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三十六 一夜明けて

(怠い……)  起きるのが億劫だ。ぼんやりしたまま、無理やり身体を起こす。のそりとベッドから起き上がり、部屋を見渡す。変わらない筈の寮の風景が、灰色に見える気がした。 「……」  開けっぱなしのクローゼットに、投げ捨てるように放り込まれた衣類。買ったまま袋に入ったままの登山用品。ミニテーブルには、飲みかけの水とビールの空き缶。散らかった部屋は、俺の頭の中みたいだ。  吉永との関係を終わらせて、三日。まだ、たったの三日だ。問題を消せば終わる筈もなく、胸の奥でただジリジリと焦げ付いたみたいな痛みが残っていた。 (けど、これが最善のはずだし……)  ため息を吐き出し、クローゼットの鏡を見る。 「酷ぇ顔……」  顔色は悪いし、何年も歳を取ったみたいだ。 (吉永は――)  吉永は、やはり「何でもない」とは行かないようで、その姿を見るのも辛かった。  あの夜、最後に抱いたあと、吉永は熱を出したと、会社を休んだ。本当に熱が出たのか、そうでないのかは解らない。翌日には顔を出したけれど、空元気に見えた。  二人の関係は、元通りとは行かなくて、どこかぎこちない。まだ、時間が必要だ。  吐息を吐き出し、シャツを羽織る。落ち込んでも、朝は来る。会社には行かなければならない。  ふと、クローゼットの端に、ネクタイが掛かっているのが目に入った。ネクタイがあった方が良いと、吉永が俺に渡したものだ。このネクタイで、吉永の腕を縛ったこともある。 「……」  俺は無言でネクタイに手を伸ばし、襟元で結んだ。    ◆   ◆   ◆ 「あれ? 今日はネクタイなんですね」 「あ、河井さん。まあ――ちょっと、気分を変えて」  河井さんは郵便を出しに行く所だったらしい。俺は正門に用事があるので、そこまで一緒に歩いていく。 「この前は楽しかったですね。美香たちも盛り上がってたし」 「香川さん、話上手だもんね。良かったよ」  他愛ない話をしながら、歩く。河井さんは俺より、頭ひとつ小さい。吉永よりも、ずっと小さい。身体つきは、少しふっくらしている。吉永はやっぱり男だから、筋肉質で硬かった。 (ロングスカートか……。そういや、いつも長いの穿いてたな)  足は、残念ながら見えない。女性の脚をジロジロ見ると失礼なので、さりげなく視線を外す。先日の飲み会でも思ったが、河井さんはゆったりしたシルエットの服が好きなようだ。彼女の緩やかな雰囲気に良く合っている。 「それで、西口のほうにパンケーキのお店が出来たらしくて」 「へえ。フワフワ系? 俺食べたことないんだよね」 「そうそう。リコッタチーズの。行きたいんだけど、なかなかね……。美香はあんまり甘いもの食べないんだよね。身体鍛えてるから」 「ああー、身体絞ってるっぽいもんね」 「おひとり様で寿司とか焼肉とか、カフェとか? ちょっと勇気無いかなー。私は」 「俺も焼肉は行ったことないや」  寿司はあるけど。大抵は友人たちと一緒だし。そういう機会もあまりない。「だよねー」と笑う河井さんの横顔を見ながら、ふと落ちて来た思考を呟く。 「じゃあ、一緒に行きます?」 「え?」 「今週はちょっと、登山の予定なんで来週――とか」 「――」  河井さんは驚いたようで、目を丸くした。少し考えるそぶりをして、小さく頷く。 「――うん。良いよ」  そう言った河井さんの耳が、少し赤かった。

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