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第13話 元婚約者候補

 教皇がきてから数日後のことだ。  昼食前ということで村人の農作業の手伝いを切り上げ、家に戻ったクラークはサイードの執務室から言い争うような会話が聞こえてきて、おや、と目を瞬かせた。 「どうしてですか! 私が殿下の婚約者候補だったはずではありませんか!」  そう抗議しているのは、女性の声だ。それも若い。  婚約者候補という言葉に反応したクラークは、つい扉越しに聞き耳を立てた。サイードの婚約者候補だったということは、もしかしたら王妃になるかもしれなかった女性だ。けれど、クラークと婚約したと聞いて、抗議をしにやってきたというところだろうか。 (どんな女性なんだろう……)  扉にぴったりと張り付いていたら、急に扉が開いた。思わず「うわっ」と驚きの声を上げて、つんのめるようにして室内に足を踏み入れる。すると、すぐ目の前に立っていたのはエラムで、どうやらエラムが扉を開けたらしかった。  エラムは笑いを噛み殺した顔で言う。 「クラーク様。気になるのなら、どうぞ中へお入り下さい」 「う……は、はい」  さすがは睡蓮騎士団長。クラークが聞き耳を立てている気配を察知したようだ。  ともかく、改めて室内を見渡すと、文机に座っているサイードの前に十代前半頃だろうか。二人の傍仕えを侍らせた小柄な可愛らしい少女が立っていて、クラークの顔を見るなり睨みつけてきた。 「クラーク……そう、あんたが殿下をたぶらかした女狐ね!」 「め、女狐?」  そんな罵りは初めてされた。他の元四聖帝たちにだって言われたことがない。目を点にするクラークを、片眉を上げたサイードが庇ってくれた。 「ファティマ殿、私の婚約者に失礼なことを言わないでいただきたい」  けれど、少女――ファティマは聞く耳を持たずに、ずんずんとクラークの前まで歩いてきた。頭のてっぺんから爪先までじろじろと値踏みするように見る。 「……ふん。大したことないじゃない」  そう評価を下して、ファティマはサイードを振り向く。 「殿下、この男のどこがよろしいのですか。私の方がずっと可愛いですし、私なら殿下の政務を手伝えます。胸だって……いずれ大きくなりますよ」  いや、胸の大きさは関係ないだろう、とクラークは心の中で突っ込みをいれた。しかし、成長期前の乙女としては、まだ胸がないことが気になるのだろうか。  サイードは淡々と答えた。 「私はクラークのことを可愛く思っているし、政務を手伝ってほしいとも思っていない。私の婚約者はクラークだ。ファティマ殿を娶る気はない」  きっぱりと言い切ったサイードだったが、それでもなおファティマは引き下がらなかった。再びクラークを見上げて、思わぬことを問う。 「あんたは殿下のことが好きなの?」 「え?」  サイードのことが好きか。  そりゃあ、普通に好きだ。さりげなく優しいところも、真面目で勤勉なところも、人として好ましく思う。  けれど、きっとファティマが訊いている『好き』は、そういう意味ではないのだろう。  咄嗟に答えられずにいるクラークに、ファティマは「私は殿下のことが好きよ」とあっさりと恥ずかしげもなく言った。 「私の方が殿下をお幸せにできる。あんたは祖国にでも戻りなさいよ」  勝気な目でクラークを見上げながら言い放つファティマに、クラークは眉尻を下げた。 「そう言われても……」 「好きでもない男と結婚したって仕方ないでしょう。それとも何、まさか王婿の地位が目当てなわけ? だとしたら、あんたに王婿になる資格なんてないわ」 「ち、違います。地位が目当てなわけじゃありません」  慌てて否定したが、サイードのことを好きなのか、という問いに答えられなかったクラークの言葉に説得力はなかったに違いない。ファティマは「ふん、どうだか」と腕を組んで鼻を鳴らした。 「ファティマ殿、クラークはそのような男性ではない」  またも庇ってくれたのはサイードだったが、それが不愉快だったのだろうか。ファティマは不機嫌顔で、「殿下はこの年増男に騙されているんですよ」とサイードに訴えた。なんだかもう、言いたい放題だ。 (年増男って……四つ、五つくらいしか違わないような……)  いや、それとも四、五歳も年上相手なら年増男認定されるものなのだろうか。クラークはまだ十七歳なので、年増男呼ばわりは不本意だけれど。 「とにかく、そろそろ帰っていただきたい。貴殿が私の婚約者候補の一人だったことは分かっているが、私にはもうクラークがいる。諦めて他の男を探してほしい」 「私は殿下がいいんです!」 「気持ちがありがたいが、そう言われてもだな……」 「――僭越ながら、私からご提案させていただいてもよろしいでしょうか」  それまで黙って事の成り行きを見守っていたエラムが、口を開いた。クラークもファティマもエラムの方を向き、サイードは「なんだ、エラム」と発言を促す。  エラムはにこやかに笑った。 「クラーク様とファティマ様。お二人で勝負をして勝った方が、サイード殿下と一夜をともにする権利を得られる、というのはどうでしょうか」 「はあ?」  と、珍しく素っ頓狂な声を上げたのはもちろん、サイードだ。クラークもまた、内心では面食らっていた。……勝負をして勝った方がサイードと一夜をともにできる?  呆気に取られるクラークとサイードに対し、ファティマは「その話、乗りましたわ!」とがぜんやる気で食いついた。 「クラーク様は?」 「え、えーっと……」 「断るのでしたら、ファティマ様の不戦勝としますよ」 「え!?」  ということは、ファティマがサイードと一夜をともにする権利を得るのか。  それは……なんだろう。真面目なサイードのことだから手を出すことはないと思うが、ファティマと二人っきりで一夜を過ごす。そう考えると、なんだか胸がもやもやする。 「おいっ、エラム! 勝手なことを言うんじゃないっ」  サイードの抗議の声にも、エラムは涼しい顔をしてスルーだ。 「さあ、どうしますか、クラーク様」  参加するか、否か。  サイードと一夜をともにする権利がほしいわけではない。いや、別にそれが嫌というわけでないが、それよりもファティマにその権利を渡したくない。不思議とそう思う。  クラークは挑むような眼差しでエラムを見上げた。 「私も参加します」 「分かりました。それでは勝負内容についてご説明します。まだ先の話ではありますが、サイード殿下はヒデナイト地方の特産物を何にしようかお悩み中です。お二人には何か特産物たる物を一週間で一品目十一個作っていただき、それを村人に配ってまた一週間後、どちらの商品がよかったか投票してもらい、投票が多かった方を勝者とします。……よろしいですか?」 「「はい」」 「いやだからっ、人の許可なく勝手なことを…っ……」  サイードの苦言をファティマさえもスルーし、クラークを横目で見た。その口元には挑発的な笑みを浮かべている。 「負けないわよ。私が絶対に勝つ」 「……その言葉、そっくりそのままお返します」  バチバチと火花を散らすさまを、サイードは圧倒されたように眺めつつ、「誰か俺の話を聞いてくれ……」と嘆きの声を上げるのだった。

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