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十九 スーツのまま

「で、今度登山に行くことになった」 「山かァ。おれも昔、先輩に誘われて行ったけど……高尾山とか御岳山とか、初心者向けのとこ」  雑談しながら寮の玄関をくぐる。まだラウンジには、くつろいでいる寮生の姿がチラホラと見えた。 「だからスニーカー買おうと思って」 「リュックとか持ってんの? カッパも持っておいた方が良いぞ」 「あー。カッパか。リュック小さいのしかないな」 「じゃあ週末、買いに行こうぜ。付き合ってやるよ」 「おー」  経験者が選んでくれるなら、心強い。吉永が階段をのぼりながら振り返る。 「飲みなおす?」 「そうだな」  自然な誘いに、頷き返す。このまま別れるのは惜しいし、飲みたいのも事実だ。欲を言えば、スーツの吉永を抱きたい気持ちもあったが。 (まあ、それはな)  毎日毎日、盛るわけにもいかんし。  吉永に続いて部屋に入る。勝手知ったるで部屋の中に入り、電気を点けた。吉永が鍵をかけたのに気づいて、ドキリとする。薄っすらと期待感が沸き上がるのを抑え込んで、ジャケットを脱ごうとしたところを、止められる。 「あ、ちょっと待った」 「あ?」  制止されたまま待っていると、吉永は備え付けのクローゼットの方へと足を向ける。扉につけられている小物掛けから、紺色のネクタイを取り出し持ってきた。 「?」 「ちょっと着けてみて」  と言いながら、俺の首にネクタイをひっかけ、結び始める。他人に結ばれるのはこそばゆい。少し伏せられた瞼を見下ろし、ドキドキと心臓が脈打つ。 (まつ毛、長いな……)  凄く、良い状況だ。何か、言葉にするのは難しいけど、良い。こういうの、好きだな。  顔に息が掛かりそうで、呼吸が浅くなる。ネクタイを締める、シュッという衣擦れの音が、緊張感を生む。 (しかし、脱がされるんじゃなくて、ネクタイを締められるってのは……)  どういう意味なんだと、内心首を捻る。その気があるのかないのか、良くわからん。  ネクタイを締め終え、吉永が満足そうに笑った。 「よし。良いじゃん」 「そう?」  姿見で確認する。なかなか似合うかも知れない。吉永が俺の首に腕を回した。 「やっぱ、スーツはこうじゃないと」 「おう……?」  当然のように顔を寄せて、唇が重なる。ふに、と押し付けられた唇に、俺も腰に手を回して引き寄せる。ちゅ、ちゅっと何度も唇を吸い寄せ、重ね合わせる。徐々に、体温が上がる。ジャケットの裾に手を突っ込んで、腰を撫でる。舌を忍ばせ、舌先を擽る。 「ん……」  甘い声が、漏れる。声を呑み込むように、深く唇を合わせた。 「んむっ……、ん……航、平……」 「っ……、はっ……」  ぷは、と息を吐いて、唇を離す。上気した頬と、潤んだ瞳。ドクドクと、心臓が鳴った。  吉永がベッドに腰かけ、俺の腕を引きながら妖艶に微笑んだ。 「スーツで、したくない?」 「――」  ゴクリ、喉を鳴らす。吉永も同じ気持ちだったのだと思うと、急に嬉しさがこみ上げてくる。メチャクチャにしたいという欲望が、むくりと頭をもたげる。  吉永の肩を掴み、荒い呼吸を呑み込んで、小さく呟く。 「したい」  俺の返答に、吉永は満足したようにニマリと笑って、俺のネクタイを引っ張った。  顔を寄せられ、もう一度唇が重なる。噛みつくように唇に吸い付き、舌をねじ込む。口の中を丹念に舐める。吸う。唇を噛む。 「んっ、……、んぅ、んっ……」  角度を変え、唇を食む。顎から唾液が伝う。それを舌先で掬い、また口づける。ハァハァと、荒い呼気が聞こえる。 「こう、へ……、んっ……」 「……着たまま、していいの?」  耳たぶに噛みつきながら、問いかける。汚すかもよ。と、暗に問いかけた俺に、吉永は笑いながら背中に腕を回した。 「んー。良いよ? 汚しちゃって」 「……」  それは、もう。  殺し文句過ぎるだろ。

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