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涙の先にあるもの
「変な牽制とかしないで素直に伝えればよかった」
御子柴が碧の髪を撫でつけながらふと独り言を漏らす。先ほどまで泣いていた所為で碧は少し喉を痛めていた。しかし泣いたことで無駄な雑念が洗い流され、先ほどよりは頭がすっきりした。
「けんせい?」
まだ目ははれているから、と顔を上げずに聞いた。
「ヘアゴム、あげたじゃないですか。あれ実は碧さんの周りに変な人が寄り付かないように、って思って買った物なんです」
「そうなんだ……」
「それと、碧さんに忘れてほしくないなって」
「忘れないよ。絶対」
碧は少し顔を上げて御子柴に微笑む。こんなに自分の事を気にかけてくれる優しい人を忘れたくない。たとえ長い年月が経って記憶が何かにかき消されたとしても。
「こんな俺に、ここまで向き合ってくれたのは御子柴だけだよ」
完全に涙が止まった状態で碧は御子柴から少し離れて目線を合わせた。確かに普段のようにきれいな状態ではない。涙のあとはしっかり残っているし、目元だって腫れている。様にならないけれど、思いを伝えるのにそれ以上は不要だった。
「ありがとう」
やっとの思いで伝えられた感謝の言葉。この数か月、御子柴や上岡に多大な迷惑をかけた。そのたびに自己嫌悪に苛まれ、ふさぎ込んできた。
しかし、それももうやめだ。
これからは一人じゃない。隣には彼がいる。それだけで心の支えは十分だ。
ずっと大事にしよう。御子柴は心からそう思える人に出会った。
碧との最初の出会いは面接会場だった。厳格な雰囲気だったが、御子柴は碧の持つ優しい春風のような雰囲気を少なからず感じていた。発せられる言葉は硬く、もっと別の場所で出会っていたらと何度も思った。しかし無事、面接も通り彼の下で働くことになった。それだけでもうれしいのに、屋敷の共同生活募集にも通って晴れて屋根の下で一緒に生活することになった。
数分間、無言だった。様々な思いが二人の間で走馬灯のように蘇る。
「キス、してもいいですか」
「うん」
全ての思い出を振り返り終わった後、御子柴は問うた。今までの境遇は違えど、一緒に過ごしてきた時間は無にはさせない。そしてこれからも一緒に、同じ時間を作っていこう。その思いは言葉を交わさずとも二人の中で共通していた。
碧は目を伏せ、御子柴との距離が埋まっていくのを肌で感じていた。
父親の、自分本位な口づけじゃない。愛してくれた人からの贈り物。ただ純粋にうれしくて心が満たされる。
ゼロセンチ
二人の距離はなくなった。
口内でお互いの舌を絡め合う。
足りない。もう少しだけ、あと少し、と御子柴の舌が碧の歯列をなぞる。キスに慣れていない碧はされるがまま、その状態を甘受する。
次第に息が苦しくなって脳内に酸素が届かなくなるのを感じた。
このままではまずい、と御子柴の胸を軽く叩く。御子柴はそれに気付き、急いで離れる。
「すみません、苦しかったですよね」
口が離れるととたんに酸素が肺の中に充満して碧は咳き込んだ。
「げほ、げほ……!だ、い……じょうぶ」
まだ咳が止まらない碧の背中を御子柴はさする。碧は御子柴の手の感覚に安心して、先ほどよりも呼吸が和らいでいくのを実感する。
呼吸が安定してきた頃に碧は口を開いた。
「ケイ、これからもよろしくな」
「……!碧さん?!」
碧は酸欠になりかけた後だというのに、再びキスをした。御子柴のように長く、深いものではなかったが、不意に行われたもので御子柴は頬を染めた。
そんな御子柴を見られて碧はうれしかった。自分も少しだけだけど、相手に何か行動を起こせる。それだけで今後の自信になる。碧は少しだけ自分に対して誉め言葉をかけられるように、と決意をそっと心内に秘めるのだった。
END
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