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「お待たせしました、マツモリ食堂です! 特製スタミナラーメンとエビチャーハンになります!」  木曜日の夜だった。  午後七時を過ぎ、伊吹生の事務所にやってきたのは、同じ通りに店を構える「マツモリ食堂」の配達員だった。 「いただきまーす」 「また、ここで飯を食っていくのか、拓斗」 「コッチだと涼しいし、落ち着くから。十分で食べるよ。甫先生も十分で食べちゃって、器持っていくから」  店主の息子である松森拓斗(まつもりたくと)がミーティングテーブルに座り、五目焼きそばを食べ始める。放課後や週末に店の手伝いをしている高校生の彼は、ラフな私服姿に金髪頭、両耳にはピアスを入れていた。  事務所の奥には、間仕切りを設けていない小規模な給湯室がある。コンパクトな冷蔵庫に常備している来客用の緑茶をグラスに注ぐと、拓斗の手元に運び、伊吹生も向かい側で食事を始めた。 「吸血種」とはいえ、血を飲まずとも「普通種」と同じ方法を用いた肉体の健康維持は可能である。  ただ、新鮮な血の一滴さえあれば、十分なエネルギーが摂取できるのも事実であった。  睡眠いらずの生活も苦ではない。  今や飲血(いんけつ)方法も様々で「吸血種」向けの血液ビジネスが盛んだった。正規ルートにおける有償採血、いわゆる売血で集めた血液を元に製造される血液パックが主流になっている。他者の肌に牙を立てる必要もなく、安全にスマートに飲血できるようになっていた。 「相変わらず暗いなぁ。吸血種って暗がりの方が落ち着くの?」 「これは省エネだ」  伊吹生はチャーハンをかっ込む。熱々のラーメンを物怖じしないで啜る。気取らない食べっぷりに拓斗は笑顔を浮かべた。 「親父に見せてやりたい」  伊吹生はふと割り箸を持つ手を止めた。 「お父さんが入院するのは来週だったか」  出前はもちろん、店に食べにいくのもしょっちゅうで、一身上の都合で「マツモリ食堂」がしばし閉店することを伊吹生は知っていた。 「しばらく食えなくなるのは惜しい。今の内に食い溜めしておかないと」 「それ聞いたら喜ぶよ」  総合法律事務所から二十七歳で独立した伊吹生は、開業当初から「マツモリ食堂」にお世話になっていた。徒歩で出前を届けにくる拓斗からはいつの間にやら懐かれて、こうして一緒に食事もする仲になった。 「うまかった。今日もごちそうさま」  伊吹生は特に元気づけるでもなく、普段と同じ言葉をかけた。 「明日も頼む」  短期入院で済む手術らしいが、家族の初めての入院に不安を抱えているだろう少年は、極自然な様子で吹き出す。 「本当、ウチの味好きだね、甫先生」  防音ガラスで外の喧騒が遮断される室内は静かだった。 「そういえばさ、ノスフェラトゥってクラブ、甫先生は知ってる?」  二人分の器を昔懐かしいオカモチに仕舞った拓斗は、ふと神妙な面持ちになって伊吹生に尋ねてきた。 「そこは吸血種専用の遊び場だ」  両開きのスチールドアを開いて見送ろうとしていた伊吹生は、精悍な上がり眉を顰める。 「普通種は滅多に行かない。もしも招かれるとしたら、それは餌としてだ」  血液ビジネスを手がける正規業者は豊富で、大抵はスマートに合法的に血を摂取できる。その一方で原始的な方法に傾倒する者もいた。吸血鬼のように襲うのではない。高額の報酬で「普通種」を誘き寄せ、合意の元、犬歯が発達した乱杭歯を生き餌の肌に直に打ち込み、テイスティングするのだ。 「ギャラに釣られて行ったら痛い目に遭う」 「でも、吸われるのは数分で、両腕と両足で四十万だって。それに首も追加したら六十万だって」 「乱杭歯が皮膚を切り裂いて、血肉に埋まる痛みに耐えられると思うか?」 「数分なら、多分」 「数分を超えたらどうする。貪欲で狡猾で浅ましい奴等がお前の血の味に理性を放棄して、延長したらどうする」 「延長になれば、もっとお金がもらえるよ」 「拓斗。出血性ショック死って言葉を知ってるか。まさか、本当に生き餌バイトをやるつもりなのか?」  不純物なき黒々とした伊吹生の虹彩から拓斗は視線を逸らした。 「先生、大袈裟だよ」  引き留めようとする伊吹生の手を振り払うと「吸血種が吸血種を悪い風に言うって珍しいよね」と言い捨て、駆け足で階段を下りていった。  生き餌バイト。リスクがある分、通常の売血より何倍もの報酬が支払われる。いわゆる闇バイトの一種だった。 「ノスフェラトゥ……か」 「吸血種」の間では有名で店であった。  郊外にあるナイトクラブで普段は「普通種」お断り、特定のイベント限定で例外的に訪問が許される。  クラブ側が生き餌バイトを雇って集客アップを図る、謝肉祭の日もとい「カーニバル・デイ」のときだけ……。

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