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瑠璃色ハミングバード After Story 前編

いつものように期末試験は散々な結果だったが、終わってしまえばこっちのもの。今年度の学校行事は、あとは卒業式を残すのみとなった。1年というのは本当にあっという間だ。 追試も終わったというのに、七海の表情は優れない。1年生の七海にとって卒業式はそれほど重要な行事ではないのだが、こんなにもセンチメンタルな気分になってしまう理由は一つしかない。 修作と付き合い始めて2週間が過ぎた。受験が無事に終わり、自由登校の3年生は卒業式まで最低限しか登校してこない場合が多いのだが、修作はできるだけ登校し、放課後の短い時間だが七海と会って一緒に過ごすようにしていた。もちろん、場所はあの空き教室。 今までの空白を埋めるように、二人はたくさん話をした。昨日見たテレビが面白かったとか、購買の新商品のパンがハズレだったとか、そんな他愛もない話。結局、いつも自分達の話をする前に下校の時刻となってしまい、“また今度”といって笑い合う。 そして最後は必ずキスをした。 ‥そんな幸せな時間もあと少ししかない。 修作が行く大学は地方にあるため、今住んでいるところからは新幹線と電車を幾つも乗り継いで行かなければならない。これからはいわゆる“遠距離恋愛”になるのだ。永遠の別れではないのだけれど、好きな人と離れ離れになるのはやはり悲しい。 ベッドに横になってそんなことをぼんやり考えていると、机の上に置いてあるスマホが鳴っているのに気付いて七海は慌てて手に取る。画面を見ると修作からの着信で、通話ボタンをスライドすると電話のむこうからはやけに賑やかな声が聞こえてきた。 「もしもし修くん?」 『おー、急に電話してゴメンな』 「ううん、大丈夫。どうしたの?」 『あのさ、明日の夜ってなんか予定ある?』 「明日は‥ううん、ないよ」 『そっか、そしたらさ‥ウチにメシ食いに来ねえ?』 「ご飯?」 『そう。実は‥うわっ、ちょっと何すん‥』 『七海ちゃーん?』 「えっ?修‥作先輩のお母さん??」 『ばあばもいるよー』 「おばあちゃん!」 電話先で修作の家族の声が変るがわる聞こえてきて、七海の顔は思わずほころぶ。 『‥ゴ‥メン!実は明日、俺の送別会?やろうとかって話になって‥で、母さんがお前も絶対誘えって。俺はあとで連絡するって言ったんだけど、いま電話して!ってうるさくて‥痛っっ!』 『もー、うるさいって何よー!』 『だから叩くなって!!』 電話先での様子が手に取るように分かり、七海は今度は堪えきれずに声を出して笑ってしまった。 『‥っと、それで明日は‥』 「うん、絶対行く!」 『おう。それじゃあ駅ついたら迎えに行く』 「うん!楽しみにしてるね!」 電話を切った後も、七海はしばらく笑いが止まらなかった。修作も修作の家族も、温かくて優しくてみんな大好きだ。 ******** 翌日、金曜日。学校が終わると七海はいつもと反対側の電車に乗りこむ。修作の家へ行くのは2ヶ月ぶりだ。電車に乗って数駅行ったところで連絡を入れておいたので、最寄り駅に着くと改札の前で待っている修作を見つけ、七海は大きく手を振って嬉しそうに駆け寄った。 駅から田んぼ道を抜けて約10分。修作の家に到着すると譜久田家一同、七海を温かく‥を通り越して盛大に出迎えてくれた。「俺の送別会‥だよな?」と小さく呟く修作を見て、七海は思わず吹き出してしまった。居間に行くともうすでにテーブルいっぱいに料理が並べられていて、「今日は修作の好きなものばかりなんだよ」と祖母が嬉しそうに教えてくれ、母の三和子が運んできたピカピカの山盛りご飯を見て、七海のテンションは一気に上がった。 修作の家に来るのはこれで3度目だ。1度目はまだ修作のことをあまり意識していなくて、帰り道で「友達になろう」と言われて動揺した。2度目は修作が空き教室で倒れていた時。その時はもう修作のことが好きになっていて、修作の体調を気遣い半ば強引に訪れたのだが、そこで修作の気持ちを知ることができてすごく嬉しかった。そして3回目の今日、こんなにも幸せで穏やかな気持ちでいられるのは、しっかりとお互いの心が通じ合っているから。 七海の「いただきます!」の合図で修作の送別会が始まった。美味しい食事と楽しい雰囲気に会話が弾み、終始笑顔が絶えることはない。 七海が今日初めて聞く話もたくさんあった。その中で1番驚いたのが、修作の兄がもうすぐ結婚する予定で、その相手の女性が修作の初恋の人だったということ。修作は必死で隠していたようだったが家族全員が気付いていて、その事実を知った修作は相当凹んでいたので、七海は「まーまー」と笑いながら背中を叩いた。顔を真っ赤にして膨れる修作が何だかとても子供っぽくて可愛らしく思えた。 しばらく歓談の後、修作の祖父母と父は「明日朝早いから」と言って七海に別れの挨拶をすると、先に部屋へと戻っていった。七海が用を足して戻ってくると居間に修作の姿はなく、三和子が一人後片付けをしていたので、七海は「手伝います」と声をかけた。 「七海ちゃん」 「なんですか?」 「ありがとうね」 「いいですよー、これくらい!」 「‥そうじゃなくて」 「?」 台所に食器を運んできた七海に、三和子は流し場にたまった皿を洗いながらゆっくりと話し始めた。 「私ね、あの子が受験勉強に真面目になってくれた時、安心したの。ちゃんと勉強してくれて良かったーって‥。でも全然食べなくなって、夜中起きてもまだ机に向かってることが増えた頃から、修作の顔がすごく怖くなったの。毎日夜食で塩おにぎり握ってたんだけど、それも食べたり食べなかったりで、睡眠も取ってないからいつもイライラしててね。そんなあの子今まで見たことなくて、怖くて‥。ふふ、母親失格でしょ」 それが自分のせいだったなんてとても言えなくて、七海はブンブンと必死に首を振ることしかできなかったが、それを見た三和子はありがとうと微笑んで言葉を続ける。 「‥だからあの日、七海ちゃんが2度目にうちに来てくれた日ね?あの子バカみたいに泣いてたけど‥あの時から顔が元に戻ったの。きっと泣いたことで、自分の中に溜まってたストレスが発散できたのね‥。私たち家族にはそれをさせてやることが出来なかった。七海ちゃんが側にいてくれたから、修作も素直になれたんだと思う。七海ちゃん、本当にありがとう。これからもあの子と仲良くしてあげてね」 ちょっと喋りすぎちゃったわね、と優しく笑う三和子の顔は修作にとてもよく似ていた。 「オレの方こそ‥これからもよろしくお願いします‥!」 三和子の言葉を噛みしめ、七海は笑顔で言葉を返すと再び居間へ食器を取りに戻った。 片付けを一通り終えて三和子に修作の居場所を聞くと庭に出ていると教えられ、七海はスニーカーをつっかけて外へ出る。2月の夜はまだ少し冷え、空気が澄んでいて星がよく見える。ひとり畑を眺めている修作の姿を見つけて七海が側へ駆け寄ると、それに気づいた修作は「コケるなよ」と笑いかけた。 「今日は‥ありがとな」 「ううん、オレの方こそ‥呼んでくれてありがとう!超楽しかった!」 「やかましい家族でゴメンな」 「‥ぷっ‥」 「なっ、何笑ってんだよ」 「だって‥家族の人といる時の修くん、いつもと全然違うんだもん」 七海は修作のことを、とても真面目で自分と比べてそんなに目立つようなタイプではないだろうと思っていた。自分といる時も感情を思いっきり表に出すことは滅多になかったので、家族の前で表情がコロコロと変わる様子がとても新鮮で、そんな修作が見れてとても嬉しかった。 ‥けれど同時に、そんな新しい発見をすることもしばらくできなくなるんだと気づいてしまい、胸の奥がチリっと痛んだ。 「‥いつ、関西に行くの?」 「卒業式が終ったら、1週間後の新幹線で」 「そ‥っか。準備とか忙しい?」 「うん、ちょっとな。来週は学校行けないかも」 卒業式まであと1週間ちょっと。修作と過ごせる時間は本当にあと少ししか残っていない。 「修作ー!七海ちゃん、帰り遅くなっちゃうからそろそろ切り上げなさーい」 三和子の声ではっとする。ポケットからスマホを取り出して時刻を見ると22時を少し回ったところだった。修作の家から七海の自宅までは、電車と徒歩で約2時間。終電にはまだ間に合う時間なのだが‥。 「なぁ、一ノ瀬」 修作に声をかけられる。まだ帰りたくない、そう思った。‥でも修作は優しいから、きっとこの後「駅まで送っていく」と言ってくれて、それでサヨナラして‥そしたら次に会うのはきっと卒業式当日だろう。 そう思って涙が溢れそうになった時だった。 「今日‥泊まってくか?」 予想外の言葉に面を食らった七海は少しの間のあと、大きな目をさらに大きく見開いて修作の顔を覗き込んだ。 「いや、あのっ‥変な意味じゃなくて、その‥だいぶ遅くなっちゃったし、明日休みだし‥」 必死に説明する修作の姿に、なんだか恥ずかしさがこみ上げてくる。七海は俯き気味に「ちょっと‥親に聞いてみるね」と言ってスマホを取り出した。 家に電話をかけ終えた七海の顔をどうだった?という表情で修作がのぞき込むと、七海はニッと笑い返す。 「ご両親にもよろしく伝えてって」 「そ‥っか」 家の中に戻って修作がこのことを三和子に伝えると、「こちらこそ、遅くなっちゃってごめんなさいねー」と、申し訳なさそうに七海に頭を下げた。

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