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六十九 『律』
何故か石黒という初対面の男に、後輩のごとく連れ回された。とはいえ、石黒は話が面白く、男としての魅力がある。控えめに言って『カッコいい男』だった。
「夕暮れ寮も十年か」
「まだ新しい感じするんですけどね」
飲み放題に含まれているらしいワインを片手に、石黒が呟く。赤いワインが妙に様になる、キザな男だ。この男に似ていると、自分でも思うのだから、俺もどこか気取っているんだろう。少し恥ずかしい。
「夕暮れ寮が出来る前に、夕日寮ってオンボロの寮があってな。オレとか福島は、夕日寮から夕暮れ寮に移動した組なんだよ。まあ、一期生ってやつだな」
「福島課長とは、同期なんですか」
「そうそう。見えないだろ?」
そう言ってウインクして見せる石黒に、つられて笑う。福島課長は三十二か三だったので、そのくらいだろう。俺とは十も違うとは思えない。
石黒は夕日コーポレーションを経てベンチャー企業に転職し、その後独立したらしい。そういう生き方を夢見ても、今の立場を捨てる思いきりのよさは、なかなか発揮できない。素直に、すごいと思った。
十周年の会場には、様々な人間が来ていた。主夫だというもの、農家になったもの、実家を継いだもの。中には二ヶ月ほどしか居なかったようなやつも居るらしく、「おれが寮生だって知らないやつもいる。飲みに来たんだ」と、堂々と飲んでいたりした。
「今は起業して、軌道に乗ったところでね。業績は上がったが人手が圧倒的に足りないんだ。久我くんも興味あったら、うちにおいで」
「それ、課長に怒られるやつですよ」
「確かに」
カラカラと笑う笑顔が、妙に魅力的だった。
(俺の兄貴とは、違うタイプだよな。けど、似てる。遠縁だったりして)
そんなはずはないのだが、どこか親近感を覚える。人間、似たような人間が三人はいるというが、俺にとっては石黒なんだろうか。それが成功した社長様なら、なんだか悪い気はしない。
「まあ、半分は本気だから。覚えておいてくれよ。おっと。電話だ。すまないが失礼するよ」
そう言って、電話を片手に石黒は会場から抜けていった。
解放されたは良いが、手持ち無沙汰になってしまった。寮生もOBも、それぞれ歓談している。どこかに合流しても良かったが、少し疲れてしまった。
(吉永は――っと。居ねえな。トイレか?)
もしかしたら、どこかでサボって居るのかも知れない。そう思って、俺も会場を抜け出す。
ざわついた会場の空気が遠くなって、ホッと息を吐く。知らない顔が多くて、無意識に緊張していたようだ。
(石黒さんは、居ないか)
外まで出たのか、近くに石黒の姿はなかった。出たついでにトイレにでも行くかと、ホール外の廊下を歩く。
用を済ませて、会場に戻るか思案したところで、階段下に喫煙所があるのに気がついた。もしかしたら、吉永が居るかもしれない。そう思って階段を降りていく。
中ほどまで降りたところで、喫煙所の扉が開いて、吉永が出てきた。声をかけようと手を上げた時だった。
ロビーの向こうから、石黒が現れた。吉永が驚いた顔で足を止める。
(ん?)
吉永の表情に違和感を覚えて、とっさに陰に隠れてしまった。
「律! 久し振りだな」
「――石黒」
明らかに、動揺した様子で吉永の表情が揺らいだ。久し振りにあった先輩に対する態度として、違和感を覚える。
(それに――)
石黒の方を見る。
『律』。そう、名前を呼んだことに、ざらりとした感情が沸き上がる。吉永と、名前を呼ぶほどに親しかったのか。それとも、『先輩』だからなのか。
ドクドクと、心臓が鳴る。嫌な感情が、じわじわと胸に拡がっていく。
「何だ、しけたツラして。久し振りの再会だぞ。もっと感動してみろ」
「何でおれが……。っていうか、来てたんだ」
吉永が拒否感を示す。誰に対しても来るもの拒まないところのある吉永にしては、ずいぶん珍しい。暗に『よそ者』を強調する物言いは、はっきりと拒絶だった。
「古巣の周年パーティーだ。まあ、顔を繋ぎたい気持ちが大きいけどな」
「あ、そう」
二人の会話を聴きながら、陰でこそこそしていることに罪悪感が湧く。けど、内容が気になって、聞き耳を立ててしまった。
(すげえ、気まずい……)
今からでも、何でもない風に声を掛けるべきか。悩んでいたときだった。石黒が肩を竦めて大袈裟に吐き出す。
「つれないなぁ。まだ、置いていったこと、根にもってんのか?」
吉永は無言で石黒を睨んだ。
(置いていった?)
どういう意味だろうか。
ザワザワと、心臓がざわめく。俺の知らない、吉永の話。どうしたって、俺と吉永の間には、埋められない年齢の溝があって。
「――っ……」
石黒が馴れ馴れしく、吉永の肩を抱いた。
「忘れるわけないだろ? ちゃんと、迎えに来るって約束しただろ」
心臓が痛い。胸が苦しい。耳鳴りがする。
「知らねえよ」
吉永が不愉快そうに、石黒を振りほどいた。石黒は耳障りな声で笑っている。
「拗ねるなよ、律」
これ以上、聞いていられない。
俺は逃げるように、その場を立ち去った。
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