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七十三 素直なこころ
兄とのやり取りは、思いの外スムーズだった。疎遠だったせいか、兄が信頼できると言う、無条件の感情からか、俺はほとんど赤裸々に、吉永のことを語った。
寮の先輩だということ。好奇心から始まった、身体だけの関係だったこと。関係に悩んで、一度は別れようと思ったこと。それでも、離れられなくて、もう一度やり直したこと。
――吉永の過去に、俺の知らない男が居るかも知れないこと。
石黒のことを話すときは、何度か手が止まってしまった。不安が込み上げるが、兄と話すことで自分の中で、整理できたものもあった。
『航平にとって、すごく大切な人なんだね。会ってみたいな』
『うん。いつか、紹介する』
兄は穏やかで、話をしていると安心できた。不安が消えたわけじゃなかったけれど、それでも考える余裕が出来たように思える。
『航平、一度、ちゃんと律さんと話したら?』
『え?』
『航平が不安なこと、ちゃんと伝えないと解らないよ。航平は我慢強い子だから、意地を張って黙っちゃうけど、それは他の人には解らないからね』
『それは……』
兄の言うことは解る。けど、踏ん切りがつかない。俺の背を押すように、兄が続ける。
『今、航平が不安だと思っていることは、まだ何も起きていないよ。律さんはちゃんと、航平の傍に居るじゃない。妄想にとらわれて、目の前のことを大切にしないのは良くないよ』
『――』
確かに。その通りだ。
俺は、大切なことを見落としていたかもしれない。
まだ起こっていないことは、すべて俺の妄想だ。妄想にこだわってばかりで、吉永と話をしないのは違うだろう。
俺はどうしたい?
答えは決まっている。
吉永に、傍に居て欲しい。今も、これから先も。ずっと。
『――ありがとう、兄貴。何か、少し楽になった』
『ううん。話を聞くしか出来ないけど、いつでも連絡してくれよ』
スマートフォンの文字の向こうに、兄の笑みが見えるような気がした。
ほうと息を吐き出して、スマートフォンを持った手ごとベッドに投げ出す。ベッドに沈む感触が心地よい。どのくらい兄とメッセージをやり取りしていただろうか。辺りはすっかり薄暗くなっていた。
のそりと上体を起こしてベッドから抜け出し、ベランダの窓を開く。夕暮れの空気が部屋の中に入り込む。俺は深呼吸して、肺いっぱいに空気を吸い込んだ。
俺は向き合えているだろうか。吉永に。自分に。自分を良く見せようとして、カッコつけてないだろうか。強がってないだろうか。
(カッコつけてんな……)
自嘲とともに笑いが漏れる。
どうしても、年下だと言うことが、吉永にカッコよく見えたいと言う気持ちが、見栄を張らせている。本当はカッコ悪くて、臆病な癖に。
素直になってみよう。シンプルなことだ。
「律」
ポソリと呟く。風が頬を撫でた。
「不安なんだ。俺って、年下だし。仕事だって、まだまだだし。律の方が、ずっとカッコいい」
年齢は仕方がない。俺より長く生きているんだから、吉永の方が何でも出来るのは仕方がない。それは解っている。けど、それでも、気になるんだ。
「石黒って奴が、なんなのか気になる。でもそれより、もっと気になるのは――」
吐息を吐き出し、茜色の空に呟いた。
「好きだ、律。……律が、俺のことを好きなのか、知りたい。本当はどう思ってるのか――」
本人を目の前にしなければ、こんなにも簡単に口に出せるのに。フッと笑って息を吐き出す。ずっと、窓を開けていたせいか、少し冷えた気がして、窓を閉めようとした時だった。
ふわり、背中から抱きしめられて、ドクンと心臓が鳴った。
「――え」
『好きに、決まってんだろ。バカ』
「――っ……」
背中に伝わる感触と、鼓動。ドクドクと、心臓が鳴る。いつの間に、帰って来てたんだ。いつの間に、部屋に入って来ていたんだ。
「り、律……」
カァと顔を赤くして、吉永の方を見た。
今、好きだと言った?
「……本当、に?」
唇が震える。欲しかった言葉が、聞こえた気がして。それが、気のせいじゃないのだと、間違いじゃないのだと、言って欲しくて。
「本当だよ。――航平、好きだよ。何だよ。伝わってなかったの?」
「っ……、不安、で……」
「はは。まあ。おれも。……おれも、不安だった。航平、全然言わないからさ」
「え? 俺、言ってない?」
「言ってない、言ってない」
「マジか」
しょうがないな。と笑う吉永を抱きしめ、額を擦り合う。吉永も、不安だったのか。俺たち、何やってんだ。本当に。
「年上で気にしてんのは、おれだって一緒。でも、航平だから――」
「うん……」
顔を近づけ、唇を重ねる。ハァと息を吐き出し、もう一度唇を合わせた。
「もう一回、言って」
「――好きだよ。航平」
「俺も。律が好きだ」
視線を合わせて言葉を交わしながら、俺たちは何度もキスをした。
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