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第3話

 これは失敗したなと、男の顔を見て即座に思う。  上司である佐々木のデスクの前で、背が高く若い狼が不機嫌な顔で肇を睨みつけている。  襟足に届く長さの薄茶色の髪は毛先が少し跳ねていて、同色の瞳は瞳孔が縦に裂けている。頭の頂には三角形の耳が生えていて、足下からは怒りで膨らんだ尻尾が見え隠れしている。  今朝大通りで出会った狼だった。  きちんとスーツを着込み、首には飼い主がいる証の首輪が巻かれている。  あのとき主人が側にいなかったのは、飼い主が国なのだから仕方がない。犯罪者を捕らえたのは彼の独断だったのだ。  首輪があるとはいえ、狼が人間の街で単独行動するのは危険である。しかし、それを指摘するのはさらにこの男の怒りを煽りそうだった。 「肇、こいつが新人で、お前の新しいバディとなる大神和也だ」 「……大神和也です」 「佐野肇だ」  なんとも素っ気ない自己紹介である。  今朝、お互いバディとなる相手とは知らずに顔を合わせたけれど、最悪な出会い方をしてしまった。胃の調子が悪く、苛々しやすかったとはいえ、頭ごなしに否定するのではなかったと、再び後悔した。  あの速さで逃げられては、追いかけるのは無理だったとわかっていても、追いかけるべきだったのではないかと、できもしないことが頭を過る。  気まずそうな肇と、不機嫌を隠しもしない大神を見て、佐々木は怪訝そうにしている。  ふたりの様子を見ている榛色の瞳は、面食らったように見開かれていた。 「どうしたんだ? おまえら知り合いか?」 「いえ。朝の騒動で捕まえた狼を、彼が見つけたんです」 「ああ、あれか。さっそく役に立ったのか」  それに肯定も否定もできず、肇は苦虫をかみつぶしたような気持ちになる。感じるはずのない苦みが、胃をしくしくと刺激してくるようで今すぐに逃げ出したい。 「いえ、俺は隙を突かれて取り逃してしまったので」 「……ああ、なるほど。それで肇に怒られたのか」 「そう、ですね……」  肇からすると気まずくて視線を逸らしたのだが、表面上は何ら変化のない顔では、そう見えないはずだ。おそらく不機嫌に視線を逸らしたように見えているだろう。  視線の端では苛々した様子で、茶髪をかき乱す大神が今にも舌打ちしそうだった。  分かってはいても、幼い頃からこうだったのだから、この鉄仮面は呪いのようなものである。動かない顔面の筋肉がどれほど憎くても、肇にはどうしようもできない。 「出会って早々こんなに険悪なバディってのも珍しいな。だが、仕事だ。割り切ってくれよ」 「……俺は嫌だけど、仕事はするよ」  表情を隠そうともせずに不快感を露わにする大神に、肇は感心してしまう。  ここまで感情を表に出す人物も珍しいのではないだろうか。上司や先輩の前では、取り繕うような態度を取りそうなものだが、大神は愛想をよくするつもりがないようだ。 「佐野肇さん、でしたっけ。その人の言うことは概ね正しいので、仕方ないです。でもこんな無表情で睨み付けられたら、仲良くしようなんて気も起きませんよ」  その発言に大きな衝撃を受けてしまう。表情は出ていないと自身でも分かっているけれど、睨んだつもりはまるでなかったのだ。  呆気にとられてしまい、その場に数秒沈黙が降りる。感情は出ずとも驚いたことは伝わったはずだ。  少し複雑そうな感情が大神の瞳に見えたけれど、狼の後輩はそれで黙らなかった。 「俺は佐々木さんに誘われたから裏公安に入ったんです。あんたと組めると思ってたのに……」  大神がちらりと佐々木に視線を向けると、上司は首を振って大神の希望を拒否した。 「俺は狩人を引退している身だ。お前のバディは務められんよ」 「そうですか……」  明らかに気落ちしたように、頭頂部の三角耳が頭に沿うようにしてぺたんと寝てしまう。  感情が表れやすい狼耳のかわいらしさで、胸を渦巻く嫌な気持ちも払拭されないだろうか。  そう考えても、肇の中に湧き出てくる怒りは収まりそうにない。  なぜ出会ってそれほど間がないこの男に、これほど失礼な態度で、好き放題言われなくてはいけないのだろう。肇の何を知っているというのか。  何も知らない男にあれこれ言われているうちに、知らず知らず激しい感情が降り積もっていた。  我慢したかったけれど、それもできなかった。 「新人があれこれ希望を言っても、実績がないんだから通るわけがないだろう。何かをなしたいなら、それ相応の結果を出せ。俺は一応、狩人だ。お前を管理する立場だ。俺の機嫌を損ねるのは、大神、お前のためにならないときちんと覚えておけ」  普段はあまり話すことが得意ではないのに、流れる水のように滑らかに鋭い言葉が出てきてしまった。  言い終わった後にはっとする。何度目か分からない後悔があふれたけれど、言ってしまったことは戻らない。  ここまで自身が短慮だとは思わなかった。 「それなら、任務で証明して見せますよ、俺ができる狼だってこと!」  ばんっと佐々木のデスクを掌でたたきつけると、周囲の捜査官たちの視線がこちらへと集中する。 「大神。ここは上司の席だから、やめた方がいい」 「あんたも、いちいちうるさいな!」  大神は怒りで我を失っているのか、冷静につっこみを入れる肇を怒鳴りつける。  狩人に対して暴言を放つのはどうかと思う。一応バディではあるし、狼の監視をする役目もある。彼の不利になるしかないのだが。  そう思いつつも、再び口に出すことはせず、黙って佐々木へと視線を向ける。 「できるだけ、なかよくしてくれよ……」  疲れたようにため息を吐き出しながら、佐々木はげっそりと難しい希望を願い出た。 「努力はします」  真面目に言う肇の方を睨む大神は何も言わない。ただ肇を睨んでいるだけだった。  何を言っても平行線で、火に油を注ぐだけのようだ。  こうして、肇と大神は狼と狩人としてバディを組むことになったのである。

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