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『僕と遊びませんか、拓斗君』  怖かった。家族に助けを求めたかった。それでも拓斗は咄嗟に判断した。騒いだら駄目だ。この「吸血種」には大人しく従った方がいい……と。 「三十分後に外へ出てくるようにって言って、あの人、二階の窓から出ていったんだ」 「マナー違反にも程がある」 「定休日で、お父さんもお母さんも寝てたから、こっそり出かけた。朝早かったんだけど、忽那さん弟の周りだけ夜みたいで、変な気分だった……」  夜の余韻を露骨に引き摺る凌貴の姿に、拓斗は既視感を覚えた。 「ノスフェラトゥの門のところで、俺のこと待っててくれた先生を思い出したっていうか」  心外である。不服に思った伊吹生は、はたと冷静になり、嘆息した。 「完全にお前を巻き込んでる」  拓斗はパチパチと瞬きした。自分もイスを引っ張ってきて横並びに座る、ずっと眉間に皺を寄せている伊吹生と視線を重ねた。 「すまない」 「ううん。元はと言えば俺が元凶だもん」 「そんなわけないだろ」 「俺がノスフェラトゥに行かなきゃ、先生はあの忽那さん弟と会うこともなかった」  自宅からタクシーで二十分程移動し、九鳥居大学の近辺に位置する閑静な街に拓斗は連れていかれた。凌貴が住むデザイナーズマンションへ……。 『五時までここにいてください』 「五時になったら帰っていい。それまで好きなように過ごしてくださいって、忽那さん弟、すぐに出ていっちゃった」 「放置もいいところだ」 「帰るときは鍵もかけなくていいって言われて、それで、コレをどうぞって」 「コレ?」 「十万円。俺の時間を奪った代償で、持って帰っていいって」  そこまで話して拓斗は司法書士の顔色を窺った。仏頂面だった法律事務の専門家は首を左右に振り、両腕を組んだ。 「安い。百万が妥当だ。貴重な夏休みを浪費させたんだからな」 (一発くらい殴っておけばよかった)  身勝手この上ない凌貴にウンザリする伊吹生は「でも、そんな危ないバイトはお前に金輪際させない」と、拓斗の頭をポンと叩いた。  残された拓斗は、それからは退屈と戦い、お金を置いて早く帰ってしまおうか迷い、お金を持って早く帰ってしまおうかという葛藤に苛まれたらしい。 「最後の選択をすればよかったんだ」 「だって、ウチのことも知ってるし、お父さんやお母さんに何かされたら怖いと思って、できなかった」 「……そうだな、今の言葉は軽率だった」 「携帯で何とか時間を潰して、でも、お腹空いてきちゃって。何か食べるものがないか、キッチンの冷蔵庫を開けたんだけど……開けたの、後悔した」  その言葉だけで伊吹生は察することができた。 「大量の血液パックが入ってた。あれ見て食欲なくして、しばらくソファで寝てた」  そこへやってきたのが時成だった。  暇潰しに人懐っこい猫に構っていた拓斗は、チャイムもなしに時成がいきなり部屋へ入ってきて仰天した。その驚きが伝染したのか、一瞬で気が立った猫に咬みつかれてしまったのだ。 「それで血を吸われたのか?」 「その、零れてる血をもらってもいいですかって言われて、断れなくて」  拓斗は絆創膏が貼られた指を片方の手で包み込んだ。怪我を負わせたのは猫、そのおこぼれに与るような真似をした時成に失望した伊吹生は、念のため尋ねた。 「血を飲まれる以外、他に何かされなかったか?」 「何かって、何を?」  拓斗に聞き返されて伊吹生は言葉を濁す。どうにも凌貴のせいで思考が汚染されているようだ。  その後、時成はここに留まる必要はない、弟には自分から言っておくと明言し、マンションから拓斗を連れ出した。身内が迷惑をかけたお詫び、血をもらった対価として食事をご馳走してくれたという。  結果的に拓斗の帰宅は凌貴が指定していた時間通りになった。 「最初は怖かったし、ヒヤヒヤしたけど、映画の世界みたいで夏休みの思い出になったよ」  伊吹生は漸く表情を緩めた。頭を撫でようとしたら「ガキ扱いすんな」と拓斗にピシャリと言われ、行き場を失った手を無言で引っ込めた。 「だけど、なんでテーブルからわざわざイスを離したの?」 「今、消毒中なんだ」  拓斗の携帯が鳴った。母親には友達と一緒にいると伝えていたが、帰りは何時頃になるかというメールであり、伊吹生は夏休み中の高校生を直ちに帰らせた。

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