなと思う。セオとて、自分に非があるのであれば、素直に謝罪する。 「よく考えてみたら、あのサンドイッチに毒が盛られているはずもなかった。お前が食べるはずだった朝食なのだからな。私も急に押しかけたことだし、毒を盛る時間なんてあるはずもない。冷静に考えたらすぐに分かることだった。不快な思いをさせてしまってすまん」  淡々と言葉を紡ぐ。  別におかしなことを言ったわけではないはずだ。理路整然と自分の考えの間違いを訂正し直しただけだ。  それなのに。 「……なんですか、それ」  ライリーの表情が、再び険しくなっていた。必死に声のトーンを落としてはいるが、その声音には怒りが滲んでいる。 「何も……分かっていないじゃないですか。私が怒った理由を」  セオは目をぱちくりさせる。……ライリーが怒った理由? 「濡れ衣を着せられたことに怒ったのだろう?」 「…っ……、違います! そういうことじゃありません!」  では、何に怒ったというのだ。  声を荒げられることは百も承知で言葉の続きを待つと、ライリーは思いを吐露した。 「あの時、申し上げたはずですが。私は……私や宮女たちが毒を盛るような人間だと思われたことが許しがたいんです。私はあなたの王婿だ。私も宮女たちもあなたの味方です。あなたに毒を盛るわけがない。その忠義心を疑われたことに腹を立てているんです」  セオは虚を突かれた。  味方。忠義心。  その言葉のどちらもが、後宮においてセオの頭にはないものだった。 「後宮は……少なくとも赤薔薇宮は、あなたが身も心も安らげるような場所でありたい。私も宮女たちもそう思っております。無理に私たちが作った物を食べろとは申しませんが、……もう少し、私たちのことを信じてはもらえませんか」 「………」  トマスの奴め、あのことを喋ったな。  相手が王婿だから話したのだろうが、王族の醜聞をあまり広められたくはない。トマスには後で一言苦言を呈するにしても、だ。 (信じる? ここの者たちを?)  セオとて他者を信じる心が全くないわけではない。トマスのように、心を許している者は何人かいる。だからこそ、セオは毎日食事をとれているのだ。  ――あなたが身も心も安らげるような場所でありたい。  政略結婚の相手から、まさかそんな風に言ってもらえるなんて思いもしなかった。 (信じてもいいのか?)  分からない。なんの警戒することなく他者と関わる方法を、セオはとうの昔に忘れたから。  だが、それでも。セオを真っ直ぐ見つめるライリーの瞳に、噓偽りはないと思った。 「……先ほどのサンドイッチは、まだ残っているか」  気付いたら、そう訊ねていた。  ライリーははっとした顔をして、後ろにいるトマスを振り向く。トマスは応じるように一つ頷き、食堂から余っていたのであろうサンドイッチを運んできた。  それをセオに直接渡すのではなく、ライリーを経由してセオの下に届いた。 「どうぞ。セオ陛下」  瑞々しい野菜たちが具材として挟まれたサンドイッチ。  その一つを、セオはそっと手に取った。 「このサンドイッチの具材は、私が育てている家庭菜園で収穫したものです。サンドイッチを作ってくれたのは、宮女たちですが」 「そうか」  どうして家庭菜園などしているのかと思ったが、それはさておき。  セオは思い切って、サンドイッチを口にした。口の中に広がるのは、野菜たちから溢れる酸味と甘味。  当然ながら、毒など盛られていなかった。 「……うまい」  セオが心を許している者たちが作る料理と、なんら変わりがない。  ライリーは、安堵したように笑った。 「それはようございました」  その時の優しい笑顔が、セオの脳裏に鮮明に刻まれた。      ◆◆◆

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