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第3話

 ここ何年かで緊急用のプレイルームが備え付けられる建物も増えたが、まさか自分が使うことになるとは思わなかった。新家をベッドに寝かせた後心配そうに見てくる他の職員を「大丈夫だから」と追い出して、プレイルームの扉を閉める。救急車が到着しさえすれば点滴によってドロップ状態から回復することが出来るのを神原は知っていた。しかしその前に重度のドロップに陥ると手遅れになってしまう可能性もある。だから応急処置は必要だ。  ドロップしかかっているSubは当然プレイができない。だからまずはDomが呼びかけて現実に引き戻す必要がある。ここにいるDomは神原だけだ。ドロップしかかっているSubを相手にしたことはないが、なんとかやってみるしかない。 「おい、新家、起きろ、戻ってこい」  体を揺らすが反応がない。新家は薄く開いた目から虚空を見つめたままだ。神原は深呼吸すると、グレアを新家の首に巻き付け、こちら側に引き寄せるイメージを思い描く。 「縁也、戻ってきてくれ、お願いだから」  手を握り、できるだけ心を込めて呼びかける。新家は神原のパートナーではないどころか、プレイをしたことすらない。だから成功するかは五分五分だ。でもやらないよりはマシなはずだ。  呼びかけ続けると、ぴくりと握った手が動いた。ほぼ同時に救急隊員が来て、新家を救急車に乗せ点滴を始める。とりあえず窮地は脱したはずだ。だが気は抜けない。神原は救急車に同乗し、病室に辿り着いても新家の手を握り、呼びかけ続けた。  数十分後、新家の目が開いた。ぼんやりと辺りを見回し、最後に神原が新家の手を握っているのを見たので神原は慌てて手を離した。が、まだやることがある。それはプレイだ。可能であるならば、ドロップから回復した際にはどんなに簡単なものでもいいからプレイをする必要がある。  そもそも不安症抑制剤はプレイ欲が満たされた時に分泌される成分を服用することでプレイ欲を誤魔化す薬である。点滴は即効性があり効き目が強いというだけで、基本的には不安症抑制剤と変わらない。しかし、食欲を誤魔化す薬を飲んだからと言って食事をしたわけではないのと同じように、それらの薬を投与したところで結局はプレイをしなければSubが真実満たされることはないのである。 「覚えてるか?お前はドロップしかかってた。その場しのぎだが簡易プレイを行う。わかるか?」  虚ろな目がこちらを向いた。 「かみはらさんと、プレイ?」  その言葉に一瞬動揺しかけたが、すぐに気を取り直す。今の自分は「レン」だ。「神原」ではない。新家はただ見間違えているだけだ。 「そうだ。プレイと言っても、お前は俺の質問に答えるだけでいい。セーフワードはロータス。返事は(S a y)?」 「わかり、ました」 「いい子だ(G o o d)。自分の名前は言えるか(S a y)?」 「にいのみ、えんやです」 「よし(G o o d)、じゃあ俺のフルネームを言ってみろ(S a y)」 「かみはら、れん、か、さん」 「正解。ちゃんと覚えてて偉いな(G o o d b o y)」 「…れんげじゃないんだ、っておもったので」 「まあたまに間違えられるな」  そんな質問を繰り返していると、ようやく新家の目に光が戻ってきた。と思ったらがばりと新家が起き上がる。 「ここは?僕、仕事していたはずじゃ」 「おい、点滴が外れるから寝てろ!」  そこで初めて新家は点滴に気づいたらしく、はっとした顔になった後ゆっくり横になった。 「…もしかして、僕ドロップしてました?」 「そういうこと」 「ここに神原さんがいるということは、助けてくれたんですか?」 「俺は応急処置しただけ。あの場には他にDomがいなかったし」 「すみません…ありがとうございました」 「いや当然のことだし、お礼とかいいから。でもかなり危なかったぞ、どうしてプレイしてなかったんだ?今どきプレイバーもそういうサービスもいくらでもあるだろ」 「いや…プレイバーには行ってたんですけど、ちょっとトラブルを起こしまして……」 「お前が?」  神原は眉を上げた。新家はとてもトラブルを起こすような人物には見えない。 「はは…まあ別の場所でも探しますよ。慣れてるので。ドロップしたのは初めてですけど」 「ちょっと待て、何度もこういうことがあったのか?」  今度こそ聞き捨てならなかった。まるで新家がそのバーを出禁になったようではないか。しかもそれが何回も続いているのであれば、プレイバーを探すのにも苦労するはずだ。それが原因でプレイ不足になったのではないだろうか? 「…1つ確認したいんだけど、他の客に暴力を振るったとかじゃないんだよな?」 「ああ、それは無いです。ただ、なんというか…過激なプレイをしたがる人が多いんですよね。αだから頑丈だろうとか、αがいいようにさせられるのが見たいとか…僕は痛いのはNGって言ってるしそもそもそういうことをしないところを選んでるつもりなんですけど、どこに行っても何人もしつこい人が出てきてしまって。この前もそれでトラブルになっちゃって…そんなだからそういうサービスも怖くて使えないんです」  なるほど事情は分かった。バーも最初は新家に危害を加えようとする客の方を対処するが、それがあまりにも増えてしまうと結局トラブルの種になる客は来ないでくれ、となってしまうのだろう。ただ、αSubに一定の「そういう」需要があるのは神原も知っているが、新家のような例は異常に思えた。一体新家の何がDom達をそこまで狂わせるのだろうか。それとも神原がαSubに詳しくないだけで、そういうものなのだろうか。 「分かった…じゃあ、俺にする?」 「え?」  新家が口をぽかんと開ける。そして「いやいや」と慌てて手を振った。 「神原さんの負担が大きいでしょう。さっき言った通りどこか別のプレイバーやサービスでも探しますって。あるいは他の職員さんにでも」 「そのあてはあるのか?別の職員に相談できるのか?ギリギリになるまで誰にも頼らなかったのに?」  ぐ、と新家が言葉を詰まらせる。それが出来ていれば、今頃ドロップなどしていないはずだ。 「…αSubは苦手なんじゃないんですか?せめてやはり別の職員さんに」  その問いに、今度は自分が答えに窮する番だった。それが一番の問題だ。今はなんとか普通に話せているが、新家が入ってきた当時は目も合わせられなかったくらいだ。神原 蓮華はαSubが苦手。最早職場では公然の秘密のようなものだったが、それでもわざわざ公言したことのないそれを面と向かって指摘されてたじろがずにはいられない。だが、だからといって神原は引き下がらなかった。 「事情が分かってる俺の方がいいだろ?大丈夫。これも仕事のうちだと思えば、やれる」  自分に言い聞かせるように神原は言った。そうだ、これはSubのための救済行為なのだ。「レン」として新家に接するのであれば問題ないはずだし、他のDomのように新家に暴力を振るおうとすることもないだろう。それに神原は困っているSubを放置できる人間ではない。それがαSubであっても関係ない。 「じゃあとりあえず毎週金曜日の終業後にするか。当日にも言うけど、プレイ中は『レン』って呼んで。それからセーフワードはさっき言った通り『ロータス』。どっちも仕事で使ってるやつ。お金はいらないけど、プレイ中俺はあんたを客として扱うから。不安症にならない程度の、最低限のプレイしかしない。分かったな?」 「…分かりました、でも本当に何から何まで…」 「気にしなくていいから。あとこれだけは言っとくけど、俺がやるのはあくまでお前がパートナー作るまでの繋ぎだからな。パートナー探しの方は申し訳ないけどマッチングサービスとか、どこかちゃんと専門家のところで探すとかして」 「はい、できるだけ早く見つけます」 「いやまあ、焦る必要はないけどさ。聞いた感じ失敗したらヤバそうだし」 「はは、確かに」 「…とにかく、ちゃんと探すんだぞ。じゃ、俺は帰るから」 「分かりました。今日はありがとうございました。お気をつけて」 「お前も体調には気をつけろよ。じゃあな」  そう言って、神原は病室を後にした。

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