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第12話 教皇がきた
それからクラークは、あくまで無理をしない範囲でだが能動的になった。村人の農作業を手伝ったり、牧用地で飼育している羊や山羊の世話をしたり。
サイードは初めこそ驚いて「どうかしたのか」と心配していたが、楽しげに暮らすクラークの顔を見て、楽しんでいるのならいいかと何も言わなくなった。
「ほう。今日は料理を作ったのか」
夜、仕事を終えたサイードが台所へ顔を出した。石造りのテーブルに夕食を盛りつけた皿を並べていたクラークは、「はい」と穏やかに返す。
ちなみに作ったのは、羊肉のクスクスだ。普段、この家の家事は女性タナル人が行ってくれているのだが、今日は夕食を用意してくれていた彼女から作り方を教わって、クラークが用意してみたのだ。
「うまそうだな。ありがとう」
「いえ。サイード殿下にはたくさん食べて精をつけてもらいませんと。お仕事が忙しいんですから、倒れられては困ります」
「君も心配性だな。適度に休憩はとっている。そういう君こそ、無理はするなよ」
二人で食卓につき、夕食をいただく。「ん、うまい」とサイードは笑みをこぼした。優しげなその表情にどきりとする。けれど、表面上は取り繕って顔には出さない。
サイードも気付いていなさそうな様子で、ふと口を開いた。
「そういえば、簡易公衆浴場は賑わっているようだな。俺たちもたまには一緒に入るか」
それにはクラークは頬を赤らめた。確かに一度一緒に入浴しているが――今はどうして冷静でいられたのか分からない――、また一緒に入るつもりなのか。
「は、入りませんよ!」
思わず声を荒げたクラークの反応が、物珍しいものであったらしい。サイードはきょとんとしていたが、クラークの心中を察したようだ。にやりと笑った。
「ようやく、少しは俺を男として意識するようになったか」
何故だか上機嫌で言うが、クラークは「私は入りませんからね!?」と声を大にして拒否した。
サイードはなおも可笑しそうだ。
「そんなに頑なに拒否することもあるまい」
「は、恥ずかしいじゃないですか!」
「と言っても、いずれは……いや、まあいい。それよりも今日父上から伝令が届いたんだが、シムディアの教皇がここに顔を出しにくるようだぞ」
それにはクラークは目を点にした。……シムディアの教皇がくる?
人を厄介払いで教団から追い出しておきながら、今更なんの用だ。タナルにきてからもう一年半近く経つこともあって、ますます今更感が拭えない。
「一体、どのような御用で?」
「さて。そこまでは書かれていなかった。まあ、一ヶ月後には分かるだろう」
「そう、ですか」
サイードが対応するのだろうが、クラークも同席した方がいいのだろうか。できるなら顔を合わせたくはないけれど。
(教皇様……本当になんの用だ)
内心首を捻りつつ、いつも通りの日常を送ること早一ヶ月。
「サイード殿下。エイブラム猊下がお越しになりました」
とうとう、教皇が村へやってきた。
先回りして報告するエラムに、文机に座っているサイードは「そうか、きたか」と書類から顔を上げた。クラークもサイードにチャイを淹れて届けにきたところだったため、ちょうどその場に居合わせた。
「クラーク、君は部屋に戻っていていいぞ」
「いえ。なんの用なのか気になりますし、同席します」
本音では顔を見たくもないが、何故タナルへきたのかの方が気になる。
というわけで、クラークはサイードとともに村に顔を出した教皇を出迎え、家で話を聞くことになった。
「クラーク。元気にしておったか」
「……おかげさまで」
素っ気なく返したが、なんだろう。教皇はいやににこにこしていて気持ち悪い。まるで媚を売っているような、クラークを邪険にしていたことなんて忘却の彼方に追いやっているかのような態度だ。
サイードは猫かぶりモードを発動して、にこやかな表情で本題を切り出した。
「お初にお目にかかります。タナル王国第一王子サイードと申します。不躾で申し訳ありませんが、本日はどのような御用件でお越しになられたのですか」
「これは、これは、ご丁寧な挨拶をありがとうございます。私はエイブラム。ご存知かと思いますが、シムディアにて教皇をしております。本日、こちらを伺ったのは、――クラークを教団へ返していただきたく思いまして」
クラークはつい「は?」とサイードの後ろで声を上げてしまった。厄介払いで教団を追い出したくせに、今度は教団に連れ戻したい、だと。
サイードも眉をぴくりと動かした。
「……何故、今更そのようなことを」
「いえ、実はね、他の四聖帝が何故だか力を失ってしまいまして。しかし、クラークはこちらで国土開拓していたというお話から、力を失っていない様子。ですから、教団の看板として戻ってきてほしいのですよ」
手の平返しとはこのことか。面の皮が厚いというのもこのことだろう。
他の四聖帝たちが能力を使えなくなっても知ったことではないと思っていたが、まさかこんな流れに変わるとは。
「……恐れながら、教皇様」
「ん? なんだ、クラーク」
こちらを見た教皇へ、クラークは淡々と言った。
「私ももう力は使えませんよ」
「は?」
「この地を開拓した頃は確かに使えましたが、以後はぱったりと使えなくなりました。まさに無価値な聖帝です。教団の看板として働くのは無理です」
「そんな見え透いた嘘を……」
聞き耳を持たない教皇に、サイードも加勢してくれた。
「私からも。クラークをそちらの教団の看板に戴くのはもう無理かと」
「何故ですか」
「おや、分かりませんか。シムディアでは身持ちの固さが好まれるようですが、私とクラークは結婚前提の婚約者ですよ。既成事実のある男性を、それも……お腹に子を宿した男性を聖帝として国民は崇められないのでは」
もちろん、真っ赤な嘘なわけだが、とんでもない嘘をつくものだ。クラークは恥ずかしくなってきて俯いた。そしてその頬を赤らめた表情から、サイードの話は事実なのだと教皇は勘違いしたようだった。「う、嘘だろう……」と狼狽えていた。
サイードはにこりと笑う。
「そんなわけですから、クラークのことは諦めてシムディアへお帰り下さい。クラークのことはご心配なさらず。私が責任を持って幸せにします」
「う……」
「エラム、エイブラム猊下がお帰りだ。村の外まで丁重にお見送りしろ」
「はっ」
ほとんど強制的に教皇は家から追い出された。見送ったエラムの話によれば、教皇は肩を落としておとなしく村を出て行ったそうだ。
「それにしても、よかったのか? シムディアに帰らなくて」
サイードの言葉にクラークは「え?」と目を瞬かせた。思わぬことを訊く。
「……帰ってほしかったんですか?」
「いや、違う。ただ……シムディアは故郷だろう。今の君なら聖帝として国民に尽くすことも嫌ではないようだし、帰りたくはなかったのかな、と」
そういえば、サイードの言う通りだ。今のクラークは大聖帝としての能力を振るうことに抵抗はないし、人々の喜ぶ顔が見たいという少しは聖帝らしい感情もある。シムディアの教団の看板として働くというのも、人生の選択肢にあってもおかしくないはずだ。
追い出しておきながら都合よく戻ってこい、と言う教皇に反発心があったことは否めない。けれど、一番の理由はそれではない気がする。
(もしかして……サイード殿下のお傍にいたい、から?)
そう気付いたが、それを口に出せるはずもない。押し黙るクラークにサイードは思い出したように言った。
「我が嘘ながら、お腹に子を宿した、か。――結婚したら現実にしないとな、クラーク」
からかうように口端を持ち上げるサイードに、クラークは顔を真っ赤にして、
「破廉恥なことを言わないで下さいっ」
と、声を荒げるのだった。
……風の噂によれば。
四聖帝が力を失ったのは、清廉な身ではなくなったからだ、という憶測がシムディア国民の間に広まったらしい。そのため、他の四聖帝たちは婿の貰い手がおらず修道院送りになったり、あるいはなんとか結婚できたとしても平民落ちしたり、と四聖帝としての華やかな人生から見事に転落したようだ。
そして四聖帝を失った教団も、段々と国民の信仰心を集められなくなって、やがて潰れることになる。
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