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「伊吹生さん」  グラスいっぱいの酒を一息に喰らい、テーブルに突っ伏せば、取り澄ましたような声が伊吹生の鼓膜を不快に震わせた。 「前回もそうでしたが、ペース配分を考えないと」  伊吹生は目線だけ動かして凌貴を見やった。興味を示していたペーパーナイフを放り投げ、イスから背中を浮かせて前のめりになった彼は、この状況に愉悦しているようだった。 「でも、貴方が苦しんでいる姿は、えもいわれぬご馳走に値しますね」  凌貴は事務所備品の何の変哲もないグラスから、半分近くワインを飲んだ。 「……必ず拓斗を無事に返せ……」  くぐもった声で伊吹生が請うと、席を立ち、真横へやってくる。適当に撫でつけて十秒以内にセットが終わる黒髪を、聖母じみた手つきで梳いた。 「優しい人ですね」  いきなり髪を掴まれたかと思うと、有無を言わさずグイッと引っ張り上げられ、伊吹生は呻吟する。  火照った頬。早くなった呼吸。シャープな瞳は満遍なく潤み、下顎にまで唾液が滴っていた。  血を得て興奮状態を強いられている伊吹生に、凌貴の微笑は深まった。 「もちろん返却します。僕と乾杯してくれましたからね」  地肌に走る痛みに顔を歪めれば、さらなる愉悦に浸るように舌なめずりし、凌貴は伊吹生に口づけた。  尖らされた舌先が熱を持つ口内に侵入してくる。  伊吹生の黒髪を握り締めて頭を固定し、背中を屈め、彼は息継ぎも疎かに独裁的なキスに耽った。 「ん……ッ……ぅ……」  喉奥まで嬉々として嬲られ、戸惑う舌先を吸われ、食まれ、もどかしい刺激に伊吹生は眉根を寄せた。 「……どうですか。チェイサー代わりになりましたか?」  顔を離した凌貴に問われ、言い返そうとすれば、すぐさま塞がれた唇。  頻りに水音を立て、勢い任せに貪られる。  抵抗したくとも体に力が入らない。身を捩じらせるので精一杯だった。 「はぁ……ッ」  縺れ合う唇の狭間から伊吹生が乱れた息遣いを洩らした、そのとき。 「ッ……⁉」  イスから引っ張り起こされ、テーブルの上に押し倒されて、よろしくない体勢に伊吹生は瞠目した。 「次の来客は一時でしたね」 「ッ、お前、勝手にスケジュール見て……」 「大丈夫。それまでには終わらせます」 (終わらせるって、何を)  両足の間にぐっと割って入ってくると、凌貴は、すでに汗ばんでいた伊吹生の首筋を大胆に舐め上げた。 「あ」  反射的に声が出てしまう。 「職場でセックスしてみますか?」  悔し紛れに睨みつけても、当然、効果なし。凌貴は伊吹生に過激なキスを繰り返した。ワイシャツのほぼ中央に当たるボタンを素早く二つ外すと、左右に広げ、日焼けしていない素肌まで啄んできた。 「このッ……」  伊吹生は深黒の髪に五指を突っ込み、なけなしの力を振り絞って押し返そうとした。  自分の頭を掴む手もそのままに、若く美しい「吸血種」は伊吹生の肌に夢中になる。  はだけたワイシャツの隙間に覗く、控え目に芽吹く突起に舌を押し当て、甘噛みし、啜り立てた。 「ンン……ッ……ぁ、ぅ……」  出したくもない、伊吹生自身聞きたくもない、情けない声が次々と溢れ出る。 「あの夜、こういうことをしてみたかった」  伊吹生は頭を擡げた。胸元に顔を埋める凌貴に怖々と焦点を合わせた。 「好きなだけ、好きなように、貴方に触れてみたかった」  上目遣いに物欲しげに見つめてくる赤銅色の双眸に背筋が粟立つ。  目の色が変わるのは、飲血などで極度の興奮状態に至ったときに現れる、いわば「吸血種」の最高潮に達しているサインだった。 「やめろ、凌貴」  凌貴は指通りのいい髪の毛を乱していた伊吹生の手を掴み、右腕に刻まれた二つの傷痕に順々にキスをした。 「初めて名前で呼んでくれましたね」  当時の記憶が生々しく宿る古傷に乱杭歯をあてがい、やんわり刺激する。 「頼むから俺に触るな」 「伊吹生さん、勃起していますが」 「……してない」 「この状態のまま、接客するんですか……?」  繊細な輪郭をした手が伊吹生の昂ぶりを服越しに包み込んだ。 「ほら。もうこんなに硬くしてる」  捕食的な口づけで隈なく濡れた胸の突起に唇を被せ、新たな唾液で濡らしながら、凌貴は多感な熱源をじっくり揉みしだいた。 「ぁッ……おい、凌貴……ッ」 「立派な雄の象徴。過去の恋人達はさぞ悦んで咽び泣いたでしょうね」 「触るな……」 「ただし。菖さんのことがあってから、これといった恋人の影はなかった。どうしていたんです? 一夜限りの関係ですか?」  抗う気力も失せかけ、凌貴の真下で悶えるしかなかった伊吹生はそっぽを向く。舌打ちして些細な反抗心を示せば、招かれざる客人がゴクリと喉を鳴らしたのがわかった。 「う……」  片手で器用に伊吹生のベルトを外し、ファスナーを全開にすると、凌貴はボクサーパンツの内側に利き手を忍び込ませてきた。 「すごい」 「ふ……っ……ぅぅ……」 「僕の手の中でビクビクしています。もしかして誰かに触れられるのは久し振りですか?」  先月のカーニバル・デイ以来、ほぼ一ヶ月振りとなる飲血に伊吹生の体はひどく昂揚していた。押し寄せてくる性的興奮も一入だった。  外気に取り出された、脈打つペニスに真珠色の五指が絡みつくと、独りでに腰が跳ねる。上下に愛撫されると先端は罪深げに濡れた。根元からせり上がってくる射精欲に弛みがちな口は陶然と喘いだ。 「はッ……はぁ……ッ」  胸を反らせば貪欲な唇に再び捕らわれた。コリコリとしてきた突起を交互に舐め吸われ、同時に熱源をしごかれる。  伊吹生はきつく目を閉じた。 「伊吹生さん」  余念のない奉仕を続ける凌貴は、うっとりとした声で強請ってくる。 「閉じないで。貴方の綺麗な目、見せてください」  催眠術にでもかかったかのように伊吹生は従順に目を開く。  その瞳の色は凌貴と同じ赤銅色に染まっていた。 「吸血種らしい獰猛なおめめですね」 「……今、何時だ……早く終わらせろ……」 「セックスしてもいいんですか?」 「ち、違……」  恍惚と理性の間を忙しなく行き来していた伊吹生は焦る。すっかり濡れそぼって、とろとろになった突起を悪戯に爪弾かれると「は……ぁ」と鼻から甘い吐息が抜けていった。 「来客の時間まで残り五十分です」  テーブルの端に置いていた、飲みかけのグラスに凌貴は手を伸ばした。 「!」  伊吹生は絶句する。下の着衣をずり下ろされ、グラスに残っていたワインを屹立したペニスに注がれた。  テーブルに零れる寸前、凌貴は勢いよく吸いついてきた。 「ッ……ッ……!」  葡萄酒が絡んで匂い立つ肉杭を吟味された。甲斐甲斐しい口淫に下半身が一段と滾る。過保護な舌が引っ切り無しに纏わりつき、カリ首から上を舐め尽くされると、電流じみた快感が伊吹生の全身を駆け巡った。 「は……!」  為す術もなく達した。  革靴を纏う爪先に力を込め、しばらく溜め込まれていた肉欲を凌貴の唇奥で解放させた。 「……ん……」  凌貴は雄々しく痙攣するペニスを労わるように口内で包み込む。伊吹生の最後の一滴まで喉に迎え入れた。  テーブル上のボトルを手に取り、グラスに注ぐと、仄かな甘味や酸味、刺激的な隠し味の効いたワインで口直しする。  欲望を解放させたことで一時的な興奮の波が引きつつある伊吹生に、彼は辞去の挨拶がてら最後に告げた。 「拓斗君、夕方には帰ってきますよ」  ――深黒の災厄が去った後、伊吹生は掃除に追われた。  除菌スプレーをかけまくり、テーブルはウェットティッシュでしつこく拭いた、久し振りに窓を開けて換気もした、最終的に自分に除菌スプレーを振り撒いた。 「今日、なんか酒臭くないっすか?」  努力の甲斐も虚しく、とは正にこのことか。来客の第一声に伊吹生は肩を落とすのだった。

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