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第2話
「あ、神原さんおかえりなさーい」
神原がオフィスに戻ると、いかにも人のよさそうな男がにこやかに挨拶する。これをいつも帰ってきたDom全員にしているのだから実際人がいいのだろうと神原は思っている。
「今日は皆さんどうでした?」
ちなみにこう聞いてくるのも毎度のことである。
「おう、全員元気そうだったぞ」
「それは良かったです!」
神原が答えると、安心したような笑顔が返ってくる。
新家 縁也 はこの職場唯一のαSubである。神原がここで働き始めて数年後に入ってきた後輩だ。DomではなくSubなので当然神原のような仕事をすることはなく、もっぱらオフィスで事務作業をしている。仕事は正確で、場を和ませる達人。優秀かつ丁寧な傾向にあるαSubは職場に1人いるべきと言われるほどだが、新家はその気質を遺憾無く発揮していると言えた。
「それ」が起きたのは唐突で、今日回ってきたΩSub達の様子を職員達に話しながら神原自身も報告書を書いている時だった。
「…いいなあ、僕も神原さんにプレイしてほしいなあ」
思わずぽろりと零れてしまったような言葉だった。しかしなんとなく違和感を覚えて神原が新家を見ると、彼の手首が異様に細いことに気がついてぞっとする。
「…あんたいつからプレイしてないんだ?」
「あれ?いつからだっけ…最近ちょっと慌ただしくて…」
そう言いながら新家がふらついて、突然椅子から滑り落ちた。周りの職員から小さく悲鳴が上がる。既に新家の目は焦点が合っておらず、慌てて助け起こすとその異様な軽さに愕然とした。
「…おい新家、お前大丈夫じゃないだろ!」
「あれ……?おかしいな………」
新家はまだ状況が把握出来ていないようでぼんやりとそんなことを言う。しかし事態が深刻であることを神原は知っていた。
Subはプレイを長期間しないと不安症を引き起こす。大抵自傷的な行為に走りがちだが、パートナーのいないαSubはそれが「過度な禁欲」となることが多い。つまり、早い話が寝食を忘れてしまうのである。必要ないのに仕事を持ち帰って夜遅くまでしていたり、いつまでも掃除していたら夜が明けていたり、そういう感じになるらしい。そしてプレイも後回しになり、最悪の悪循環を引き起こす。弱みを見せるまいというαの本能が関係しているのかもしれないが、他の人間の目につきにくい変化のため当然発見は遅くなり、本人もギリギリまで「まだ大丈夫」と本気で思っているので、ドロップが重篤化する危険性が高くなる。
これはまずい、とDomとしての本能が警鐘を鳴らす。このSubはドロップ寸前だ。早く対処しなければならない。
「俺以外ですぐ呼び戻せそうなDomは?」
周りの職員が申し訳なさそうに首を振るのを見て、内心舌打ちをする。αSubが嫌いなわけではないのだが、本当はあまり関わりたくない。ましてやプレイなんて普段なら絶対にごめんだ。だが今は人一人の命がかかっている。背に腹はかえられない。
「ちょっとこの人プレイルームに連れていきます。とりあえず救急車呼んでください。俺は新家の付き添いで抜けます」
息を吸って、なんでもないように言う。こういう性分だからあんな事件も起きたのだとは思うが、こういう性分でなければこの仕事をそもそもしていないだろう。軽いとはいえ大きなαの体を他の職員の助けも借りながらなんとかひきずって、神原はプレイルームへと連れていった。
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