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三十七 苦くて痛い

 河井さんとのデートを約束した。デートは先の話ではあるが、これで一歩先に進めるような気がして、ホッとする。 (普通に、メッセージ来るようになった…)  夕飯に選んだサバ竜田揚げ定食を食いながら、スマートフォンを操作する。連絡先を交換して以来、一度もやり取りがなかったメッセージだったが、合コン以降、ちょっとだけやり取りをするようになった。とはいえ、食べ歩くのが好きらしい彼女の気になる店の話だとか、テレビのバラエティー番組の話だとか、そういう世間話ばかりだ。友人程度の関係にはなったと思うが、男友達として意識されているかは微妙な所か。 (嬉しいんだけど)  河井さんからのメッセージが、嬉しいはずなのに、どこかしっくり来ない。もう、やましい気持ちもないというのに、気分が盛り上がらない。デートの約束をした時も、どこか淡々とした気持ちだった。  竜田揚げに齧りつきながらメッセージアプリを閉じて、ニュースアプリを起動させ、今日のニュースを流し見していた時だった。 「航平は竜田揚げ? 俺は鶏にしたわ」 「――」  そう言いながら、向かいの席に吉永が座る。思わず、箸を止めた。 「魚も良いんだけど、やっぱ肉のがなあ」  唐揚げの横に置かれていたレモンを絞りながら、吉永がそう言う。ごく自然に「いつも通り」の吉永を演じている。けど。 (声、震えてんだよ)  僅かに、声が上ずっている。緊張しているのか、レモンを絞る手が震えている。目線が、微妙にかみ合わない。  それでも。 「良いじゃん鶏。俺もそっちにしようか迷ったんだよな」  それでも、傍に来てくれた。  胸の奥が、じんと熱くなる。吉永との身体の関係は終わらせたが、友情まで終わらせたくはない。その気持ちを、吉永が汲んでくれたのか、同じ気持ちでいてくれたのかはわからない。正直、俺がやったことは、虫が良い話かもしれない。でも、それでも。 (嬉しい……んだ)  もう、触れることは出来ないけれど。傍に居ることは出来る。一緒に笑うことが出来る。それが、嬉しい。 「航平、明後日、行くんだろ? 登山」 「え? ああ」  覚えていたのか。まあ、一緒に道具をそろえたのだし、不思議ではないのかもしれない。 「整備された登山道とはいえ、怪我することもあるから、気をつけろよ」 「――うん」  心配していたのか。思わず口元を緩めると、吉永はムッとした顔で目元を赤くした。ついいつものように揶揄いそうになって、唇を結ぶ。  ああいう顔をされると、泣かせたくなる。けど、もうナシだ。この気持ちも、もう、棄てなければ。 (本当に……)  口では普通を装いながら、目蓋を伏せる。二人とも、どこかぎこちない。時間が二人の間を修復するのだろうか。今は解らない。ただ、苦くて、痛い。  ドラマの続きを観ようと言わないのは、互いになんとなく、二人きりになるのを避けているからのような気がした。今、吉永の部屋に行って、なにもしない自信がない。  テーブルの向こうは、近いようで、遠い。腕を伸ばせば届く気がしたが、それを許さない距離だった。  ふと、足先に何かが触れる。それが吉永の足だと気づいて、何か込み上げそうになったものを、グッと呑み込む。  吉永も無言で、箸を止めた。だが、それも一瞬で、また箸を進める。触れ合った爪先を、どちらも退かさなかった。靴ごしなのに、そこだけが妙に熱く感じる。 「なんか土産、買ってくるよ」  俺はそう言って、ごまかすように笑って見せた。

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