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第4話

 険悪な空気のまま、ふたりは佐々木から初任務を伝えられた。  捜査するのは若い女性につきまとうストーカの狼に関してだった。  人間相手ならば、証拠の内容や危険性によっては、たとえストーカーといえどもそう簡単に捕らえることはできない。  だが狼に対しては別である。  もともと危険視されている化け物であり、狼化した人間は獣の本能が芽生えていて、何をきっかけにして暴れ出すか分からないからである。  ほとんどの場合、ストーカーの疑いがあれば即逮捕される。狼は無能力者に比べて人権が軽んじられ、何も危害を加えていなくても捕縛対象になるのだ。  車に乗り込み現場へと向かう中、肇と大神しかいない車中は重く、居心地が悪い空間となっていた。  初めて会ったときに言い過ぎたことを謝りたいのだが、これでは話すタイミングが掴めない。  相手の表情は眉間に皺が寄り、険しくなっている。話し方によってはさらに悪印象を持たれてしまう。  少なくとも肇はいい関係を築きたいと思っている。しかし、あまり口が達者ではないことが災いして、まったく会話の糸口が見つからなかった。  このまま険悪なまま現場に向かうのは、危険である。連携も上手くいかないし、大神のフォローをすることも難しくなる。  犯罪者の狼を捕らえる役割は、ほとんどの場合は狩人ではなく狼である。  狩人も肉体的にかなり丈夫であるとはいえ、ただの人間である。正面からぶつかれば狼に圧倒されてしまう。  今朝肇が捕まえることができたのは、相手が油断していたことが大きな要因だ。警戒していれば、捜査官である肇に向かって突進してくることもなかったはずだ。  肇の役目は大神がきちんと任務を遂行し、逃げ出さないように監視すること。そして、何か問題があったときは、狼の首輪に埋め込まれたチップを遠隔操作して、無力化させるのだ。  何もなければそれでいいけれど、今の大神ではそうしなくてはならない可能性もある。  本当は、狼であっても同じ捜査官の行動を制限することに抵抗がある。  狼は確かに危険ではあるものの、話もできるし、感情もある。理性が多少弱くなり、感情的にはなりやすいけれど、あまり人間と変わらないと肇は考えている。  その思いを口に出したことはない。おそらく誰にも理解されることはないと思っている。  少しでも大神が動きやすくなるのならば、話をしなくてはならない。  若干緊張しながらハンドルを握る手に力を込めた。 「大神、今朝は悪かった。言い過ぎた」  ぽつりと沈黙の中に言葉をこぼすと、じろりと淡い茶色の瞳がこちらを見た。 「もっと言い方があったはずなのに、おまえが短絡的に動くから、つい言葉が過ぎた」 「……それのどこが謝ってるんだよ。俺のこと馬鹿にしてませんか?」  大神は苛立ちながらひくりと口角を痙攣させている。声は上擦っていたけれど、呆れているのがはっきりと分かった。 「あのときは頭ごなしに言うんじゃなくて、もっと言葉を選べば良かった」 「それ、実際に言うことは変わらないんじゃないですか……?」  冷たい大神の声に戸惑っていると、見えるはずのない青筋が額に浮かんでいるのがわかった。  言い方を失敗したと気づいたときには、狼の尻尾をぶわっと膨らませて睨んできた。 「絶対あんたを見返してやりますよ。今回の件は本気で行く」 「あまり勝手な行動はするなよ?」  そう言ったものの、大神の耳にはまるで言葉が届いていないようで、鼻息を荒くしながら前方を見据えていた。  まったく空気が変わらない車中で、肇は再び失敗を後悔した。  そう時間がかからないうちに現場へと着くと、ストーカー容疑の狼が、被害者が住んでいるマンションの玄関に立っている。 「あんたは、俺の活躍をそこで見ててください!」  車を止めると、大神はすぐに降りて走り出してしまう。どう動くか相談する暇もなかった。 「勝手はするなって、言っただろう!」  こんなに直情的で、感情にまっすぐな狼は初めて見た。仕方なく、後部座席から武器である刀を手に取って追いかける。  やはり狼の足は速い。追いついたときには既に取っ組み合いを始めていて、制止もできなくなってしまった。  今チップの操作をして強制的に動きを止めさせると、大神が怪我を負いかねない。  裏公安の狩人は拳銃の携帯を許されてはいるものの、実際に使うことは少ない。  しかし犯罪者に立ち向かう狼は銃を持つ許可はされていない。そのためどうしても肉弾戦が多くなる。  そうなると、バディの狼に流れ弾が当たる危険性もあるのだ。  役に立たないわけではないから常に身につけてはいるけれど、腰に佩く刀の方が使う頻度は高い。  狩人が持つ武器は何でもいいのだが、肇は刀を持つことにしている。  仕方なく加勢しようと刀を抜くけれど、近づこうとしたら大神に睨まれた。 「俺がやるから、佐野さんはそこで見ていてください!」  いくらなんでも身勝手すぎる行動と、先輩でもある肇の言葉を聞かない大神に怒りが沸いてくる。 「朝も言っただろう! こんな街中で狼にひとりで立ち向かうな!」  怒鳴っても忠告を聞かない後輩に、肇はどうしたものかと頭を悩ませた。  そうこうしている間に、ストーカーの拳が大神の頬に当たってしてしまう。  狼の力は強い。無能力者なら吹き飛んでいたはずだ。  しかし大神は倒れ込むことなく、その場で耐えている。さすが狼である。  しっかりと立ったままの大神を見て、内心安堵して駆け寄ろうとした。  だが、次の瞬間には己の目を疑った。  縦に長く裂けた瞳孔に怒りが宿り、大神の全身からとずっしりと重い殺気が立ち上る。  自分に向けられたものではないけれど、肇はその場で足が地面に張り付いたように動けなくなった。  今日だけで何度か怒りの顔を見たけれど、ここまでの怒気は向けられなかった。  今までにないくらい焦りを感じ、大神を無理にでも止めるべきか思考する。本能の警鐘が脳裏で鳴り響いている。  相対する狼も大神の様子が変わり、警戒したように距離をとると、訝るように視線を向ける。  しかし、唐突に間隔を詰められると、ストーカーの身体が大きく吹き飛ばされて、塀に背中をぶつけた。  そのとき嫌な音を立てて塀が凹む音を聞いた。  一瞬だった。  肇にも何が起こったのかよくわからなかったのだが、数秒遅れて大神が素早く身を構え、狼を殴り飛ばしたのだと理解した。  どれだけの力を込めたのだろうか。大神が受けた拳とは比較にならないくらい、速く、重い。 「大神……」  呆然と呟く声は誰にも拾われることなく、空に消える。  そうして、ふたたびストーカーへと飛びかかる後輩の狼を見て、肇ははっとした。迷う時間はない。スーツのポケットにある小さなリモコンのスイッチを押す。  バチンっと破裂音のようなが音が聞こえるのと同時に、大神の身体が大きく痙攣してその場で傾ぐ。  地面に倒れる前にその大柄な身体を支えると、肇はぼんやりとストーカーの方を見る。  犯罪者に意識はなく、だらりと手足を投げ出して倒れている。息はしているし、見た目では顔が腫れているだけで、それ以外に怪我はなさそうだった。  腕の中の大神も意識はないけれど、呼吸は落ち着いている。  この場で動けるのは肇だけだ。 「誰が後始末をするんだ?」  半ば崩れている塀を見て、呻くように息を吐き出した。  目の周辺を片手で押さえると、空を仰ぐ。 「佐々木さん、なんでこんな面倒な狼と組ませたんだ……?」  ここにはいない上司に怨嗟の念を吐き出した。  こんなふうに暴走するなんて聞いていない。感情的だとは思っていたけれど、殴られただけで理性が飛ぶなんて予想していなかった。  厄介ごとを押しつけられたことに気づいたときには既に遅い。  佐々木のほくそ笑む顔が脳裏に浮かんだ。  大神は険悪なままで、肇の言葉を聞きもしないのに、このままバディを組んでも大丈夫なのだろうか。  精神に引きずられやすい胃が、声にならない悲鳴をあげている。  この杞憂は予想通りとなり、しばらく似たようなことが何度も起こることになる。

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