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(俺はアイツが嫌いだ)  自分自身への誓いを破らせた凌貴に対する悪感情は尽きない。憎たらしくて、歯痒くて、許せなかった。  それ以上に自分のことが許せないでいる。  吸血本能、血への渇望。屈しているのは他の誰でもない、自分自身だ。  どうしようもない弱さをはぐらかしたいがため、凌貴に八つ当たりしている部分もあった。 (いや、性悪なアイツが確実に悪い部分も圧倒的にある) 「所詮、ただの吸血種か」  ブラインドが取り零した西日に瞼を閉ざして、伊吹生は凌貴の言葉をなぞった。  夕方の五時過ぎ、伊吹生の事務所へ拓斗は姿を見せた。 「弟が迷惑をかけて申し訳ありません」  連れてきたのは忽那時成だった。まさかの兄の同行に伊吹生はこめかみを引き攣らせた。 「兄弟で未成年を拉致。今から通報してもいいですか」  静かに激怒する司法書士に拓斗は慌てたように口を開く。 「先生、忽那さんは関係ないよ」 「弟の方は大いに関係しているに違いないが。兄の方は、どういう立ち位置なのか、お聞かせ願えますか」  蒸し暑い夕刻にスリーピースを着用した時成は、警戒態勢にある伊吹生を前にし、おもむろに眼鏡をかけ直す。 「松森君が言う通り、私は無関係です。では、仕事が立て込んでおりますので、失礼いたします」 「ちょっと待ってくれ、業務妨害も甚だしい非常識な弟を早くどうにかしてほしい」  凌貴への文句を背中で聞き流し、兄の時成はさっさと事務所を退出していった。 「……一体、どういうことだ、拓斗」 「ここ、いつもと違う匂いがするよ、芳香剤みたいな」 「客がつけていた香水だ」  そこら中にかけまくった除菌スプレーの残り香を客のせいにして、ミーティングテーブルから離したイスに拓斗をつかせる。空腹じゃないか、危険な目には遭わなかったか、そばに立って確認していた伊吹生はソレに目を留めた。 「その傷はどうした」  拓斗は指先に絆創膏を貼っていた。 「猫に咬まれた」 「……本当に猫だろうな?」 「忽那さん……あ、忽那さん弟のウチってメゾネットっていうやつで、どこもピカピカで綺麗だったんだけど、生活感がなくて、ドラマに出てくるサイコパスの部屋みたいだった」 「拓斗。その傷は本当に猫に咬まれてできたものなのか?」 「うん。忽那さん弟の部屋にいた猫。ガブッて」 「飼い主によく似てマナーがなってない」 「ただ……その……」 「何だ?」 「さっきの忽那さん兄に……ちょっとだけ……」  何食わぬ顔をして自分は無関係だとのたまっていた時成に、伊吹生は腸を煮えくり返らせた。 「やっぱり通報する」  デスク上の固定電話目掛けて突進しようとした伊吹生を、拓斗は懸命に押し止める。今日一日の間に何が起こったのか、怒れる司法書士に順序立てて話し始めた。 「朝、起きたら部屋の中に忽那さん弟がいたんだ」 「それだけで十分な犯罪行為だ」  早朝、居住スペースである店舗二階の自室、目覚めれば凌貴がいて拓斗は度肝を抜かれたそうだ。  窓の施錠はしていなかったかもしれない。だが、まさかその窓から入ってきたというのか。ベッドの上で混乱していた少年に、深黒の侵入者はにこやかに声をかけてきたという。

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