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第1話-1
西暦20XX年。
高度な文明を誇っていた人類が、緩やかに衰退し始めておよそ二十年が経つ。
飢えや争い、少子化などが一因となっているけれど、主な原因は狼化という現象である。
突如何の変哲もない一般人が獣のような耳と尻尾を生やし、鋭く尖った犬歯が生える。その姿は、フィクションに出てくる狼男のようだった。
狼化したものは獣の本能に目覚め、異常な身体能力を発現する。そんな力を持つ彼らを、無能力者たちは恐れ、排除しようとした。
しかし少数とはいえ、狼と化したものを制圧することは容易ではなく、争いは大きくなっていった。
それだけでなく、狼化する人間が後を絶たず、人間の人口は次第に減っていった。
先進国の中にも、今では街の中に廃墟が存在するほど、多くの国が荒れていった。
誰が、いつ、どこでその身が変化するのか分からない。
遠くない未来、狼化するかもしれない恐怖で、人々は互いを疑い、荒んでいった。治安は悪化し、世界はどんどん荒廃していく。
異常な狼化の現象は、二十年経った現在でも止まることがなく、原因も特定されていない。
佐野肇は、黒と見紛うほど濃いグレーのスーツと、落ち着いたグリーンのネクタイを身につけ、周囲へと視線を向ける。
街は二十年前の全盛期と違い、人通りがかなり少なくなっている。路上で寝泊まりする人間も増え、犯罪も数が増えた。
あれほど治安の良かった生活も、今では見る影もない。
それでもちらほら無能力者が歩いているのだから、この近辺はまだましである。
他の街では貧困がひどく、女はひとりで出歩くこともできない場所もある。
外国の血が混ざっているため、鮮やかな緑の瞳をもつ肇は、静かに人気の少ない路地へと視線を向ける。
大通りから一歩はずれると、昼間なのに太陽が届かない暗がりに包まれる。そこは鬱屈とした空気で満ちていて、あまり長居したい場所ではない。
そういう裏路地に入れば、狼化した人間――狼をあちらこちらで見かけることになる。
彼らは特殊な身体能力を持つが故に人間から恐れられ、人としての扱いを受けることがない。
もとは同じ人間とはいえ、見た目は狼人間のような姿へと変貌してしまっている。丸かった耳は獣のように三角形へと変わり、尻にはふっさりとした尾が生えている。
そして一般人には持ち得ない異様に発達した鋭い聴力や、計り知れない怪力など発現する。
多くの人は何の力も持たないか弱い人間だ。狼からすれば簡単に捻りつぶすこともできる。
しかし圧倒的に数が多い無能力者が支配する街では、狼たちも安全に生きることはできない。迫害され、日の下を歩くことはできない。
狼化した人間は人間ではなく、化け物であり、狼である。
それが現在の人間として生きている無能力者たちの認識だった。
だがそんな狼たちでも、一般人と混じって生きる道も残されている。
それは人間に飼われることだ。
狼化の現象が現れてから、人間は彼らを取り締まるために、新たな約束を設けた。
国の権力者が法律として定めたわけではない。
狼は人間と同じ生き物ではない。
そう考えられているため、狼に対して法は適用されない。
そのため、人間たちは狼と約束を交わし、彼らとともに生きる道として、狼を飼うことにしたのだ。
飼われている狼は、主人である人間に監視され、制御されているため逆らうことはできない。
人間はいつか来る狼化の対策のために、そして狼は安全に生きられる場所を求めている。 約束は約束であり、強制力はない。だがどちらもが求める理由がある限り、基本的に破ることはないと考えられている。
普通の人間ならば飼うことはできないけれど、狼は人間ではないため可能であるという考え方を、肇は好まない。
だが、ほとんどの無能力者たちは安心を得るために、その方法で狼の異能をコントロールしたいのだ。
好きではないし、認めたくはないけれど、たったひとりの意見で大勢の人間が動くわけもない。
ほとんどの人間は狼を恐れている。その恐怖を取り除くことができなければ、狼を人として扱うことは不可能である。
弱い者は強い者を恐れるけれど、強者も圧倒的に数が多い弱者を相手に、反抗することは難しい。
しかし、狼は飼われることで安全を得ることができても、決して人として扱われることはない。
どうしようもできない現実だった。
そして、公にはされていないが国が飼っている狼も存在する。
暴力的で、反社会的な狼を捕らえるための対策である。異能に対抗するなら、同じ異能をぶつけることにしたのだ。
そのため警察の中でもとりわけ特別な扱いを受けている。特別狼対策課――裏公安と呼ばれている組織である。
そこでは狼と、彼らをコントロールするために一部の捜査官が狩人として、バディを組むのだ。
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