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八十八 それはダメだ。

「終わったあああああぁぁぁ!!」 「家に帰れるーーー!!」  完成データを納品し、晴れて解放された社員たちの表情は、実に晴れやか――とはいかずに、グロッキーだった。みんなお疲れ。俺はキーボードに突っ伏して死んでいる律に近づいて、「お疲れ様」と声をかける。殆ど社員たちは死んでいたが、石黒と俺だけはいつも通りだった。俺は途中参加だからまだ平気だったが、石黒はなんというか、バイタリティーに溢れすぎていて、正直バケモノである。 「いやあ、福島が自慢するだけあるな。実に優秀だ。それで、いつから働ける?」 「冗談は顔だけにしてください」  油断したら本当に働かされていそうで怖い。ヤクザか?  石黒はまだギラギラした顔で、次の案件はどうだとか話をしている。なんというか、社長がこれくらい強引じゃないと、小さい会社なんか回らないのかも知れない。ムカつく男ではあるが、どこか憎めない男でもあった。まあ、律は大分、憎しみを込めた目で見ていたんだが。 「まあ、引き抜きたい気持ちは本当だけどな。居づらくなったら、吉永と一緒に来ると良い。いつでも歓迎するぞ」 「そりゃ、どうも」  石黒の下で働くつもりは今のところないが、恋人同士の俺たちが居ても平然とした様子のSDMの社風は悪くなかった。恋人ムーブかましていても冷やかされるぐらいだったし。夕日コーポレーションでやりづらかったら、マジで転職もありかもしれない。 「んー…、航平……、もうプログラム見たくない……」 「そろそろ帰るか? 律」  ぐったりした律を引き起こして、肩を貸す。このまま寮に連れ帰って、ぐったりと眠りたいところだ。社員たちもお疲れモードながら、少しずつ退社の準備を始めている。 「今度打ち上げやるからな。お前らも参加してくれ」 「まあ、考えておきます。石黒さんには会いたくないですけど、皆とは仲良くなったんで」 「酷いなあ」  石黒は気にした様子もなく、ケラケラと笑っている。こういうことを平然と言える空気を作っている石黒は、実はすごいのかも知れない。気のせいだろうが。 「さあ、律。帰ろう」 「んー……」  眠そうな眼を擦って、律は石黒の方を見た。 「石黒」 「なんだ、吉永」 「報酬、忘れんなよ」  拳を突き出してそう言う律に、石黒は肩を竦めた。 「まあ、話は通しておくさ」 「何の話?」 「内緒話」 「……」  一瞬、二人だけで内緒話かよ。と、ヤキモチを妬いたが、この二人に限っては『ナイ』というのが解ったので、仕方がないと肩を竦める。律のことだから、俺に内緒にするってことは、俺に関係あることなんだろう。敢えて突っ込まなくとも、そのうち解るに違いない。  ◆   ◆   ◆ 「寂しくなるなあ」 「寮出ても、忘れんなよ!」 「二人そろって退寮なんて……」  口々にお別れの言葉を言う寮生たちに、本人たちは苦笑いを浮かべる。まるで今生の別れだ。会社は辞めないのだから、いつだって会えるだろうに。いや、そんなことはないんだろうか。 「あんまり良輔に迷惑かけんなよ。渡瀬」 「なんで俺が迷惑かける前提なんだよ」  揶揄うように言う星嶋に、渡瀬は不満そうに顔を顰める。その肩をポンポンと叩いて、押鴨が苦笑いした。今日の主役は、渡瀬歩と押鴨良輔の二人だ。今日は二人が夕暮れ寮で過ごす、最後の夜である。近くの居酒屋を貸し切って、夕暮れ寮全員での飲み会だ。 「いやー。退寮かあ。寂しいもんだよなあ」 「本当に。おれ押鴨先輩にメチャクチャ世話になったし」  大津と蓮田がビールを啜りながらしみじみと頷く。俺も、渡瀬さんには営業の話を聞いたりしたし、世話になった記憶ばかりだ。 「それで、航平は寮を出る話はどうなってんだ?」  と、宮脇が俺の脇腹をつつく。 「うるせえな。考えてはいるけど、タイミングがあんだよ」 「そうやってずっと居るんだろ~?」  冷やかしてくる同期たちを無視して、俺はグラスを呷る。俺だって、寮を出ることは考えてるさ。ただ、律とはそう言う話を一度もしたことがないし、まだそういう段階じゃないってだけだ。いずれは寮を出て、律と暮らすことになる。律だって同じ気持ちのはずだ。 (そう言えば、律の姿が見えないな……)  送別会が始まったばかりの頃は、少し離れた席にいたのが見えていたが、しばらく姿を見せていない。余興がどうのこうの言っていたから、その準備で席を外しているのだろう。今は榎井飛鳥がややウケの手品を披露しているところだった。 『以上、榎井飛鳥のびっくりマジックショーでしたあ! つづいてはあ!!』  テンション高くマイクを握る吉田清の姿に、そちらの方を見る。 『夕暮れ寮名物の美女軍団のお出ましだあ!』 (美女軍団?)  誰のことだと、首を傾げる。蓮田が「あー、ネタ枠か~」と頷いている。まあ、男子寮で女装なんて、ネタ枠でしかない。  吉田のドラムロールと共に、障子が開かれる。同時に、会場にどよめきが走った。 『チャイナドレスの美女・裕美ちゃんとバニーガール・律子ちゃんです!! 二人でデュエットするのは――』  会場に現れたのは、「どうしてそうなった?」と言いたくなるほど完全に女性にしか見えない朝倉裕一郎と、なまめかしい脚を惜しげもなく晒した、愛しい恋人だった。  あまりの衝撃に、ビールを持っていたグラスがすとんと床に落下する。 「あっ。航平、おま」 「~~~~~!」  カラオケマシンから音楽が鳴る。律がマイクを受け取るのを見て、俺はバッと立ち上がった。突然立ち上がった俺に、律がこちらを見る。 「おい、航平? どこ行くんだよ」  蓮田の声が聞こえたが、それどころではない。  俺は宴会を楽しむ寮生を掻き分け、律の前に飛び出た。ちょうど歌い出しだったところに現れた俺に、律が驚いて目を丸くする。「航平?」の声が、マイクにそのまま乗った。 「この、馬鹿がっ!」  律をヒョイと抱え上げ、そのまま会場を飛び出す。騒然とする会場の声とともに、進行の吉田が『おっと~~!? これはどうしたことか! バニーガールが連れ去られました!!』という声が響き渡った。

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